非暴力不服従のガンジーは本当に正しいのか

3aa0ba66 anonymous 2015-06-23 22:33
童話浦島太郎。

日本人なら誰もが知っている浦島太郎の物語。
しかし、この童話は複数の物語から部分部分を拝借し、さらに編纂者や話者によって改変され、意味の良くわからない童話として完成されてしまっている。
ひとつに実在した漁師とその村での話し、古代日本の地方王権の話し、古代中国の物語からのリスペクトである。
これに時代時代の話者の解釈が介入し、右往左往の行き当たりばったりな後味の悪い結末となる。

まず、主人公のモデルは虚言癖のあった中年か老人だと思われる。
さらにこの男は女性にもてなかった、また漁の腕もたいしたことが無い、不漁が続くことも多かった。
しかし、大変な長生きでこの時代には珍しいほどの長寿であった。

歳をとり、昔は女性と恋仲にもなり、良い青春を過ごしたことがあったと周囲に作り話を吹聴しているのである。
また玉手箱は女心の例えであり、女性への思いは大事に取っておくものであり、決して軽はずみに取り扱うなというのだ。
さらに良い思い出は玉手箱のようにしまっておくものであり、決してパンドラの箱を開け、女性を怒らせてはならない。
恋の破局や離婚へ繋がると若者に説教をしたのだ。
もう同年代がいない白髪頭の村の長老が若者にそう諭すのである。

若者は、長老の昔はもてていい青春時代を過ごした、結局は破局し、独り身となったという美談を信じる他に無い。
この悲恋なのか年寄りのほらなのか、たいしたことの無い作り話が、後に時代時代に肉付けされSF的な物語へとなってしまっだ。
真実には助けた亀も竜宮城も乙姫も存在せず、道徳と箔付けのために大仰な後付がされ、最終的に独り寂しく亡くなる老人の話が、伝説級にまでなったのだ。

つまり、意味不明となったこの浦島太郎という童話には子供に訴えかけるような意味は無いのだ。
強いて言えば、実際に一つの恋愛があったのかもしれない、その恋を大事にし、最期まで添い遂げれるように努めよというくらいか。
こんなもん童話にもならんし、伝説でもオカルトでもない。当時のSF作家が頑張り過ぎただけの民話でも駄作の部類だろう。
考察終わり。

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(非暴力不服従のガンジーは本当に正しいのか/24/0.8MB)


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