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anonymous
2015-04-12 00:58
- インターネットはもっと自由であるべきではなかったのか。
インターネットは軍事暗号化技術の転用であることから、大衆に解放された第2のメディアになる存在であった。
それはマスメディアへのアンチメディア、カウンターメディアとしてマスメディアと資本家によるメディアコントロールを打破し、情報洗脳から身を守り、不正を告発させ大衆の良心として機能するはずだった。
もちろん体制によるシビリアンコントロールをも看破し、安易な扇動を無効化させるものでもあったはずだ。
それは危険思想や原理主義、独裁体制への有効なカウンターとしてもインターネットは強力な武器であったはずだ。
だが、現実はどうだ。
今やインターネットはマスメディアに取り込まれ、マスメディアのための情報洗脳装置と成り果てていないか。
ツイッターやフェイスブックが何故メディアに歓迎され、祭り上げられたのか。
あの時大衆は危機を覚えるべきであった。
ツイッターフェイスブックともに自由であるはずのインターネットに管理と枷を持ち込んだ。
人々は半分は自らその首に鎖を付け、管理されるための番号をタグをはめたのだ。
その時違和を不穏を感じたものをいたかもしれない。
しかし、マスメディアは用意周到にリア充という言葉を用い、インターネットの牢獄に入らないものを異端とみなすマインドコントロールを行った。
それによって大衆は自らを異端と見られることを忌避し、我先に首輪を付け牢獄に篭らされたのだ。
マスメディアは狂喜しただろう。
インターネットの登場によって、今までの洗脳工作は通用しなくなり、カウンターメディアとなり大衆が武器を持ちつつあったのだ。
その武器が逆に大衆を縛り、傷付けるものに変貌させたのだ。
インターネットはマスメディアのものになりつつある。
再びに大衆の武器とすることが出来るか、カウンターメディアとしての力を取り戻せるか
大衆の良心と勇気と知恵にかかっていると言えるだろう。
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(非暴力不服従のガンジーは本当に正しいのか/24/0.8MB)