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old>>
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2abdc3bb
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 20:01
- >>361be6c9
俺の説明が足りなかったようだ。
宗教の教義と実践が利他的であるほど、聖職者組織は利己的になり、組織の頂点
に絶対的権威が出現しやすくなる。
-
f6bfbc8e
anonymous
2010-03-31 20:13
- >>db4c42ff
お前うるさいよ。
だまってろ。
「隔離」の意味を理解してないのか?
-
28a5c252
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 22:50
- 調べてみたところ、ウィルバーは"Compassionate Exchange"という名称のプロセ
スを編み出している。"Exchange"という単語が示すように、"Compassionate
Exchange"はトンレンにNOTs的な要素を加え、フローバランスを改善したものだ。
おそらく、ウィルバーもトンレンの限界または危険性に気が付いたのだろう。
-
4cc8a796
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 23:15
- 話は変わるが、大姉公理と人々の人生についての観察から、幸運についての仮説
を立ててみた。
1) 幸運は分析する者よりも、行動する者を好んでいる。
2) 幸運は流れに逆らう者よりも、流れに沿う者を好んでいる。
3) 幸運は気まぐれな者よりも、一途な者を好んでいる。
4) 幸運は気が短い者よりも、気が長いものを好んでいる。
5) 幸運は1回しか口説かない者よりも、2回から3回ほど口説く者を好んでいるが、
短期間に4回も口説かれると、急に怒り出すことがある。
6) 幸運は数少ない大きな試行よりも、数多くの小さな試行を好んでいる。
7) 幸運は理屈よりも、愛着を好んでいる。
-
7b1641ac
anonymous
2010-04-01 01:48
- >>28a5c252
ウィルバーの"Compassionate Exchange"という名称のプロセス、興味あるなぁ。
オールドタイマーさん、教えてくれませんか?
-
9caa1063
anonymous
2010-04-01 02:06
- 初心者の横槍失礼しますが、菜園はトランスパーソナル心理学とも絡んでくるのですか。
ちなみに自分も色々セラピーなどを試し、アバターのマスターコースまでで、かなりの効果を上げました。
菜園やトンレンなどは未経験です。
精神医療や、プロセス指向心理学ではえらいトラウマになりましたが、アバターでほぼ解消しました。
-
1ac62bc7
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 07:46
- >>7b1641ac
俺が見つけたのは
«Compassionate Exchangeはトンレンだった!»
http://blog.zaq.ne.jp/nagamasa/article/112/
というブログ記事だが、読んでみると、トンレンには存在しない実践者自身を対
象としたステップが存在する:
` 5. それから、すべての生きとし生ける存在の中の一つの存在、あなた自身
` に焦点を当てます。あなた自身の苦しみと嘆きを取り込み、自由と解放のエッ
` センスを、それをあなた自身に向けて、息を吐きます。この自由な視点から呼
` 吸し、感じ、そして自然に抱擁し、あなたの活力と人間性が本当であることを
` 認めましょう。
` 6. Compassionate Exchangeの実践の最後のステップとして・・・あなたとあな
` たが描いたすべての人々、そしてすべての苦しみと、苦しみからの解放が、こ
` れのすべてを目撃している気づきの意識の中に生起しているということ、そし
` てこれが、本当のあなたなのだということに、気づきましょう。
トンレンに欠けていたフローバランスが、Compassionate Exchangeでは回復され、
全体として原始仏教の慈悲の瞑想に近いものになっている。
-
a3613b56
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 08:06
- >>9caa1063
菜園は1950年代に始まり、トランスパーソナル心理学は1960年代に始まった。
平凡な自分を超え、想像性の獲得や自己実現を目指した人間性心理学の延長線上
に、個人としての自分を超えようとするトランスパーソナル心理学があるとする
ならば、菜園と人間性心理学双方から、トランスパーソナル心理学への影響はあ
ったかもしれない。ウィルバーの本には菜園用語とそっくりな用語が、ちょっと
異なる定義でたくさん出てくる。例えば、isnessとIs-nessがある。
-
030da816
anonymous
2010-04-01 09:48
- >>1ac62bc7
私が読んだチベット密教の本にも、似たような技法は載っていました。
自分の苦しみを今の自分が引き受ける、という行法です。
ですから、ウィルバーがトンレンの欠点に気づいて改良を加えた、というわけではないような気もしますが・・・。
チベット密教においても、改良や進化が行なわれていったのかもしれませんし、
そもそもウィルバーはトンレン大絶賛って感じでしたからね。
ウィルバーの思想にはマッチした行法という気がします。
-
0971ddd7
anonymous
2010-04-01 10:07
- ケン・ウィルバーに関して付け加えると、彼はおそらく菜園理論には否定的だと思われます。
禅の影響が強いためか、彼こそ正に、悟りを目指す修行は無駄だと主張しています。
悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っているものを手に入れることはできないと。
だから悟りを目指す修行というものは全て無駄に終わると言っています。
悟りというものは「高次の意識状態」でもなければ、何かすごい特別な体験、覚醒があるわけでもない。
究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。
それは求めても獲得することはできないどころか、離れることすらできないと言っています。
悟りを求めるというのは、足があるのに足を探してるようなものだと。
ですからおそらく、ウィルバーは菜園のブリッジは否定するでしょうね。
ブリッジを上がっていって、究極の悟りに到達する、といったこと自体有り得ないことだと。
そもそも、菜園人が思い描いている、究極の悟りなど存在しないってところではないでしょうか。
-
f1a5f429
anonymous
2010-04-01 11:10
- >>a3613b56
人間性心理学の拠点校のひとつにいたことがあるので、そのころ少しだけかじりましたが、
菜園をつい最近知り、成立が1950年代であったことから、ニューエイジなどの起こるまえのものであることに驚きました。
と、同時に、これがアメリカの精神世界の古典に相当するのではないかと思うようになりました。
事実、アバターはじめ、様々な自己啓発セミナーなども菜園から出てきたと聞きます。
来談者中心療法などの心理療法も戦争のトラウマ援助のために発達したと聞きますし、
アメリカという舞台における、心理的宗教的研究の発展の過程で、
初期から存在する菜園が、その他のものに影響や関係があるのは当然なのではないか、と推測しているところです。
各所で最近よくみるようになった、A・マズローの欲求階層論と菜園の8つのダイナミックは似ているように見えますが、
どっちが先なんでしょうね。いま調べたけど、時期が被りそうで分かりませんでした。
どちらが先後にしろ、アメリカがそういう空気にあったということだと思います。
-
56ecc41c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 11:53
- >>030da816
チベット仏教徒がトンレンを改良した可能性もある。
いずれにせよ、古いトンレンを今のウィルバーが最適だと考えていないことは確
かだ。
初期大姉のフローバランスを改良して標準大姉や新時代大姉が出来たように、ト
ンレンのフローバランスを改良して、利己的要素を含む新しいトンレンや
Compassionate Exchangeが出来たといえる。
>>0971ddd7
"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
る。
しかし、このような修行不要論は、そもそも、仏教徒が入門時に教わることであ
り、菜園アクチュアリティー層そのものでもある。
>>f1a5f429
人間性心理学と菜園は同時期に誕生した異母兄弟のようなものだと思われる。異
常な人を正常に近づけていくそれまでの心理療法に対して、正常な人をそれより
優れた状態に導こうとする人間性心理学が登場したのも1950年代だ。
ただし、菜園は能力心理学とフロイト派精神分析に加えて、原始仏教をも取り込
んだという点で、トランスパーソナルな要素を含んでいた。
-
f962fa9e
anonymous
2010-04-01 14:34
- >"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
>ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
>考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
>る。
それが悟りを得るために行われるものならば、そういうことだと思います。
ですから、トンレンは慈悲の心を養うのには有効かもしれませんが、
トンレンを実践したことによって、未来の時点において悟りに到達する、というものではないということでしょう。
従って、トンレンの存在そのものが無用ということではないと思います。
悟りの手段として行っても無駄であるということであって。
これは禅でも散々言われていることであって、坐禅を組んだ結果、悟りという状態を経験する、というものではないそうです。
「石を磨いても鏡にはならない」という言葉は有名ですよね?
それならなぜ坐禅を組むのかというと、そのことに気づくためではないでしょうか?
私は坐禅は経験したことないのでなんとも言えませんが・・・。
ケン・ウィルバーは1日3時間の坐禅を欠かさなかったそうです。
坐ってみて初めてわかる理解ではないでしょうか?
-
fa0dab21
anonymous
2010-04-01 15:03
- アバターコースで言えば、アバターマスター達が「早く悟れる」とか、「悟りのドリルだ」などと言いながら、
毎年ウィザードコースを受け続けているようですが、
そういった禅やケン・ウィルバーの観点から言えば、
一生かけても悟りに到達することなどできないということになります。
コースを受けて、調子が良くなるかもしれませんし、ある種の神秘体験を味わうことに
なるかもしれませんが、悟りという体験をすることはできないということでしょう。
ある意味、悟りを目指して修行を続けていること自体が、悟りの一表現なのかもしれませんね。
今、そのままが悟りの状態であるならば。
-
b75c1897
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 17:35
- >>f962fa9e
悟りにつながらない技術を無用でないとするならば、トンレンも、
Compassionate Exchangeも、禅の修行も無用ではなくなり、同じ理屈で、ウィル
バーが菜園の橋を悟りにつながらないと評価したとしても、橋そのものは無用で
はないことになる。
技術体系の中身の評価は分かれるにせよ、体系を支えている技術論において、幅
度とウィルバーはほぼ同じだろう。アクチュアルなことをいえば、技術など不要
なはずだが、そのアクチュアルなことを説いても、人々の日常ががすぐさま改善
されるのではない。幅度は橋という技術体系を作り、ウィルバーはILPという技
術体系を作った。
-
8b1eb164
anonymous
2010-04-01 21:32
- >>0971ddd7
>「究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。」
「悟り」という単語の意味が人によって違うでしょ?
そもそも「今の意識状態」に気づいてる人は少ない。(ちなみに意識状態は如何なるものでも「悟り」ではない、と思うのだが。何故なら<意識>とは限定された一つの創造物だからね)
まあ、それは置いておくとして、それにいかに「気づく」のか、そしてそこに留まり続けるのか、等がマハルシの「私は誰か?」という探究や禅のやってることの眼目だろう。
ちなみに、ある想念や問題を抱えてるとき、「それを体験してるのは誰?」と問いかけ、
いったん「私」と確認しながら答えてみる。その後に、いまここで、記憶(やイメージや想念や感覚)を頼らずに、その「私」を見つけられますか?と問いながら実際に内面を観察させる。
それを行ってみれば、「私」は見つけられないという自明のことがよく分かる。
それを発見したなら、「この経験を超えた境地に留まれますか?」と問いかけ、そこに留まる決心をする。次に想念が浮上してきたなら、同じプロセスを繰り返す。
ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。
-
58510714
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 22:03
- >>8b1eb164
読んでいたら、菜園のC/S-1を思い出した。PCに心象映像を見てもらい、オーデ
ィターが"それを見ているのは誰ですか?"と問うステップがある。もちろん、狙
いは、"セイタン"(= "私")の意味をPCに理解してもらうことだ。
個人の本質は不可視だ。なにしろ、位置属性がないんだから。
-
1b9ba395
anonymous
2010-04-01 22:20
- 確かにウィルバーも、マハルシの自己探求はよく例に挙げていたね。
-
c3099b9c
anonymous
[sage]
2010-04-01 22:58
- >>4cc8a796
これ、すごく良いですね!今やってるテレアポの仕事にぴったりです!
適用したら効果ありましたよ!座右の銘にさせて下さい!
-
e477e540
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-02 12:14
- >>c3099b9c
フィードバックに感謝を。
大姉公理は、秩序、混沌、無秩序を区別して扱っているという点で、混沌学
(chaology)の原形を含んでいる。大姉公理はなぜだかあまり語られることがない
が、大姉公理を発展させれば、広範なゲームを対象とした新型倫理状態公式が作
れるような気がしている。
-
7d62a2fb
anonymous
2010-04-02 12:29
- 初心者の横槍。
心理相談室で父親と対面してひとしきり色々言ったところ、
「まさに自分が親に向けて言った言葉そのものだ・・」と父が言っていたのにはおどろきました。
家族的無意識というものを説く、ソンディの衝動病理学(運命分析)にこういうことが説かれているらしいです・・・
あと、又吉正治という人の書いた、沖縄の霊能者ユタと精神分析の混合『まぶい分析学』にもこういう家系の力動関係というか、
連鎖について研究しているようです。ダイアネではエングラムでこれを解き明かしているそうですね。
あと、人生連続体というのもこれについてのことのようですね。
通常知られている心理学、ならびに精神医学に、明確な理論はあるのでしょうか。
どなたかご存知ないでしょうか。自分は心理学専修中退なもので、正式な学問を知らず、
興味本位に色々集めた結果、上記に、異端の中で二、三それらしきものを見つけましたが。
ますます、ダイアネはじめ、菜園の技術に関心が深まります。
-
663e8c8f
anonymous
2010-04-02 12:32
- 家族療法の理論のなかに、上記にならぶような明解なものはあるのでしょうか。
ま、ここに心理の専門家がいるのか分かりませんが、とりあえず、質問を投げてみます。
-
34d251d2
anonymous
2010-04-02 14:20
- >>663e8c8f
家族力動を扱った理論はたくさんあるけど、実践面で目を見張るものと言えば
ファミリー・コンストラクションだ。その実践は神秘的な事象に充ちている。
親と子が世代を隔て「同じ表現」をすることはエングラムで説明可能だ。
しかし、FCではセラピー・ワークショップに集まった赤の他人が
同様の現象以外にも病気の症状などを起こすことがある。
セラピストの力量によるが、テレパシー現象が頻繁に起こる。
クライエントの家族の精神内構造を外在化させ、目に見えるポジションに配置することによって、
個人個人の精神がリンクしはじめるようだ。
-
b2bf97f9
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-02 16:44
- >>7d62a2fb
現在の菜園において、家族内の心性の類似は、大姉ではなく、ヴェイランス(借
用人格)で説明されている。
-
d95b8884
anonymous
2010-04-02 22:39
- >>8b1eb164
>ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。
いえ、>>0971ddd7で使った「今の意識状態」は、ラマナの言う「私-私」のことではなくて、
まんま我々の通常の意識状態って意味です。
我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。
ラメッシの言う「神の意志以外のことは決して起こらない」という教えと似たような印象を受けましたが・・・。
結局、このままが悟りなのであれば、変えなくちゃいけないことなど何もない。
自己開発をする必要も全くない。
私にはそういった意味に感じられました。
ですから、トンレンや禅も必要ないではないか、と言われれば、確かにその通りなんでしょうね。
自然に生きている人には、あえて慈悲の心を養ったり坐禅を組んだりする必要もないんでしょう。
-
1e1c4f44
anonymous
2010-04-02 23:55
- >>d95b8884
>「我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。」
ケンちゃんの言う「究極」はまさに「究極」だ!
-
e73a1e55
anonymous
2010-04-03 00:42
- 夢について、お訪ねしたいことがあります。
夢を見ている間は、体が幽体離脱していると言う話を聞いたことがあるのですが、先日とある夢を見ました。
それは、自分が尊敬している、ビジネスで凄い大成功している方と会ったのです。
その人は実際には会ったことがなく、セミナー等で遠くから見ているだけの存在でした。
夢の中でパワーをもらったと言うか、無償の愛を受け取った感じがして、それは起きた後もずっと続いてて状態が良くなった感じがして、不思議な感じでした。
もしかしたら、夢の中で本当にその方の魂にアクセスすることができたのではないかと思ったのですが、そういうことは実際にありえるのでしょうか?
-
f934ca4c
anonymous
2010-04-03 02:01
- >>34d251d2
ファミリーコンストラクション、初耳です。だれが開発したどういうものなんでしょう。
検索しても見つかりませんでした。
この中の、どれかの学派ですか、それとも全くの別物ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E7%99%82%E6%B3%95
エングラムも、学び出したばかりで、まだはっきりとは掴みきれてません。
世間では疑似科学として叩かれてるようですが、菜園は一個の独自な体系で、
心理部門でも心理学に太刀打ちできるレベルの体系を備えているのではないか?
というのが今の推測なんですが。太刀打ちというか、超えるというか。
アバターで劇的な効果を体験した以上、菜園もそうだと思います。今まで見たところでも。
ブックワンですでに相当悟るところ多数です。
-
24231f8e
anonymous
2010-04-03 02:11
- >>b2bf97f9
心性の類似という、相似形のレベルではなく、今回のは「まさにその言葉!」ということが
繰り返されていたようなので、劇的だなぁと思いました。
エングラムのビデオでこういうのを見たような気がします。
ベイランスは確かに借用人格的な説明でしたよね。だとすると、完全に同じセリフの
繰り返しというよりは、似たような性格というレベルのものでしょうか。
-
1faf1e36
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 07:15
- >>e73a1e55
夢でテレパシーが発揮されることはある。しかし、菜園では夢を扱わない。現在
の菜園では、PCがしらふの状態ですべての実践が行われる。
-
5037b27c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 07:17
- >>24231f8e
父親の借用人格を被った子供が父親と同じセリフを口にするのは不思議なことで
はないだろう。
-
74bfeb11
anonymous
2010-04-03 08:30
- >>f934ca4c訂正
誤:ファミリーコンストラクション→正:ファミリー・コンステレーション
-
252cfca2
anonymous
2010-04-03 10:29
- >>1faf1e36
>「菜園では夢を扱わない。」
1950年代前半の実践では、イリュージョンを用いて悪夢等にもにアプローチしていたことがありますよね。
(例えばフィラデルフィア博士号コースのレクチャー)
いつごろから、また何故そのようなことをしなくなったのですか?
-
42b5bf1e
anonymous
2010-04-03 10:34
- >>1e1c4f44
「究極の意識状態を悟るためにいくつかのステップが必要であり、
それを悟ると、その影響のために最終的な解放(解脱)が獲得されるのだという考え」、
それ自体をケンは否定していますからね・・・。
やはり菜園のブリッジのような考え方そのものに否定的だと考えていいんじゃないでしょうか。
修行して悟ろうとする人達に対して、
「彼らは「高次の意識状態」を求めるように、間違って指導される」とまで言ってます。
これってヨガとかも否定することになるのかな?
どんな状況においても、どのような努力によっても、究極の意識状態に入ることはできない。
今、あなたがどんな意識状態にいるにしろ、そして、あなたがそれについて何を考えようと、
あるいは、それがどんな性質を持っているにしろ、それが絶対に究極の意識状態である、と彼は言ってます。
-
8baaad5a
anonymous
2010-04-03 12:58
- >>74bfeb11
ああ、これですね。システミック・コンステレーション
これは、つい最近知りました。
http://www.hellingerinstitutejapan.com/index.html
-
2e54f1b1
anonymous
2010-04-03 13:45
-
24b0ed01
anonymous
2010-04-03 13:51
- >>42b5bf1e
健ちゃんは徹底した<イマココ論者>なんだね。
彼がそのような見解に行き着いた背景に、欧米におけるカルトと意識変容ビジネスに対する危惧があるのかな?
おいらの勝手な推測では、彼自身の実践における絶望もあったんじゃないか、何て思うよ。
健は頭がいい。座禅坊主でもある。しかし、悟れなかった。
ところで彼は、人間はこのままでいい、と思ってたのかな?(菜園話題から離れてごめんな)
-
949acde1
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 18:34
- >>252cfca2
PDCで悪夢をプロセシング対象にしたという話を俺は知らない。興味深い話だ。
(一応いっておくと、"sperm dreams"は、俺たちが"夢"と呼ぶものとは違うと思
われる。)
-
a69691e6
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 19:15
- >>24b0ed01
この種の探究歴が短い間は、何かに気がつき、それで人生が結構変わる。しかし、
探究歴が長くなると、気がつくことは多いのに、人生のほうはもうそんなに変わ
らない。主観的には探究を続けることがつらくなっていく。頭がいい人ほど、こ
のつらさを身近に感じてしまう。しかし、"人間はこのままでいい"というのもど
こか違う気がする。
とある古参の菜園人が、通俗的ないい回しに翻訳すれば、"物質宇宙の底辺から
やっていく必要があることに気がついた"みたいなことをいっていた。
ウィルバーもそういう時期に突入しているのか、釈迦の修行や修行の間に悟った
ことよりも、むしろ、釈迦がカースト制度を否定したことに関心を寄せ、高く評
価している。
幅度も、転生後の予定について、"I will return not as a religious leader
but a political one"(俺は宗教指導者ではなく、政治指導者として戻ってくる
つもりだ)と語った。
-
61fa4c1a
anonymous
2010-04-03 21:52
- >>24b0ed01
確かにウィルバーは大悟まではしてないって話ですね。
彼はニューエイジ特有のポジティブシンキング一辺倒も批判しています。
禅の影響を受けてるんだから当然と言えば当然ですね。
ポジティブもネガティブも包含した視点が重要だとか・・・・。
この辺はむしろ菜園に近い部分なのかな?
今ココ系で言えば、ウィルバーの他だと、クリシュナムルティ辺りですか。日本だと禅僧全部。
彼らは自分を変えようということ自体を否定するような感じですね。
完璧に今を受け入れるという。
だから当然、アセンションだとかオメガポイントなども否定。
そもそもポジティブもネガティブも包含した統一意識を説いているのだから、
その視点からすると、浄化、覚醒しているから良くて、してないから悪い、なんてのは
悟りでもなんでもないってことになりますから。
でも、自分を変えようと努力することもまた、悟りの一表現としてアリな気もしますね。
-
4593907d
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 23:04
- >>61fa4c1a
前世の記憶でちょっと正確性に自信がないが、クリシュナムルティーについて、
幅度は、"He is perfectly right"といったことがあると思う。クリシュナムル
ティーは"あるがまま"を動的にとらえているという点で、多分、ウィルバーより
さらに菜園に近い。
«自我の終焉 絶対自由への道» ― この書籍名からして菜園的雰囲気があるが ―
には、"【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察して
みると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆく
には、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです"とある。
クリシュナムルティーは観察という行為とそれに必要な能力 ― "非常に鋭敏な
精神と柔軟な心" ― を重要視している。
-
c16e6f0c
anonymous
2010-04-04 11:10
- >>4593907d
『自我の終焉』は、ウィルバーも統一意識レベル関連の書籍として推薦していました。
この書籍名、私は逆に菜園の対極を象徴するタイトルだとずっと思ってました。
誤解だったんですかね?
教会菜園人としか会ったことないんで・・・。
菜園人が悟りに至れないのは、自我が捨てられないからだと分析してました。
(あくまで教会スタッフの印象ですよ。)
基本的に、教会に勧められる自由への道というのは、
自我をどんどん強くする道だと思うんです。
クリアーやOTになれば、何でも思いが叶って、
人や物をコントロールする能力を上げようとしたりとか・・・。
それでスタッフはどことなく傲慢に感じる。
禅やクルシュナムルティの言ってることはこれらと全く逆の道って気がするんですよね。
彼らはとにかく自我を無くそうという観点。
何かをコントロールしようという発想がないんです。
要するに、彼らの悟りは、自己が脱落したってことでしょ?
コントロールも何も、コントロールする主体がないって状態でしょう。
思いが叶うと言っても、それを思う自分がないわけですから、
他人の願いが叶うことも、自分の願いが叶うのと同じという感覚のはずです。
本来はトンレンの技法も、こういったことに気づくのが目的だったと思いますね。
ウィルバーが言いたかったのもこれでしょう。
-
34e16c69
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 12:23
- >>c16e6f0c
菜園教会における菜園は正しく実践されていない、という認識が自由領域では共
有されている。
さて、クリシュナムルティーだが、前回引用した同じ著書に、
` 非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがまま
` のもの】を【あるがままに】認識したとき、私たちはそれを理解することがで
` きるのです。
` 精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象
` と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。
と書いてある。コントロールの話は別として、少なくとも、認識という行為につ
いては、その主体と客体の区別をクリシュナムリティは否定しない。むしろ、認
識に際しては、そのような区別を必要なものと考えている。
-
c9df201a
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 12:31
- 菜園では、やや不完全ではあるかもしれないが、教義をリアリティー層とアクチ
ュアリティー層に分けている。
あらゆる行為はリアリティーで起こることなので、観察という行為において、主
体と客体の区別があることは自明だ。
もちろん、アクチュアリティー層において、そのような区別はない。
-
3c4e82ea
anonymous
2010-04-04 14:54
- >>c16e6f0c
文章を読んでいて『コントロール』という主題に関して、なにやら誤解があるように思った。
幅度はコントロールをスタート、チェンジ、ストップを意のままに行う能力とみなす。
正確で的確なコントロールは生きる上で不可欠だ。
栗ちゃんも、生活費を稼ぐ職業について問われた際、有能でありなさい、と答えてる。
ただし、他者を蹴落としてでも優位に立つということを否定しただけだ。
ここに価値判断を持ち込む前に、僕らは社会の中で生きる必要がある。
菜園は有能な個人を生み出すテクノロジーを持っている。栗ちゃんや健ちゃんの語ることを補完する技術体系でもある。
その道がいずれ栗健等が語るような無我的境地へと到る可能性は否定できない。
まずはリアリティー層で徹底的に鍛えられた個我を要請しよう。ヤワでは生きていけない。
-
2a7a0a3e
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 15:47
- ユーラシア大陸のインド以東の宗教哲学体系には、暗黙の了解事項として、アク
チュアリティー層とリアリティー層があることが多いと思う。仏教のアクチュア
ルな理論から考えると、出家も修行も必要ではないはずだが、アクチュアルな理
論を手渡されても、それで入門者が潔く悟ったりすることはまずありえない。リ
アリティーの壁がアクチュアルな理解を阻む。
菜園で例えば外在化と呼ばれる現象を例にとろう。
«思考の原理»などの入門書で既に、生命の本質に位置属性がない、というアクチ
ュアルなことは教えられている。アクチュアルには外在化も内在化もない。しか
し、プロセシングを通じて菜園人は、しばしば、肉体から外在化する。外在化は
PCが自らを肉体ではないものとして知る好機となるため、意義深い現象といえる。
しかし、肉体からの外在化が起こったくらいでは、まだまだ、入門書で教えられ
ていることの理解には程遠い。
プロセシングがケースゲインをもたらし続けると、ある日、PCはついに物質宇宙
から外在化する。このあたりで、実は、自分がいつも宇宙の外にも視点を持って
いたことにPCは気が付く。気が付いていなかっただけで、それ以前にも、PCは宇
宙の内外に複数の視点を持ち、外在化と内在化の区別を超越していたのだ。
こうして、PCは"外在化したい"という気持ちから卒業する。そして、以前に先輩
たちにいわれたように、"菜園の教義の最高レベルは既に入門書の中にあるんだ
よ"みたいなことをいうようになる。
-
276aaf38
anonymous
2010-04-04 22:06
- 菜園が非常に奥が深い教義、技術体系であることはわかりました。
しかし、これだけのものが、なぜ、全く普及しておらず、殆どの人が存在すら知らないのでしょうか?
-
8d35adef
anonymous
2010-04-04 22:13
- >>276aaf38
私もそれは疑問です。初心者の横槍。
-
eba9208c
anonymous
2010-04-04 22:30
- わけがわかりません。
トラウマで悩んでいる者も、オーディティングを受ければいいだけですからね。
なぜ、長ったらしいカウンセリングを受けたり、精神薬による対症療法が世の中の主流になっているのか・・・。
精神世界やニューエイジの分野も、菜園に比べるとやはり薄っぺらく感じてしまいます。
-
86a47cbb
anonymous
2010-04-04 22:49
- >>eba9208c
それ本当ですか。自分も今日、15年も前から関わりのある心理相談室に菜園やアバターの
話をしつつ、精神医療と心理療法について批判を展開してきました。
オーディティングは受けてみたいけど、関わるなという話も多く、非常に警戒してしまいますが。
-
17c5b69e
anonymous
2010-04-04 23:06
- >>86a47cbb
教会には一切関わっては駄目です。
私は青春時代が台無しになりました。
でも、オーディティングが効果があるのは事実です。
臨床心理士のカウンセリングの100倍マシでした。
ですが、本当にトラウマの根源の原因まで突き止めて、解消させるには、
私の場合はクリアーを目指すことが求められたので、
1000万くらい掛かるって言われました。
だから坐禅やトンレンでもやってたほうが遥かにマシってわけです。
-
c669e6fd
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 23:07
- >>276aaf38
大姉Book1は2,000万部売れた。教会や自由領域で菜園を経験した人の数は800万
人を超えている。人類全体を視野に入れれば、大姉と菜園はどちらもかなり普及
しているといえるだろう。
しかし、日本での普及は難しい。
菜園の技術の中心にオーディティングがある。オーディティングで使われる質問
や指示はもともと英語で書かれていて、特に、抽象的なものを含んで意味範疇が
広い疑問詞と、高度に発達した仮定法を特徴としている。
ドイツ語は疑問詞の意味範疇が英語と似ていて、英語よりもさらに高度に発達し
た仮定法を持っているので、オーディティングで使用される質問や指示を英語か
らドイツ語に翻訳するのは簡単だ。
一方、日本語では疑問詞の意味範疇が狭く、どういうわけだか ― 言語学上の謎
の1つだと思うが ― 仮定法がかなり退化しているため、翻訳がうまくいかない。
オーディターとしての訓練も積んでいるPCを別にすれば、日本語のでのオーディ
ティングはなかなかうまくいかない。
言語の壁は幅度の想定外に高く、厚い。
-
d4cfdc43
anonymous
2010-04-04 23:15
- >>86a47cbb
あと、スタッフの対応がとにかく最悪で、勧誘のためなら職場や学校にまで平気で追ってきます。
入口付近で待ち伏せしてたりとか・・・。
休みの日だろうと、何人ものスタッフから毎日電話掛かって来るし、
辞めたら家まで連れ戻しに来たりします。
とにかく教会には絶対関わったらいけません。
辞めずに残った知り合いは、全員人格が変わってしまい、もう友達ではなくなっちゃいました。
間違っても教会でオーディティングを受けようなどとは思わないで下さい。
-
a5ef5ca0
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 23:30
- また、現在の菜園はその実践の内部に問題を抱えている。
保守的な古参の菜園人にとって、«菜園公理»や«因子»などの基本原理から導き出
されうる教義こそが菜園の教義であり、«オーディターの規律»などの基本原則に
反しない範囲の実践こそが菜園の実践だ。この観点から見れば、1960年代半ばに、
幅度は菜園から逸脱したといえる。ジヌー挿話は基本原理から導き出されないし、
PCフォルダーを倫理官に送るのは«オーディターの規律»に反している。
その後の幅度の経営方針から、教会はさらに逸脱している。動画として記録され
ているインタビューで幅度は、新参者が数年間は入門書を読んで過ごす、と答え
ている。幅度の言葉としてこれほど信憑性の高いものは存在しないが、現在の教
会は幅度の勧誘方針に従わない。
東京組織は日中組織、夜間組織の区別を有していないので、教会全体からさらに
逸脱している。
-
d641c895
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 00:15
- 古参の菜園人として俺が思うに、菜園界は原点回帰すべきなのだ。つまり:
·新参者には入門書を読ませて数年間放置する。職員はしばしば勝手なことをい
うので、新参者には菜園の基礎知識が必要だ。
·やめたいといい出した奴がいたら、すぐさまやめさせる。やめたい奴を留めよ
うとするよりも、やりたい人を新しく探すほうがずっといい。
·職業オーディターは赤札PCと金持ちだけを相手にする。赤札PCは常に優先され
る。職業オーディターは赤札以外の貧乏PCの相手をしてはいけない。
·金のない奴は、それぞれオーディターとして訓練を受け、互いにオーディティ
ングを施すか、場合によってはソロで通す。これを嫌がるようなら、さっさとや
めさせる。金もやる気もないPCの相手をする余力があろうはずもない。
·事務職員が技術職員より少ない痩せた組織を維持する。週給10万円くらい出せ
ないと、優秀な職業オーディターを安定雇用することはできない。
·オーディティングの記録を倫理官に送らない。«オーディターの規律»はPCとオ
ーディターの間の神聖な約束だ。
-
806579f1
anonymous
2010-04-05 00:18
- 興味深い話がたくさんですね。
やはりオーディティングは効果があるのですね。
臨床心理士は確かにダメな人が多かったですね。経験上。
オーディティングの代わりに退行催眠とかで代用を狙ってみるのも手かな・・・?笑
アバターで借金まみれ程度で済んだのは軽傷だったと言えると思いますが、
その前に10年以上の年月とカウンセリングと心身相関症状の治療で200万ぐらいは軽くかかってるから、なんとも言えません。
自分も青春はそんなこんなで棒にふったようなものです。
生きてるだけでもマシだし、いまや逸脱の理由も見えて来そうなので儲けものかな(笑
-
4b484fa1
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 13:28
- >>806579f1
基本的に、退行催眠はオーディティングの代わりにはならない。オーディティン
グが成立するには、オーディティングコムサイクルが確立されていなければなら
ないからだ。
日本国内で活動している自由領域オーディターはいないので、今のところ、オー
ディティングを受ける機会がほとんどないが、俺は今年の8月から«Self
Clearing»の翻訳を開始する。それを読んでオーディターになる人が出てきて、
ある程度の数になれば、互いをオーディティングできるようになるだろう。
-
1d975719
anonymous
2010-04-05 15:43
- >>4b484fa1
>基本的に、退行催眠はオーディティングの代わりにはならない。
これは、独断である。
確かに、退行催眠とオーディテングが異なるものである。
しかし、異なるからといって、それらの効果に共通部分が全く存在しない、とはいえない。
退行催眠によって、過去のトラウマから解放されたという報告が少なくない点を考慮すれば、
リリースを与える点に関しては、両者の効果にはかなりの共通部分が、あると思われる。
チャージの消去に関しては、退行催眠には不明な点もあるが、「消去できない」という証明は
まだ見たことがない。
-
0139d5ca
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 16:52
- >>1d975719
俺は"基本的に"と書いている。
退行催眠でグレード0~4における解放やクリアーコグをもたらしたという実例は
存在しないのだから、基本的に退行催眠はオーディティングの代わりにはならな
い。
もちろん、単一のトラウマからの解放という部分に限定すれば、退行催眠がオー
ディティングの代わりになることもあるだろう。
-
b9cd073a
anonymous
2010-04-05 17:45
- >>0139d5ca
>俺は"基本的に"と書いている。
>退行催眠でグレード0~4における解放やクリアーコグをもたらしたという実例は
>存在しないのだから、基本的に退行催眠はオーディティングの代わりにはならな
>い。
それが不可能であると、誰が検証したのか?
「実例は存在しない」のではなく、まだ、誰も確かめたことがないだけではないのか?
「単一のトラウマからの解放という部分に限定すれば、退行催眠がオー
ディティングの代わりになる」ならば、段階のスケールの理論に従って
その単一のトラウマからの解放を、一つ一つ積み上げていけば、
クリアーなどと、ほぼ同等の状態に到達することもあり得るのではないのか?
私は、その可能性を否定するつもりはない。
-
25991c89
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 18:18
- >>b9cd073a
初期大姉から60年間に渡って、退行催眠が全体としてオーディティングの代わり
になった実例はない。オーディティングを退行催眠の一種だと主張する人もかつ
ては少なくなかったが、彼らから退行催眠を受けた人にクリアーコグが生じたと
いう話は皆無だ。
しかし、退行催眠がオーディティングと比べて劣っているということではない。
両者は似ているところもあるが、対象となるケースレベルが違う。
退行催眠はオーディターとオーディティングコムサイクルを形成できない人にも
使える。オーディティングはそういう人に対して効果がない。
原始仏教も引っ張りこんで考えると、ケースレベルの高い人には仏教が適してい
て、ケースレベルが低い人には退行催眠が適している。菜園はその間だ。
また、念のためにいっておくと、ケースレベルが高くても、全体的な能力が高い
とは限らない。ケースレベルが低くても、パワーの大きな人はたくさんいる。
-
a660c239
anonymous
2010-04-05 19:50
- 素人が失礼しますが…、「赤札PC」とは、何の事でしょうか。
-
9891b75c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 20:31
- >>a660c239
セッション中にオーディターによる重大な過失があった場合、PCフォルダーに赤
い札が貼られる。菜園組織は24時間以内に修復オーディターがそのPCとセッショ
ンを持つことができるようにしなければならない。
赤札PCへの対応を怠ることは菜園組織において大罪とされている。
-
f2ef5e7d
anonymous
2010-04-05 21:39
- >>25991c89
ご主張の趣旨はおおむね理解できました。
また、特に異論もありません。
「退行催眠はオーディティングの代わりにはならない。オーディティン
グが成立するには、オーディティングコムサイクルが確立されていなければなら
ないからだ。」
との主張が、私には、ややオーディテング絶対論のようにも聞こえたので、
「少し噛み付いてやろうか」と思ってみただけです。
個人的には、クリアーという状態に到達するためには、もう少し、
いろん間口があっても、いいのではないか?と思っています。
私が、クリアーになったのは、今から17年前でしたが、その後、ケースの状態が
悪化しても、オーディティングが受けられない時期がつづきました。
その時のコグニションは「背に腹は替えられぬ」でした。
悪い状態にとどまり続けるよりも、手近な手段で、ハンドルできそうなものがあるなら、
何でも試してみよう、ということです。
そんな中で、『前世療法』といものも試してみました。
まあ、それなりに使えるのじゃないですか?
興味があって、自分にでも出来そうだ、と思うものは、何でもやってみたらいいでしょう。
-
cf738eac
anonymous
[sage]
2010-04-05 22:10
- てst
-
7f52f9f9
anonymous
2010-04-05 22:25
退行催眠や前世療法では、一般にカタルシスを促すことに主眼が置かれてます。
菜園大姉に関しては門外漢なので比較はできないのですが、ポスチユレートの再認識を
重視することから推測してみるなら、菜園大姉は、修理すべき出来事の影響力を生み出したのは他ならぬ自分の意図(創造力)である、という洞察をPCにもたらすのでしょう。
その結果、彼は今後同じような出来事に遭遇したとても理論的には悪影響を創らなくなるように思います。
一方、退行催眠及び前世療法では、そのような結果が得られるような認識が、そもそも理論にも施術者にも無く、再度衝撃的なことが生じれば、同等の苦悩と悪影響に翻弄されると思います。
現代菜園の優位な点は、ありとしあらゆることの『起因』は自分であり、かつプロセシングはそれを目指してるといった認識にあるように思えました。
-
da353d75
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 22:35
- >>f2ef5e7d
自由領域で俺はどちらかといえばオーディティング総合優位論に反対するほうな
のだ。
まず、«菜園公理»«因子»などの基本原理にオーディティングを必要不可欠とする
記述が見当たらない。それどころか、"オーディティング"という単語さえ出てこ
ない。オーディティングが万能の解決策として提示されているのではないのだ。
ごくたまにだが、元菜園人が菜園外の施設で心理療法を受けていることがある。
菜園人がたまたまそういう元菜園人に出くわすと、療法家がやっていることを何
かと批判したがるのだが、そういう時に俺は、"昔の知り合いを助けたいと思う
のであれば、療法家の助言に耳を傾け、行われている療法について学ぶべきだろ
う"ということにしている。
スポーツのための筋力トレーニングは、重傷から回復中の人には向かない。心理
的なことについても同じなのだが、菜園人にはそこのところをよく理解していな
い人も多い。
-
6bac5ec7
anonymous
2010-04-05 22:40
ここ数年、他者の思考支配(雑念や特定の思考の瞬間的消去と思考挿入)と
行動の制御それと他者に影響を及ぼすエンティティーの解放をテレパシーを用いて行うことを訓練してきました。
これに関しては、人が思うほど大した能力は必要なく、コツのようなものを習得すれば、
意外と簡単にできるものです。
それがこのところ自分のBT(エンティティー)処理を徹底してやるようになってから、その能力がいっそう向上したのですが、(力まずに、ただ思うだけでできるようになった)
それとともに自分の中から他者を操りたいという欲求も減少してきているのに気づきました。
NOTSとは本当にすごいものですね。
-
4bd0af15
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 23:01
- >>6bac5ec7
順調のようで何よりだ。そなたが今採用しているスタイルがどれなのかは知らな
いが、それを気長にコツコツと続けるといいだろう。
自灯明、自灯明。
-
97c6f7ad
anonymous
2010-04-06 01:18
- >>7f52f9f9
>退行催眠や前世療法では、一般にカタルシスを促すことに主眼が置かれてます。
>菜園大姉に関しては門外漢なので比較はできないのですが、ポスチユレートの再認識を
>重視することから推測してみるなら、菜園大姉は、修理すべき出来事の影響力を生み出したのは
>他ならぬ自分の意図(創造力)である、という洞察をPCにもたらすのでしょう。
これは、オーディティング技術やオーディターの側の問題ではなく、PCないしクライアント側の問題ではないのか?
つまり、オーディティングのコマンドを受け取って、「出来事の影響力を生み出したのは他ならぬ自分の意図
(創造力)である」と気づくか、気づかないかは、PCの知識やケース状態の良さに依存する問題のように思われる。
さらに、たとえ気づいたとしても、本当に実感しているのかどうかも、すこぶる怪しい限りだ。
というのも理論上は、「今後同じような出来事に遭遇したとても理論的には悪影響を創らなくなる」はずなのだが、
現実には、クリアーという肩書きをもらっていながら、同じような出来事で、首が回らない再演トロジストが実に多い。
逆に、それなりの知識を持っていたり、ケースの状態がよいならば、退行催眠や前世療法からでも、それなりのコグを
得ることは十分可能ではないか、と思うのだ。
old timer氏が、「新参者には入門書を読ませて数年間放置する。職員はしばしば勝手なことをい
うので、新参者には菜園の基礎知識が必要だ」と言っていたが、この点に関しては私も賛成だな。
オーディテングを受けていても、何をオーディティングされているのか分からないと、なかなか、
「出来事の影響力を生み出したのは他ならぬ自分の意図である」というところまでは行かない。
-
3a12e51a
anonymous
2010-04-06 01:57
- 退行催眠で代用、と言い出した者です。たくさんの貴重な議論に感謝いたします。
菜園はブックワン読み途中、アバターのマスターまで修了の者なのでわからないことも多いですが。
>菜園大姉は、修理すべき出来事の影響力を生み出したのは他ならぬ自分の意図(創造力)である、という洞察をPCにもたらすのでしょう。
その結果、彼は今後同じような出来事に遭遇したとても理論的には悪影響を創らなくなるように思います。
この辺についてですが、アバターの考え方と行なう練習が、まさにこれに当たると思います。
-私は被害者ではない
-過去は存在しない
-世界は私の反映だ
-私はこの全てをつくりだす
などの創造練習を行なうことが、自分が起因である、自分が作り出した、という自覚を持つこと、
ありていな言葉で言えば、「人生に対する主導権を取り戻すこと」に大いに貢献すると感じます。
心理相談室に通い、療法を受けるということが、まさに普通でいえば、「被害者になってしまっている」状態であり、
「私は被害者ではない」という決定(?)が、被害者的影響を被らない姿勢をつくりだすのは間違いないように思います。
少なくとも、心理相談室において、過去は被害者として存在していた自分が、
被害者の位置に坐り、その役割を担うことは無くなった、と言いますか・・・・
素人なので、言葉は不正確ではありますが・・・
-
d2dfc5f0
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-06 07:01
- >>97c6f7ad
菜園についての基礎知識の重要性については、幅度とそなたはほとんど同じこと
をいっていると思う。
退行催眠やその延長線上にある前世療法からのコグについてだが、療法中に再生
された出来事について、その後の日常生活でコグが得られるということはあるだ
ろう。俺はこの可能性を常に意識してきた。
"認知療法"を英語では"cognitive therapy"という。コグは認知だ。認知療法と
退行催眠を完全同時に行う技術が存在しない以上、コグの発生があるとすれば、
それは必ず退行催眠の後になる。
すると、退行催眠の領分に入らないものもはっきりとわかってくる。L&N、一瞥
消去、NOTs系はいずれもPCがしらふでなければ出来ない。これらにおいては、PC
の認知の力そのものを処理対象の発見のために直接利用しているからだ。例えば、
初期大姉ではPCが完全にしらふではなく、大姉夢想という状態にあるため、一瞥
消去は起こらない。
もちろん、上で俺がいったことが正しいのならば、認知療法がオーディティング
の代わりになる可能性は高いことになる。というか、オーディティング、特にソ
ロは、認知療法の一種とも見なせる。
-
ebfbbd1d
anonymous
2010-04-06 09:26
- >>3a12e51a
>心理相談室に通い、療法を受けるということが、まさに普通でいえば、「被害者になっ>てしまっている」状態であり、
そう!そこなんだよね。
カウンセリングルームに入る時の、あの何とも言えない緊張というか、後ろめたさと言ったら・・・。
「自分は問題を抱えている」、「治療すべき症状を持っている」という思いのまま
カウンセラーに向かい合うわけだからね。
ここを何とかしないと、カウンセリングの効果は期待できないのかも。
-
1b5e1d3f
anonymous
2010-04-06 09:48
- >>d2dfc5f0
認知療法は、オーディティングの他で唯一効果があった療法だった。
いちいち高い金払ってグレード何とかなんてやらなくても、別にこれでよかったんじゃんって思った。
認知療法を奨励してる心理療法家は、退行催眠などのトラウマ消去系のセラピーを
批判してる場合が多いね。
いちいちトラウマの根源を見つけ出さなくても、自分の解釈が変わるだけで、
それが全く現在に影響を及ぼさなくなるってのはすごいよ。
菜園教会でNEDだとかPTSランダウンが必要ですと言われたような症状でも、
認知療法で一発だった。
「自分は何のために、高い金出して菜園に通っていたんだろう・・・。」と思ったもんだよ。
-
64a9f081
anonymous
2010-04-06 11:43
- >>d2dfc5f0
>退行催眠やその延長線上にある前世療法からのコグについてだが、療法中に再生
された出来事について、その後の日常生活でコグが得られるということはあるだ
ろう。俺はこの可能性を常に意識してきた。
これは経験的にもうなずけました。
それは『熟考』し尽くした後に不意に現れてくる『ひらめき』や『洞察』にも見られる
精神の自然な機能(統合機能)のひとつなのでしょう。
一方、認知療法によって物事の認識の枠組みを変換させる手法は、どちらかと言えば
クライエントが当の問題やトラウマをある程度受け入れることが可能になるような
準拠枠へと、ひっぱって行くような印象を抱きます。
そこで得られる洞察は、各学派が提唱している理論的な方向へ向けて、
クライエンとの理解の要素(思考)が組み替えられていると思います。
もしそうなら、ケースレベルの上昇が各学派によって限定を受ける結果になるでしょう。
ですから認知療法で得られた特定の認識の枠組みを逸脱するような事態に対しては、
『一瞥による消去』の能力も活用できないと思います。
推測でしかないのですが、一瞥による消去と看做される問題の消去法は、
ある種の認識の枠組みによるものと、真正なもの(あるがままの認知やコンフロント)の2種類があるように思えました。
-
3dfd3d68
anonymous
2010-04-06 11:53
- >>97c6f7ad
>首が回らない再演トロジスト。
この命名、笑える~~!
-
3b841413
anonymous
2010-04-06 11:55
- >>1b5e1d3f
>「自分は何のために、高い金出して菜園に通っていたんだろう・・・。」と思ったもんだよ。
認知療法と菜園では、治り方が違うんだよ。
-
f5308a64
anonymous
2010-04-06 12:57
- >>ebfbbd1d
心理相談の中で、カウンセラーは顧客を巧妙に被害者化していくというか、
カウンセラー自身が以下のような思いを当然の前提として持っており、
>「自分は問題を抱えている」、「治療すべき症状を持っている」という思いのまま
カウンセラーに向かい合うわけだからね。
その枠組みの中でやっていくということが、「問題を起こした患者、クライアント」に対して圧倒的優位な立場から、
「治してあげる」とでも「援助する」とでも、「本人の治る力を引き出す」とでもなんとでも言い、
後から都合のいい解釈とつじつまあわせをして、本人の気持ちを少しだけ撫でて(同情を与える)、
延々と治療構造という罠に陥れて、終りなきカウンセリングで営んでいく、こういう構図のような気がしてきました。
>カウンセリングルームに入る時の、あの何とも言えない緊張というか、後ろめたさと言ったら・・・。
当初は、様々な悩み、問題、症状を抱えて心理相談室を訪れていたAさんが、
仕舞いにはカウンセリングルームに入ることに安堵感を覚えてしまうようになったらどうでしょう?
カウンセリングは少しだけ楽になって、問題が解決しない、症状が治らない方が儲かってしまいます。
自覚しているにせよ、無自覚にせよ、こういう事が多いように感じます。
個人的には、来談者中心療法(ロジャーズ派)、ユング系(夢を扱うもの)など、
街中でよく見かけるものは、壮大な詐欺と変わらないような気さえしてます。
明確な技法と、素人でもはっきり実感できる成果が出ない療法は、
仕事をしているのか、していないのか、ほとんど区別がつきません。
また、傾聴したり、夢を扱ってもデータとしては自然治癒と変わりがない、という話も昔から耳にします。
この世界はホントにわけがわかりません。
しかしながら今回、ブックワンが「同情」をエングラムとして厳しくはねつけているのを見て、初めて覚るところがありました。
催眠や認知療法は明らかな技法と作業を伴っているので、普通の人からしても実感できるものがあると思います。
それで効果が出なければ、「効果が無い」と判断できますしね。
-
379e5050
anonymous
2010-04-06 14:28
- >>d2dfc5f0
「"認知療法"を英語では"cognitive therapy"という。コグは認知だ。認知療法と
退行催眠を完全同時に行う技術が存在しない以上、コグの発生があるとすれば、
それは必ず退行催眠の後になる。」
どうやら、問題の核心にせまってきたような感じがする。
(認知療法ではなく、反対に催眠のほうに議論をもっていくので、恐縮ではあるが・・・)
仮説1.認知療法と退行催眠を完全同時に行う技術は存在しない。
仮説2.コグの発生があるとすれば、それは必ず退行催眠の後になる。
仮説1、2は、本当に正しいのだろうか?
私は現在、この問題の背景には、上で議論されていた、『夢』という現象の取り扱いと、
『外在化』という現象の取り扱いに関連している、と推理している。
この両者は、OBE(体外離脱体験)によって、かなり深く関連しているような気がする。
私は、菜園での外在化は、モンローのいう、広義の体外離脱体験、あるいはバイ・ロケーションに
相当している、と考えている。バイロケーションとは、肉体に意識の一部を置きながら、
意識の別の部分が、肉体の外に離脱することをいうらしい。
幅度は、理由は分からないが、夢を菜園の対象から、はずそうとしていた。
(少なくとも軽視していた。)
その証拠は、夢に関する、大姉公理の172番だ。
日本語訳では「夢とは、ランドミティーの領域を想像によって再び編成すること、
またはセータの努力を再び象徴化することである。」
公理というよりも、事実上、夢の定義だと考えてもいいだろう。
「再び編成すること」=reconstruction
「再び象徴化すること」=resymbolization
この場合の「re-」(再び、二度目)の意味は、セカンドポスチュレートにおける、
セカンドの意味と同じだろう。
つまり「ウソ」「虚偽」「アルター・イズ」のことを意味していると考えていいだろう。
仮に公理172-2を「夢とは、肉体が眠っているときにおける、セイタンの活動一切の
記憶の現れである」などとしてみよう。これは、上の公理172のある意味での否定である。
私は、超準(Non-standard)菜園トロジーのひとつとして、公理172の代わりに、
公理172-2を採用する体系に興味を持っている。
なぜか?
それは、「明晰夢」とよばれる、意識が覚醒した状態で、夢見の状態に入る現象が知られているためである。
それを一歩発展させれば、セイタンが100%覚醒した状態で、ボディを眠らせることが可能ではないのか?
さらに進めると、セイタンが覚醒しかつ外在化した状態で、ボディを眠らせれば、OBEが実現できるのではないのか?
実際には、着想は逆の順序で、OBEと外在化との関係を探っているとき、公理172では明晰夢が
上手く説明できない、と気づいたのですけどね。
また、OBEに興味をもつ理由は、最近ほとんど語られなくなった、セータ・クリアーとの関連が
あるような気がしているためです。
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5922f9b3
anonymous
2010-04-06 16:57
- >>379e5050
「外在化」は肉体との同一視が一時的に解除され、そこから(マインド内部の)物質宇宙を見つめてる状態。
「明晰夢」は肉体と同化した意識が眠り、(マインド内部の)アストラル界に存在している身体と同化している意識が目覚めた状態。
「OBE」は上記の2つのステートの混合であり、気づきの明晰度によって様相が変わる。
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b5a25971
anonymous
2010-04-06 18:14
- >>379e5050
>仮説1.認知療法と退行催眠を完全同時に行う技術は存在しない。
仮説2.コグの発生があるとすれば、それは必ず退行催眠の後になる。
仮説1、2は、本当に正しいのだろうか?
答え:正しい。
退行催眠は基本的に記憶支配という深い催眠状態の中において行われ、
その大脳皮質的な理性機能の主導権は術者に委ねられている。
>幅度は、理由は分からないが、夢を菜園の対象から、はずそうとしていた。
(少なくとも軽視していた。)
その訳は、幅度が夢という現象を自分の枠組みでは理解できなかったからだ。
「夢」はいったい誰が創っているのか?…どうやらセイタンではない。
しかし、そんなことがあるのか?セイタン以外の何かが自分の中に居る?まさか・・・
そんなことを認めたらえらいこっちゃ!何故ならセイタン理論が整合性をもたなくなってまう。よし、無効にしよう。このように彼は考えた。
-
6dae0376
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-06 18:34
- >>b5a25971
後に«A History of Man»と改題されることになる«What To Audit»が最初に出版
されたのは1952年で、その中に既に魂以外の何かについての記述がある。夢が菜
園の処理対象から外されたのは、理論上の理由ではなく、技術上の都合のように
思われる。うまく処理できなかったのだろう。
-
0b6c2b11
anonymous
2010-04-06 19:57
- >>b5a25971
>退行催眠は基本的に記憶支配という深い催眠状態の中において行われ、
>その大脳皮質的な理性機能の主導権は術者に委ねられている。
それは、脳や脳の機能について語っているだけで、セイタンのトーンが無意識の水準まで落ちている
ことは、必ずしも意味しないだろう。
>>5922f9b3
>「外在化」は肉体との同一視が一時的に解除され、そこから(マインド内部の)物質宇宙を見つめてる状態。
exteriorizationについては、いろいろニュアンスの違う定義があるのだが、とりあえず次のような定義でよいと思う。
n. 1. the act of moving out of the body with or without full perception.
[Lecture 14 Jan. 55; Lecture 13 Dec. 66; HCOB 4 Jan. 71RA; HCOB 24 Sept. 78RB; HCOB 4 Oct. 78]
当然ながら、私が興味を持つ外在化は、「moving out of the body with full perception」のことだ。
だから、「マインド内部の物質宇宙を見つめてる」という意味ではなく、ボディを経由しないセータ・パーセプション
によって、知覚している状態をさす。
マインドの中にある物質宇宙とは、物質宇宙のピクチャーであって、それらのオブジェクトそのものではないのではないか?
だから、『人間の能力の創造』にあるルートI-05の『コピーすること』というプロセスで、見えた物体のコピーを
つぎつぎに作り出せば、外在化したセイタンには、それらのコピーがマインドの中になくても、ちゃんと見える。
>「明晰夢」は肉体と同化した意識が眠り、(マインド内部の)アストラル界に存在している身体と同化している
意識が目覚めた状態。
それほど単純な話ではない。
Stephen Laberge の「Exploring the World of Lucid Dreaming」が、届いたのは一昨日なので、
まだ詳しくは読んでいないのだが、興味深い記述がある。(この本は、日本語訳のでている
『明晰夢--夢見の技法』、春秋社のあとにだされた、ワークブックみたいな本だ。)
「Falling Asleep Consciously」と題された第4章につぎのようにある。
「This chapter presents a completely different set of aproaches to the world of lucid
dreaming based on the idea of falling asleep consciously. This involves retaining
consciousness while wakefulness is lost and allows direct entry into the lucid dream state
without any loss of reflective conscious.」
私が興味を持っているのは、 「without any loss of reflective conscious」という部分だ。
これは、私の菜園的解釈によれば、「セイタンのトーンを落とすことなく、ボディに対するコントロールを
保持しながら、ボディだけを眠らせること」、だろうと予想している。
検証はこれから、自分で実験してみたいと思っている。
-
fc140c88
anonymous
2010-04-06 20:27
- >>6dae0376
>その中に既に魂以外の何かについての記述がある
GEのことか?
もしも、GEならば、あれは、犬や猿の魂みたいなものではないのか?
もっとも、犬や猿も夢は見るらしいが・・・
ただ、通常は、人が眠ると、セイタンはボディのコントロール権限をほぼ全面的に、GEに委譲する
のかもしれない。だから、夢の内容がしばしば、動物的になるのかもしれない。
私が確かめたいことは、セイタンがそのような、自動機械への権限委譲を一切行わずに、
ボディを眠らせることが可能なのかどうか、ということだ。
-
5d630ad8
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-06 21:28
- >>fc140c88
>>6dae0376 は >>b5a25971 の"幅度が夢という現象を自分の枠組みでは理解でき
なかった"に対する反論に過ぎない。夢という現象をよく理解しなかったのは本
当かもしれないが、夢を処理対象としなかったのは、"枠組み"を守るためではな
い。
これはKSW#1にも書いてあることだが、当時の幅度は集団が真理を発展させると
いう考え方を持っていて、基本原理や技術に対して疑問が提示されることを嫌が
るようなことはなかった。
それに、そもそも、セイタン以外にGEやジョイナーが存在したとしても、菜園の
基本原理には反しない。«菜園公理»では"セイタン"について何も語られていない
からだ。
-
0c92ae1e
anonymous
2010-04-06 22:08
- >>0b6c2b11
物質宇宙が「マインド」の外にあるという見解は、所謂「マインド」を、個人の内部現象と看做す常識的限定から来た誤解だと思う。
「マインド」は集合的なものだ。言うなれば、集合的マインド内部に物質宇宙があり、個人に限定された所謂マインドがある。
『コピーすること』というプロセスは、集合的マインドの中に在る物質宇宙を個人的マインドにコピーしている。
ちなみに「物質宇宙の外」にある視点もその知覚も集合的マインド内部の現象だ。
しかし、集合的マインドの外へ出ることは可能なように思える。
超人的能力は、部分的にせよ、集合的マインドの外からくる。
いずれにせよ、明晰夢も身体(肉体、アストラル体など)もマインドの中での現象である。(死後の世界もモンローの言う各フォーカスレベルもみなそうだ。)
幅度はマインドの内外の現象と、マインドから脱却した現象とを混同していたのではないか。
彼の言うOTは集合的マインドを超え出た存在のことだ。
だから個人の宇宙にアプローチしている前段階のプロセスやOTレベルのプロセシングだけでは、一般人には到達困難だろう。
-
d9d98b80
anonymous
2010-04-06 22:23
- >>fc140c88
ボディーは眠るとはどういうことか?
夢游病で歩き回っているボディーは果たして起きているのか?
-
4863907e
anonymous
2010-04-06 22:26
- >>d9d98b80
ああ、あれは起きてると思う
-
2374456e
anonymous
2010-04-06 22:45
- >>4863907e
なら話は簡単だ。
ボディーが動かないようにしておけばいいんだからな。
ところでラバージは明晰夢を見ながら肉体のまぶたを意識的に動かして、
研究室の仲間に合図を送った、ってことを誇ってたよな。
夢の世界から現実の世界への世界初めての通信の快挙だとか。。。
POPのアーノルド・ミンデルは昏睡状態の人とのコムラインを確立するワークをしてたが、そのとき昏睡してる人のボディーは起きてんのか寝てるのか?
これはなかなかの公案だ。
-
ab837082
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-06 23:16
- >>0c92ae1e
大姉・菜園での"マインド"は個人用のものとして定義されているので、それが変
えられると、無用な混乱が生じることもある。
集合的マインドを、操縦士は"共有空間"と呼んだ。それを"アカシックレコード"
と呼ぶ人もいる。
どっちも気に入らなければ、何か別の用語を考案してくれないかな?
-
9b94bbdd
anonymous
2010-04-06 23:21
- >>ab837082
やっぱ操縦士の"共有空間"がいいな。
ところで最近オールドタイマーさんの文章は変わりましたよね?
-
a86faa68
anonymous
2010-04-06 23:32
- >>0c92ae1e
>物質宇宙が「マインド」の外にあるという見解は、所謂「マインド」を、個人の内部現象と看做す常識的限定から来た誤解だと思う。
これは、私の理解している、菜園的な意味でのマインドとは別のものを言っているような気がする。
(私は、黄金時代以前の人間なので、「マインド」いってしまうのだが、最近では「心」というらしい。)
以下が公式的な菜園における「mind」の定義(のひとつ)だ。少々長くて恐縮だが、・・・
最初の一文のとおり、セイタンとセイタンの環境との『間に』あるコミュニケーションとコントロールのシステムがマインドだと言っている。
したがって、私としては、環境のひとつである物質宇宙がマインドの中にあるとは、この意味においては理解できない。
mind
n. a communication and control system between the thetan and his environment.
The mind is a network of communication and pictures, energies and masses
which are brought into being by the activities of the thetan versus the physical universe or
other thetans. It is not the brain. It is the machines, circuits, facsimiles, memories and so forth
which are used in the individual's thinking process, plus the thetan.
A mind has to be alive to be considered a mind. Thus, a computer or electronic brain
cannot be a mind; it can only be a thinking machine, as there is no life connected to it.
"There can be a mind without a body - but we must not confuse the products of the mind
with the mind itself." [Scientology: The Fundamentals of Thought; Handbook for Preclears;
Lecture 3 Mar. 52 (#1); Lecture 14 Jan. 55 (#1); PAB 63, 14 Oct. 55; PAB 85, 22 May 56;
HCOB 9 July 78RA; HCOB 15 July 78RA]
>「マインド」は集合的なものだ。言うなれば、集合的マインド内部に物質宇宙があり、個人に限定された所謂マインドがある。
最近ダスカロスの『キリストのたとえ話』という本を読み始めているのだが、彼の言う「マインド(Mind)-この宇宙に存在する、
ありとあらゆるものを構築する大元となっている「聖なる素材」のこと。」を少々、連想させるな。
-
91d84d54
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-06 23:52
- >>9b94bbdd
文章が変わったという自覚はないが、最近、過去10年間で最大のコグが実生活上
で生じて、世界観が変わった。文章にも影響が出たかもしれない。
-
bbced655
anonymous
2010-04-07 00:40
- >>91d84d54
文章というより雰囲気が確実に変わったという印象を受けますね。
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f23d4587
anonymous
2010-04-07 00:54
- >>3b841413
治り方も何も、菜園は値段が法外すぎるよ。
菜園で治るまでに何百万掛けろって言うのよ。
>>f5308a64
>個人的には、来談者中心療法(ロジャーズ派)、ユング系(夢を扱うもの)など、
>街中でよく見かけるものは、壮大な詐欺と変わらないような気さえしてます。
>明確な技法と、素人でもはっきり実感できる成果が出ない療法は、
>仕事をしているのか、していないのか、ほとんど区別がつきません。
>また、傾聴したり、夢を扱ってもデータとしては自然治癒と変わりがない、という話も>昔から耳にします。
>この世界はホントにわけがわかりません。
全く同感です。
そもそも、週1回、45分くらいの傾聴で、一体何がよくなるというのよって話だね。
カウンセラーは本当にこんなんでよくなると思ってるのだろうか。
その程度だったら、菜園教会のスタッフだったら、何時間でも話聞いてくれるよ。しかも無料でね。
オーディティングをするまでもなく。
本屋や図書館に行けば、心理学コーナーに、いろんな心理療法の本がズラリと並んでるけど、
全くと言っていいほど役に立ってないんじゃないかって思うよ。
心理学者達は一体何をやっているんだ?
数十年前の菜園のマテリアルを使ったほうが、遥かにマシではないのか。
現在の心理療法がこんなんだから、皆、菜園教会みたいなカルトにハマっちゃうんだよ。
-
5cd73deb
anonymous
2010-04-07 01:16
- >>f23d4587
>菜園で治るまでに何百万掛けろって言うのよ。
まあまあ、気持ちは分かるがそこはひとつ大人になってだなぁ。。。
>そもそも、週1回、45分くらいの傾聴で、一体何がよくなるというのよって話だね。
ジェンドリン(フォーカシングの創始者)という哲学者がいて、彼はロジャーズの弟子でもあった。
彼の綿密な調査研究によれば、「傾聴だけで治る人」もいれば、そうでない人もいるのだと言う。
人間中心の思想を信奉する療法家の技能やメタスキルのことは置いて言えば、
君は運悪く、その「治る人」の範疇に入らなかったわけだ。
トラウマの治癒率では最高ランクのEMDRでさえ、成功率は86パーセント程度。
高度なNLP諸技能をマスターしているセラピストのアレルギー症状治癒率も約85パーセントと言われてる。
-
600494e9
anonymous
2010-04-07 01:33
上記投稿に続く。
このように、特定の症状に特化した療法であっても、治らない症例がある。
ならば不定愁訴や性格の問題、対人関係の諸問題等などは、
どのセラピーにおいてもそうそう治るものではない。
その療法がその人の、その問題解決にフィットするかどうかを判別するのは事実上、困難を極める。
-
b8bf9d5c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-07 07:24
- >>f23d4587
菜園は病気の治療を約束しているのではないから、治るかどうかを基準に金額面
での妥当性において評価することは適切ではないと思う。
菜園は、本来、菜園人に一方的にオーディティングを提供するサービスとして意
図されたものではなく、菜園人が自ら学び、使いこなす知識と技術の体系だ。
-
4b223cce
anonymous
2010-04-07 09:52
- というか・・・、なぜ無料ではないのですか?
宗教なのだから、自由献金が当然だと思うのですが・・・。
少なくとも、トレーニングで上るブリッジは全て無料にし、
自由に勉強してコー・オーディットでクリアーを目指す。
これで何の問題もないように思えるのですが。
菜園が本当に素晴らしいもので、得るものが多いのであれば、
たとえ無料だとしても、寄付はどんどん集まるだろうし、
そのほうがオーディターもたくさん量産されるのでは?
フリーゾーンの場合は、非公開は何もないし、
無料でソロ・ブリッジを上ることができる点で、かなり良心的って気がしますよ。
「菜園は本物だ!」と主張しても、説得力がある。
しかし、菜園教会の場合、あのサービス料金を見るだけで、やはりカルト臭を感じてしまいますね。
宗教団体で、惑星のクリアリングが目的だって言うのなら、タダでやってやれよと思うのですが・・・。
やはり宗教団体でお金を取る所は、絶対信用してはならないと思いますね。
多くの専門家がそう言います。
-
7f2b1e73
anonymous
2010-04-07 10:13
- そもそも、イベントのビデオ上映で見せられる、あのアメリカの豪華な会場は何ですか?
あそこまで豪華にする必要なんてあるんですか?
シーオーグだとか豪華客船とか必要あるんですか?
スタッフは「金儲けのためにやってるわけじゃない」と言いますが、
金儲けにしか見えないですよ。はっきり言って。
コース中に熱が出たと言ったら、熱を下げるオーディティングを施すから30万出せとか、
ハァ?って感じで、狂ってるとしか思えないね。
アレルギー症状が出たと言ったら、原因を見つけるオーディティングと治すオーディティングで大体200万くらいだったかな。
治るまでコースに戻すわけにはいかないから、強制だと言われましたよ。
そんな金ないと言ったら、借金しろと言われました。
病院行くか、治るまで休めばいいだけじゃないですか?
バカバカしくて菜園辞めましたよ。
あんなに金に汚くなければ、菜園ももっと多くの人に受け入れられて、
今よりずっと普及しているかもしれないのに。
本当に勿体無いです。
宗教が堕落してしまったいい例だと思います。
自由領域はそうならないでほしいです。
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