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9ef8d716
anonymous
2022-11-09 23:36
世の中には圧迫面接という手法が存在する。これは賛否両論あるが、あえて相手の人格を否定することで、ストレス耐性や忍耐力のチェック、またコミュケーション能力や難局に対する打開力を試すための手法である。サイエントロジーでもTRにおいて、ブルベイトという手法が使われる。サイエントロジー以外の自己啓発セミナー等のメソッド(その中にはサイエントロジーに影響を受けているものもいくつか存在する)でも、相手のコンプレックス(劣等感)を刺激し、ひたすら罵倒し続けるといった手法が存在する。ただし、これらの手法は、ブルベイトを受ける相手が演技だとわかっていることに加え、リアリティーの要素に欠ける部分がある。人が最も心理的な動揺を生むものは、自らが非(自らの無能力や過失や怠慢その他のオバート)があると認識している場合の“圧迫”であろう。自らの非の認識と罵倒による自尊心の喪失の組み合わせという、このリアリティーがブルベイトでは再現できない。もちろん、ストレス耐性はPTSの発症とも関連する。
サイエントロジーにはオーディターの規律というものが存在するが、これはインストラクターの規律/監督者(スーパーバイザー)の規律と対になっている(コーチ役を務める生徒は誰であれ、インストラクター及び監督者の規律に従わなければならない)。オーディターはPC(のケース)に対して評価を与えることはないが、インストラクター/監督者は生徒に対して評価する。オーディターはPCを決して否定することはしないが、インストラクター/監督者の規律には、「インストラクターは、生徒の間違いを情け容赦なく否定すべきである」と規定されている。オーディターはPCに対して“天使”のように振る舞うが、オーディターがオーディティングルームを出て監督者のハットを被る場合、生徒に対して“鬼”にならなくてはならない。
アカデミーにおいては、しばしば、コーチ役の生徒がブルベイトできないということが起こり得る。気後れして、相手を否定したり罵倒したりできないのである。生徒としてブルベイトを受ける側より、コーチ役の生徒としてブルベイトを与える側のほうがより大きな直面力(あるいは覚悟)が必要となる。ブルベイトを与えることができない(コーチ役の)生徒は、相手を否定したり罵倒したりできないのである。そういう場合、アカデミーでは、情け容赦なく監督者(スープ)から、コーチ役の生徒に対して「“さん”付けなんて要らないんだよ。なに、良い子ぶってるんだよ。普段はそんな大人しい性格なんかじゃないだろ?もっと真剣にやれよ。そんなんじゃ、相手の能力引き出してやれないだろうが。もっと強く言え!もっとちゃんと攻めろよ!」といった罵声が横から浴びせられる。これ自体が、コーチ役の生徒にとってはブルベイトの洗礼である。もちろん、これは監督者が感情的にむしゃむしゃした(苛ついた)からコーチ役の生徒を罵倒しているわけではなく、コーチのハットは生徒の能力を最大限に引き出すことだからである。コーチが生徒を正しく攻めなければ、生徒の能力を引き出すことはできない。だから、これはパワー(アカデミック)ハラスメントではなく、生徒にとっての“ヘルプ”なのである。
オーディターがオーディターの規律に従い、監督者が監督者の規律に従うように、教室の外やスタッフの職務として、これ(ブルベイトの真似事)を行ってはいけない。テクニカルな(トレーニングやテストの一種としての)圧迫面接やブルベイトと、職務上のパワーハラスメントとを混同してはいけない。サイエントロジー教会のマネジメントは、スタッフの日常業務がリアルなブルベイト(パワーハラスメント)であるとも言える。それは、トレーニングではなく、純粋なパワー(アカデミック)ハラスメントである。ゆえに、このような行為はアウトエシックスである。トレーニングとしてのブルベイトと単なるパワーハラスメント、その違いは、“ヘルプ”の有無にある。
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