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61494400
anonymous
2023-02-04 03:50
- >>56267432
一例を挙げる。
マルクスの史的唯物論は、封建時代の領主と現代(資本主義社会)のブルジョアジー(資本家)を同列に並べてるが、全くの誤りである。『資本論』も『ゴータ綱領批判』もこの前提が誤ってるから、当然、経済学も論理的整合性が全くない。
封建時代は領主がその土地の人民の支配者であるとともに雇い主でもあった。この時代の年貢や賦役は一種の税金である。マルクスは、封建領主の年貢と賦役が不払労働即ち可視的な搾取の証明であると説く(※一方、資本家の搾取に関しては不可視ゆえに、実証できないが理論的仮定として間接的に証明されるとする)。
一方、現代の資本主義社会(資本主義国家)は国家の指導者かつ国民の代表者である為政者と雇い主である企業が分離している。そもそも、現代資本主義国家の企業の真の所有者である株主は経営陣を雇うが、労働者を雇うのは経営陣である(資本と経営の分離)。
マルクスは封建領主の年貢と賦役を不払労働即ち搾取だと規定しながら、現代の資本主義国家における警察権を担保とした政府の徴税(権)の存在を完全にスルーして、封建時代の搾取(≒納税義務)を現代の資本主義社会における資本家の「搾取(※仮定の理論)」なるものに、そのままスライドさせている。
マルクスの元々の論理的前提に基づくならば、現代の資本主義国家における徴税は、不払労働即ち搾取そのものでなくてはならない。つまり、百歩譲って資本家の搾取が存在するにしても、搾取に現代国家の徴税が含まれていないことは、明らかな理論上の欠陥である。
また、マルクスは史的唯物論における社会形態の分類を、統治形態と生産/交換様式で分離せずに、生産様式でのみ分類している。そして、統治形態は権力支配の実態であるにも関わらず、下部構造(生産様式)に従属する上部構造として無視している。ゆえに、現代資本主義国家における政府という強大な権力機関の存在を(意図的か否かは不明だが)捨象してしまっている。この捨象という理論的誤誘導によって、ブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)という、マルクスの「資本主義=階級社会論」が導き出されている。
その他、マルクスの理論的欠陥は無数に存在する。
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