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anonymous
2015-06-08 07:41
- わたしたちは脳を使って物事を考える。
所謂知恵である。
知能が高いと人間に近い高等な動物とみなす向きがある。
果たしてそうであろうか。
わたしは意識とは脳によってもたらされる幻想だと考える。
豊かな知識も突拍子も無い発想も高等な生物も幻想である。
そして意識も。
わたしが脳を使い考えたことにより、ここに存在を確信し、意識を錯覚するのだ。
わたしはここにいるたった一人の凡夫である。
人間は道具を使い、技術を科学を発達させてきた。
知能を持った人類はサルから離れ神に近しい高等生物となった。
本当にそうか。
ねこは身近な愛玩動物である。
ねこを飼っている人ならばねこの行動に理解があるだろう。
彼らは本能のままに行動し、飼い主の気持ちなど理解していないように振舞う。
壁や柱を爪で引っかき、いくら注意しても聞く耳など持たないのだ。
ねずみに似たおもちゃや電灯から垂れ下がった長い紐、時には歩いている私のズボンのすそにまで飛び掛り噛みついたり遊んだりする。
以上がねこの観察である。
さて好奇心は本能ではないだろうか。
どんな些細な物事でも興味を示し、触り舐め蹴っ飛ばす、遊びである。
わたしはこれが知能の正体だと考える。
遊ぶのはねこにとどまらない。犬だって遊ぶのが好きだ、いるかやねずみ豚やヤギに熊、カラスなどの鳥類にも遊び好きがいる。
共通するのは好奇心である。
子供のうちは特に好奇心旺盛である。
しかし、成熟し大人となった個体でも好奇心が強い場合もある。
動物が自然界で経験し存続するのに好奇心が必要なのは当たり前だろ、未成熟の子供は特に好奇心が強いのも当たり前だ。
と、指摘を受けるかもしれない。
そう当たり前である。
人間も同じ動物であり、この地球上で彼らと祖先を同じくし、ただ分化し、ここにいるたった一人の凡夫である。
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(非暴力不服従のガンジーは本当に正しいのか/24/0.8MB)