邪馬台国は九州に在った

c8594d0d anonymous 2015-06-27 00:11
邪馬壱国
 近畿説の根拠は近畿には当時最大とも言える勢力があった。
 これだけ。
 後の大和朝廷や天皇が邪馬壱国と繋がった方が良いという願望で推し進めている。
 多分にビジネスや政治的な学閥的な悪しき慣習で近畿に決定しようと言う意図が強い。
 何故卑弥呼が天皇や大和朝廷に繋がらなければいけないのか。

 ちなみに信じられないだろうが昭和の時代には邪馬壱国は日本の地方王権の一つであり、
 卑弥呼は女王兼ただの古き鬼道を用いる巫女としか扱われていなかった。
 そして老いさらばえた老女であり、太陽に関連するような扱いも一切無い。
 昭和の時代には邪馬壱国は鬼道巫女による日本に乱立する古い習慣の小国の一つと言う認識だった。
 それが現在ではまるで日本を統一又はほぼ日本を支配していたかのような認識に刷りかえられているのだ。

 邪馬壱国九州説の根拠は古代書の記述に忠実であり、地形や地名の一致がほぼ確定されていること。
 風習や邪馬壱国の規模もそう大きくなく、暖かい地域の国と疑いようの無い確実な当時の記録によるものである。
 何より小国乱立時代の地方王権と言う昭和の時代の認識とも一致する。
そして昭和の時代には戦乱により滅んだ、或いは鬼道政治の行き詰まりがあったと認識されていた。
それはある時を境に忽然と邪馬壱国は日本の歴史から姿を失くすのである。
乱立した小国にありがちな末路である。

 近畿説は規模の大きさがよりどころであり、史書は全く考慮されていない。
 多分に学閥政治的な圧力が危険視されているのである。
 歴史の捏造と言う。

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