邪馬台国は九州に在った

4b5eef3d anonymous 2015-04-01 21:04
中央九州にあったと考えるのが地政学的にも地名的にも辻褄が合う。
現在は福岡、熊本、佐賀、大分と行政区分が分かれてしまったので、
古代の集落分布がわかりづらくなってしまっている。
行政区分を無視し、地理的状況と地名から古代の地政学を検証しよう。
034e7c40 anonymous 2015-04-04 02:49
専門家の間では四国説でFAと聞いたけど
c8594d0d anonymous 2015-06-27 00:11
邪馬壱国
 近畿説の根拠は近畿には当時最大とも言える勢力があった。
 これだけ。
 後の大和朝廷や天皇が邪馬壱国と繋がった方が良いという願望で推し進めている。
 多分にビジネスや政治的な学閥的な悪しき慣習で近畿に決定しようと言う意図が強い。
 何故卑弥呼が天皇や大和朝廷に繋がらなければいけないのか。

 ちなみに信じられないだろうが昭和の時代には邪馬壱国は日本の地方王権の一つであり、
 卑弥呼は女王兼ただの古き鬼道を用いる巫女としか扱われていなかった。
 そして老いさらばえた老女であり、太陽に関連するような扱いも一切無い。
 昭和の時代には邪馬壱国は鬼道巫女による日本に乱立する古い習慣の小国の一つと言う認識だった。
 それが現在ではまるで日本を統一又はほぼ日本を支配していたかのような認識に刷りかえられているのだ。

 邪馬壱国九州説の根拠は古代書の記述に忠実であり、地形や地名の一致がほぼ確定されていること。
 風習や邪馬壱国の規模もそう大きくなく、暖かい地域の国と疑いようの無い確実な当時の記録によるものである。
 何より小国乱立時代の地方王権と言う昭和の時代の認識とも一致する。
そして昭和の時代には戦乱により滅んだ、或いは鬼道政治の行き詰まりがあったと認識されていた。
それはある時を境に忽然と邪馬壱国は日本の歴史から姿を失くすのである。
乱立した小国にありがちな末路である。

 近畿説は規模の大きさがよりどころであり、史書は全く考慮されていない。
 多分に学閥政治的な圧力が危険視されているのである。
 歴史の捏造と言う。
f5cbe74d anonymous 2015-06-27 08:24
畿内説派の強引な解釈はまさに政治的捏造歴史観。
まずもって邪馬壱国をヤマトと改変し、大和朝廷を大和国と改変。
さらに卑弥呼の墓が古墳で存在するとし、また天皇に縁のある人物を勝手に当てはめて
これが事実確定と勝手に決め付けている。
鬼道を拠り所とした卑弥呼が埴輪と共に古墳に埋葬されているなどと言う戯言。
卑弥呼は平和主義者であり、戦争での解決を好まなかった。
そこでわざわざ海を隔てた中国大陸にまで後ろ盾を求めたのだ。
卑弥呼が使者を送ったのは中国と貿易するためでもなく、平和国家を維持するために
海の向こうの強国の権威で争いを避けようと願ったのだ。
そんな卑弥呼が巨大な古墳に埋葬されているわけが無い。
卑弥呼が没するのは早く古墳の建設が間に合うわけも無い。
邪馬壱国の規模では古墳なぞ建設してる間に侵略を受けただろう。
そもそも邪馬壱国や卑弥呼が当時の日本列島の半分である西日本を支配した強大国の描写など存在しないのにだ。
戦国時代ですら天下統一にてこずったものを畿内説の学者の脳内ではどれだけ日本のインフラが整備されているというのだ。
日本は島国で小さいと思われているが、実際は平野部が少なかっただけであり、山林が多かっただけで島としての面積は小さいわけではない。
島であるが日本は山岳国家なのだ。
その山がち故に近代までバラバラに分離発展して来た日本が卑弥呼により半分も統一されていたなんて超飛躍で捏造をごまかそうなんて
畿内説派は学者の考えとは思えない杜撰。
8f4bcc80 anonymous 2015-06-27 09:01
そのうち畿内説派はこう言い出すだろうな。
日本には縄文人の集落が点在したが、渡来人として騎馬民族が日本へ渡ってきた。
騎馬民族は縄文人達をあっという間に支配し、西日本を短期間で掌握した。
そして奈良県に邪馬台国を作り、卑弥呼が日本の支配者として君臨していたと。
d939b300 anonymous 2015-06-27 12:20
偶然なんだろうけどあの人たちには都合の良い名前だもんな。
どうしても邪馬台国に固執し、奈良県と大和国、さらに天皇を結びつけるもの。
歴史修正主義者にとって歴史改ざんなんて当たり前だからな。
邪馬台国の名前に馬が入っているのは倭国騎馬民族征服説にとってはこれほど証拠として適切なものは無い。
邪馬台国を手に入れるだけで騎馬民族征服説だけでなく大和国さらに古代日本のすべて、天皇までも手に入るんだからな。
絶対に邪馬台国を諦めないと思うぞ。
89a0a622 anonymous 2015-06-27 12:45
結局ね、学者様は根本から間違ってると思うわけよ。
邪馬台国は九州にあったが女王を立てる訳ぐらいだから、武力に長けた国じゃないわけよ。
住むのに適した土地で発展した村社会を呪術で連立させてた古い南洋のシャーマニズムじゃない。
航海には長けてたから当然大陸とも少なからず交流があったわけでしょ。
で、近畿の大和や天皇に繋がるのが南九州の勢力だったんじゃないのかな。
南九州の勢力は元から勢力が大きくて四国や紀伊半島まで古くから結びついてたんじゃ。
ただ、熊本の険しい山中で北九州の邪馬台国とは分断されていたと。
つまり卑弥呼の方は古代天皇勢力と敵対してた方なわけ。
で、中国の後ろ盾むなしく侵略吸収されちゃったわけだ。
で、卑弥呼ババアの後に立てられたのがイヨでこいつは天皇側の人間だと思うんだわ。
中国の後ろ盾のあった邪馬台国の名を利用できて、都合が良かったんで大和を名乗ったんじゃないのかな。
ここまでだと古代天皇側が悪いみたいに聞こえるけど、中国に頼ってた卑弥呼邪馬台国の方がどっちかと言うと外患誘致側なんだよね。
日本で統一国家を築こうとした天皇側の方が日本独立派になるわけで、ただ、中国とのパイプは利用したいってことはあっただろうし。
文献にでも残っていない限り想像でしかないわな。
ただ言えるのは畿内説派による天皇と卑弥呼の安易な結びつけは明らかな歴史捏造だろうよ。
というわけでぼくちゃんの新説邪馬台国外患誘致により南九州の天皇に吸収させられましたでよろしく。
49158f94 anonymous 2015-06-28 13:21
畿内説はどうしても卑弥呼を天皇家に組み入れ、邪馬台国を大和にすり替えたいもんだから
どんどん話がおかしくなる。
卑弥呼を天皇家の前提が先にあって歴史を改ざんしようとしている。
だから小国乱立が成り立たなくなり、邪馬台国が大国化していく。
九州どころか日本海側含めた西日本一帯までの大勢力となっていく。
そりゃ小国乱立を認めないんだから邪馬台国が強大化していくわな。
とっくに廃れた騎馬民族征服説を復活させるために邪馬台国が超戦闘集団に改ざんされていく。
邪馬台国に馬の字が入ってるせいで真実が古代日本が異常なほどに歪められる。
その内卑弥呼の名前にオモニが付くかもしれん。

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