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379e5050
anonymous
2010-04-06 14:28
- >>d2dfc5f0
「"認知療法"を英語では"cognitive therapy"という。コグは認知だ。認知療法と
退行催眠を完全同時に行う技術が存在しない以上、コグの発生があるとすれば、
それは必ず退行催眠の後になる。」
どうやら、問題の核心にせまってきたような感じがする。
(認知療法ではなく、反対に催眠のほうに議論をもっていくので、恐縮ではあるが・・・)
仮説1.認知療法と退行催眠を完全同時に行う技術は存在しない。
仮説2.コグの発生があるとすれば、それは必ず退行催眠の後になる。
仮説1、2は、本当に正しいのだろうか?
私は現在、この問題の背景には、上で議論されていた、『夢』という現象の取り扱いと、
『外在化』という現象の取り扱いに関連している、と推理している。
この両者は、OBE(体外離脱体験)によって、かなり深く関連しているような気がする。
私は、菜園での外在化は、モンローのいう、広義の体外離脱体験、あるいはバイ・ロケーションに
相当している、と考えている。バイロケーションとは、肉体に意識の一部を置きながら、
意識の別の部分が、肉体の外に離脱することをいうらしい。
幅度は、理由は分からないが、夢を菜園の対象から、はずそうとしていた。
(少なくとも軽視していた。)
その証拠は、夢に関する、大姉公理の172番だ。
日本語訳では「夢とは、ランドミティーの領域を想像によって再び編成すること、
またはセータの努力を再び象徴化することである。」
公理というよりも、事実上、夢の定義だと考えてもいいだろう。
「再び編成すること」=reconstruction
「再び象徴化すること」=resymbolization
この場合の「re-」(再び、二度目)の意味は、セカンドポスチュレートにおける、
セカンドの意味と同じだろう。
つまり「ウソ」「虚偽」「アルター・イズ」のことを意味していると考えていいだろう。
仮に公理172-2を「夢とは、肉体が眠っているときにおける、セイタンの活動一切の
記憶の現れである」などとしてみよう。これは、上の公理172のある意味での否定である。
私は、超準(Non-standard)菜園トロジーのひとつとして、公理172の代わりに、
公理172-2を採用する体系に興味を持っている。
なぜか?
それは、「明晰夢」とよばれる、意識が覚醒した状態で、夢見の状態に入る現象が知られているためである。
それを一歩発展させれば、セイタンが100%覚醒した状態で、ボディを眠らせることが可能ではないのか?
さらに進めると、セイタンが覚醒しかつ外在化した状態で、ボディを眠らせれば、OBEが実現できるのではないのか?
実際には、着想は逆の順序で、OBEと外在化との関係を探っているとき、公理172では明晰夢が
上手く説明できない、と気づいたのですけどね。
また、OBEに興味をもつ理由は、最近ほとんど語られなくなった、セータ・クリアーとの関連が
あるような気がしているためです。
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