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41636c02
anonymous
2015-06-26 19:51
- 近年の朝鮮通信使と言う歴史捏造。
ここ数年急に朝鮮通信使に対してイベントを大々的に取り上げようという動きが活発化している。
朝鮮通信使が当時の日本の幕府に対して、最先端の技術を伝えたという捏造がどうやら目的のようだ。
実際何もわからない子供は誤った歴史観を刷り込まれているのかもしれない。
在日朝鮮人も韓国人も気づいていないようだが、このイベントが有名になるにつれて矛盾していることが広まるだろう。
まだ飛行機も自動車も無い時代である。
朝鮮通信使が徒歩で江戸を目指すにあたってどれだけの危険と労力を要したかを考えてみよう。
現代なら地図で見ると直線距離にして日本と朝鮮は近いように見える。
日本と朝鮮を行き来するのに現代なら2時間もあれば到着するものを、当時は期間にしてざっと半年以上を要する。
さらに朝鮮と日本の間にある対馬海流は大変危険な海域である。
南の暖かい赤道付近の海から北上する海流は大陸にぶつかり海岸線に沿ってさらに北上する。
暖かい海水が対流を起こすためだ。
これが朝鮮半島という出っ張りによって狭められる。
地図上では狭く見えるこの海域が曲者で、海底地形も狭められることによるホース効果で、強力で危険な海流と化す。
日本が唐へ遣唐使を派遣していたころはこの海域を嫌い、わざわざ南へ迂回し南からゆるい海流にのって唐を目指したのである。
ただ、この南方迂回ルートは日数も掛かり天候にも左右されるため、当時の技術では問題も多かった。
とにかく日本と大陸の間には危険な海流があり、見た目とは違い遠い遠い距離感があったのだ。
さて危険な海域を渡って、何とか日本に到着出来たとする。
北九州から江戸まではどれだけ遠いのか、現代でも歩いて行こうなどと気楽に考えるものはいないだろう。
なにせ徒歩での1000km以上の道のりである。
当時も瀬戸内海大阪を中心に海運があり、ちょっと余裕がある商人であれば、船で江戸近くまで行くことが出来たのにだ。
関東平野に慣れた東京の方は知らないだろうが、岡山広島などの中国地方は険しい山道が連なり、厳しい登り下りが延々と続く辛い道のりである。
それ故に瀬戸内海の海運が重宝されたわけだが。
往復8ヶ月、距離にして2000km以上、徒歩、海流が速く危険な海域、これが朝鮮通信使が苦労して辿った実態である。
ここまで読んだ方ならもうお気づきだろう。
日本が国として朝鮮より優れていたと。
当時において日本が上で、朝鮮が下だという事実を大々的にイベントとして取り上げているのである。
しかも韓国が率先してである。
滑稽極まりない現代の捏造朝鮮通信使イベントである。
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(非暴力不服従のガンジーは本当に正しいのか/24/0.8MB)