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d4902d1b
Old Timer
i1b5ibip3kS
2013-05-07 16:09
- >>376b1a2c
ん? 俺がそなたを頑迷だと評したことはないと思うが・・・何かそういう印象を
与える記述があったのならば、そういう意図はなかったといっておこう。
俺は転生菜園人で、1950年代にはイギリスの末端実践者だった。俺にとって理想
的な菜園とは、当時の自由な菜園に他ならない。そのころの幅度がどういう態度
を取っていたのか、振り返ってみよう。
幅度曰く、"I consider all auditors my friends. I consider them that even
when they squirrel. I believe they have a right to express themselves
and their own opinions." (私は全てのオーディターを友人だと思う。彼らがた
とえ逸脱するときにさえ、私はそう思う。私は彼らが自らを表現し、自らの考え
を述べる権利を持っていると信じる。)
菜園実践者には自己を表現し、自らの考えを述べる自由があった。
幅度曰く、"I don't expect auditors or Scientologists to instantly agree
with or seize upon whatever I say. I would be offended if they did and
would feel they weren't a Free People. Since they are intelligent I
expect them to think over what's said, try it, and if it's good for them,
use it." (オーディターと菜園人が私がいうことの全てに即座に合意したり、飛
びついたりすることを私は予期していない。もし彼らがそうしたら私は気分を害
し、彼らが自由な人々ではないと思うだろう。私は彼らがいわれたことについて
考え、試し、それが彼らにとって役に立つものであるならば、彼らがそれを使う
ことを予期する。)
釈迦の最晩年の教えに"自灯明"がある。幅度の教えもそれに近かった。
幅度曰く、"We must never let what we know get into a state whereby it
itself is a tremendous numbers of‘now-I'm-supposed-tos.'" (私たちの知識
を、それとてつもない数の'今私はこうすべきだ'となるような状態に陥らせるよ
うなことを私たちは決して許してはならない。)
自由領域アメリカの雰囲気は1950年代菜園のそれに近い。
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