【2ch】チラシの裏【書き込み規制】

84b8be66 anonymous 2022-01-07 19:26
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細菌性感染症の流行

ペスト
ペストはペスト菌の感染によって引き起こされる重篤な感染症であるペスト菌は日光や乾燥熱には弱いが寒冷や湿潤に強い特性を持ちしたがって動物体内で乾燥を受けなければ長期間の生存が可能で穀類獣乳用水などでも棲息するペストは元来ネズミなど齧歯類の感染症であるため一般的にはヒトが感染する以前にネズミの集団のなかで流行がみられる齧歯類の個体相互にペスト菌を媒介するのはノミであるが多数のペスト菌を保持したノミがヒトの皮膚を刺しやがてヒト相互のあいだでノミが菌を伝播させる腺ペストの流行はこのように発生しノミの多い夏季に多く発生するしかし腺ペスト患者が敗血症や肺炎に罹り喀痰のなかにペスト菌が確認されるに至ると飛沫感染によって直接的にまた排泄物や衣類等日用品によって間接的に急速な感染拡大がうまれるこれが肺ペストであり冬にも多く発生するそしてネズミの移動とともに感染も各地に広がるペストはシルクロード交易によって東方から西方に伝わった感染症でローマ帝国最盛期五賢帝時代の2世紀マルクスアウレリウスの治世に300万を超える死者を出している感染はその後も断続的につづき人類はこれまでに少なくとも三度にわたるペストのパンデミックをみているこれは第一次パンデミック6世紀のユスティニアヌスのペストに始まって8世紀末までつづいたもの第二次14世紀に猖獗をきわめた黒死病から17世紀末にかけてのものオスマン帝国では19世紀半ばまでつづいた第三次19世紀末から20世紀中盤までつづいたものと整理されることも多いとりわけ第二のパンデミックとされることの多い黒死病は正確な統計はないが全世界で8500万人当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている中国では1331年の元の時代に大流行が発生し1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模推定の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリアパレスティナに拡大しエジプトさらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる[18]この時期のヨーロッパにおけるペストの感染爆発には10世紀から14世紀にかけての比較的温暖な気候を背景に起こった中世農業革命と称される技術革新とのかかわりを指摘する見解がある[34]それによれば鉄製農具の性能が格段に向上して三圃制が普及し食糧増産が可能になったものの相次ぐ開墾によって森林が急速に農地に転用されたためネズミの天敵猛禽類やキツネオオカミが激減一方人口増加と都市の発生により人間や家畜の排泄物肉の解体クズゴミの投棄などネズミの繁殖に好適な環境が生まれたそこに異常気象の発生によって深刻な食糧危機が生じ人びとの抵抗力が弱まっているところにペストが蔓延したというのであるペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ魔女狩りが行われたり特にユダヤ教徒をスケープゴートとして迫害する事件が続発した1664年から翌年にかけてのロンドンの大疫theGreatPlagueofLondonと称される大流行もよく知られており18世紀前半のマルセイユの大ペストも甚大な被害をもたらした流行として有名であるなお1833年から45年にかけてのエジプトの流行はそれほど大規模なものではなかったが患者が初めて熟練の医師によって科学的に究明された点で画期的な意義を有するものであった

ハンセン病
歴史上ではレプラらい病などとよばれてきたハンセン病はらい菌によって引き起こされる感染症である感染力はきわめて弱く器具や動物の介しての間接的な伝染はほとんどなく進行も遅い病気で皮膚と末梢神経が冒される遺伝性はなく現代では特効薬があり薬で完治することも判明している白い斑点が皮膚上に現れるほか顔面が変形したり指が欠損するといった患部の変形を引き起こす[37]運動麻痺や顔面神経麻痺発汗異常眉毛頭髪の脱落をともなうこともあるそのため世界史上では感染力が弱く致死性に乏しいという病気の実態以上に人びとに恐怖感をもってとらえられあらゆる疾病のなかで最も患者が誤解や偏見にもとづいて理不尽な差別にさらされてきた病気であるハンセン病はまた元来は熱帯フランベジアと同様少人数集団でみられる感染症であり慢性疾患であることから罹患者はすぐに死亡せず感染源として生存しつづける傾向にあるハンセン病の場合膿汁鼻汁唾液などに直接接触することによってのみ感染し潜伏期間も長く感染しても発病するのは2~3パーセントと低かったためらい菌に繰り返し接触する機会の多い同一家庭内で頻発していたそのためかつては遺伝性のものと誤解されしばしば業病とみなされ患者は穢れた存在とみなされた一方でハンセン病とそれ以外の重篤な皮膚病を区別することは近代以前においては難しくらい癩といった場合それは単なる皮膚病感染症というだけでなく一種の社会的身分を意味していたイエスキリストがレプラの患者に触れて治癒させた奇跡の記述が新約聖書ルカによる福音書にありイエスの絶対愛のあり方を物語っている日本では光明皇后が医療施設である施薬院悲田院を皇后宮職として設置したほからい病患者の膿を吸い取り臭気ただよう患者の背中の垢を擦った伝説が史書にのこっている十字軍の東方遠征によりヨーロッパには多数の天然痘患者とハンセン病患者がもたらされたと考えられている十字軍遠征においてパレスティナではハンセン病に罹患した兵士を看護するためラザロ看護騎士団が組織されエルサレムのらい院では患者の救済がおこなわれたなお英邁で知られるエルサレム王国の国王ボードゥアン4世はハンセン病患者とみられているヨーロッパでは13世紀をピークとして流行し各地にハンセン病の隔離施設ができたこの時代全ヨーロッパで1万9000か所ものハンセン療養所レプロサリウムが建設されたといわれるハンセン病患者は健常者に対し自分に近づかないよう警告するためのフラヴェルというカスタネットを携帯することとなっていた一方中世ヨーロッパに暮らす人びとは同胞の苦しみを敬意と共感をもって見つめること病人に対する嫌悪感や不快感を乗り越えて兄弟に対するような慈愛を示すことを教えられそのように行動することを求められてもいた[42]13世紀のフランス王ルイ9世はロワイヨーモン修道院フランス語版をたずねるたびに病毒のために顔がくずれ人びとの恐怖感の対象であったレプラの患者の食事の給仕をみずから行うことを自身に課しておりまたフラヴェルを鳴らして自分から遠ざかるよう警告した患者に近づきその手に接吻したという逸話がのこっているアッシジのフランチェスコについても同様の話は多数のこっている富裕な家に育ち放蕩生活を送ったフランチェスコが回心したきっかけはレプラ患者との出会いであったといわれるレプラの患者は当時病気が発覚した時点で教会で死者のためのミサがささげられ共同体から離れることを余儀なくされ城壁の外に追いやられた当時のレプラ患者はあらゆる社会的権利を喪失した存在であったが無所有を標榜するフランチェスコからすればここで逆転が生じあらゆる権利を喪失したレプラ患者であるからこそ彼らはあらゆる権利を所有する存在することとなるフランチェスコによって組織された小さき兄弟の会フランシスコ会はイタリア半島中部のアッシジにらい村を建設したそこでは1つの共同自治が目指され聖書の精神にもとづく救済がおこなわれた日本では古代中世にはこの病気は仏罰神罰の現れたる穢れと考えられており発症した者は非人身分に編入されるという不文律があり一般の人びとのみならず肉親さらに官僧からも忌避される存在であったこれにより都市では重病者が各地の悲田院や奈良の北山十八間戸鎌倉の極楽寺などの施設に収容され衣食住が供された北山十八間戸や極楽寺は非人救済に尽力した忍性を中心とする叡尊ら律宗教団によって開かれた施設である戦国武将大谷吉継はハンセン病患者であったことが知られ面体を白い頭巾で隠して戦場に臨んだことはよく知られるまた茶会での自らに対する石田三成の振る舞いに吉継が感激し関ヶ原の戦いでは三成に味方をする決意をしたとされるエピソードも著名である江戸時代には発症すると家族が患者を四国八十八ヶ所や熊本の加藤清正公祠などの霊場へ巡礼に旅立たせることが多かったこのためこれらの地に患者が多く物乞をして定住することになった幕末以降に日本に訪れた欧米人は欧米とくらべ当時の日本では桁違いにハンセン病患者の数が多いことに強い印象を受け明治維新以降キリスト者たちが救いの手をさしのべた日本人仏教者の綱脇龍妙も身延深敬園を設立してらい病患者の救済に乗り出した政府もらい病患者の寺社周辺などへの集住状態を解消すべく療養所への隔離政策が行ったがそのなかで救らいの名目で近世までとは異なった形での患者の迫害も生じた1875年らい菌の発見者であるノルウェーのアルマウェルハンセンが英文で初めて発表をおこないそののち感染症としての感染力の弱さが明らかとなり治療法も確立したしかしその後も患者や既に治癒して身体の変形などの後遺症を持つのみとなった元患者への強制隔離政策は続き非人道的な人権侵害が行われた日本ではらい予防法が1907年に制定され患者は人権をほとんど認められず強制隔離不妊手術の強要が実施された[36]1996年ようやくらい予防法が廃止された2002年小泉純一郎首相が公式に謝罪し治療法確立後も強制隔離をつづけた国の責任を認めて元患者との和解がようやく成立したしかし今もなお病気に対する正確な知識の欠如から後遺症に対する差別に苦しむ人が多い

梅毒
梅毒は元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられコロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる梅毒はヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったためナポリ病と称することも多いアジアへはヴァスコダガマの一行が1498年頃インドにもたらし日本には永正9年1512年に中国より倭寇を通じて伝わったとされ江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している日本で流行する前に琉球王国とくにその花柳界で大流行し古くから花柳界にいる人の罹患率が高かったので梅毒は古血と称されまた沖縄では梅毒患者のことをふるっちゅ古い人と呼ぶようになった梅毒の治療薬としては化学療法を唱えたドイツのパウルエールリヒとエールリヒの研究所で薬学実験を担当していた日本の医学者秦佐八郎が1910年に発見したサルバルサンという有機ヒ素化合物が有名でありこれは合成物質による世界最初の化学療法剤であったまたサルバルサンの発見はのちのペニシリン1929年等抗生物質やサルファ剤1935年等の化学療法剤の発見をうながしたのである

コレラ
コレラはコレラ菌による感染症で突然の高熱嘔吐下痢脱水症状が起こりその感染力は非常に強くこれまでに7回の世界的流行コレラパンデミックが発生し2006年現在も第7期流行が継続している最も古いコレラの記録は紀元前300年頃のものであるそののち7世紀の中国17世紀のジャワでもコレラと思われる悪疫の記録があるが世界的大流行は1817年に始まっている1832年4月コレラが増えはじめたパリではだれかが毒を投げこんだという噂が飛びかい毒殺犯人とみなされた人びとが民衆に暴行を受ける事件がおこっているこの事件では数名が殺害されているコレラの流行した1830年代のヨーロッパでは至るところで毒殺説がささやかれなかには医師が疑われて殺害されたこともあったロンドンでもパリでも病気は道路と水路に沿って広がりことに貧民街での被害が著しかった19世紀前半のコレラの流行は19世紀初頭以来の急速な都市化の進んだ時期でもありヨーロッパの大都市はどこも劣悪な衛生環境にあったコレラの猖獗によって感染症は人間の病である以上に社会の病であることを多くの人が痛切に感じたのでありそのなかから社会の健康を考える公衆衛生学や上下水道の整備や道路拡幅なども取り込んだ近代的な都市工学という学問分野が生まれたまたイギリスの外科医ジョンスノウはロンドンでのコレラ流行に際し死亡者の生活状況を四分割表を用いてのクロス分析という統計学的な手法を用いて生活改善を提案しこれらの業績により疫学の父と称される1884年にはドイツの細菌学者ロベルトコッホによってコレラ菌が発見され医学の発展防疫体制の強化などとともにアジア型コレラについては世界的流行は起こらなくなったただしアジア南部およびアジア東部においてはコレラの流行が繰り返され中国では1909年1919年1932年に大流行がありインドでは1950年代までつづいていずれも万単位の死者を出すほどであったコレラの流行を防止するため下水道の整備など大都市における公衆衛生政策が発達しゴミ箱が普及し検疫体制が整備されてその多くは現代にも引き継がれているまた科学的な疫学も1854年のロンドンでのコレラ大流行においてジョンスノウが公衆の井戸水が原因であると指摘したことがはじまりである後述コレラは反面衛生的な近代都市の生みの親となったのである

結核
結核は結核菌によって引き起こされ全身の倦怠感食欲不振体重減少37℃前後の微熱が長期間にわたって続く就寝中に大量の汗をかくなどの症状をともない咳嗽痰をともなうこともともなわないこともあるが疾患の進行にしたがって発症してくるかつては不治の病死の病難病とされ白いペストと呼ばれることもあった結核菌は1882年細菌学者ロベルトコッホにより発見され1943年にはセルマンワクスマンとワクスマン研究室の学生であったアルバートシャッツ英語版によるストレプトマイシンなどの抗生物質があらわれて[注釈7]結核は完治する病気となって患者はいったん激減したしかし近年学校や老人関係施設医療機関等での集団感染が増加しており結核治療中の患者は日本だけで約27万人にのぼり新たな結核患者が年間3万人も増加している世界保健機関WHOの推計では世界人口60億人の3分の1にあたる20億人が結核菌に感染していると発表しているこれは抗生物質の効かない耐性結核菌の発生によっており菌の逆襲[51]とよばれることがあるまた後天性免疫不全症候群AIDSとの結びつきが指摘され今や結核対策はAIDS対策でもあると考えられるにいたっている

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