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61f39f42 anonymous 2010-02-19 22:18
>それにしても「身体を気化して」タオと同化融合するという還虚合道が、
>ナッシング(虚無)への帰還と同じものとはどうしても思えないな。

仙道書の類を読んでみても、宇宙から存在の痕跡ごと消えるとまでは書いてませんもんね。

fef625a1 anonymous 2010-02-20 00:15
もうだめだ
745c93ef anonymous 2010-02-20 01:20
>>61f39f42

>>仙道書の類を読んでみても、宇宙から存在の痕跡ごと消えるとまでは書いてませんもんね。
そうなんだよ。別段、菜園クチュアリー層の見解を否定する気はないんだけどね。
僕らリアリティー層に生息している人間からすれば、これは神秘だ。
単純に仙道に云う「還虚合道」をこの世界での一現象として捉えて、
その境地を成就した者は有機的身体であれ、幻影的身体であれ、自由に意のままに
創り出し、維持し、いつでも好きなときに消滅させる能力を得た、と考えた方がいい。

そして、菜園アクチュアリーの見解は菜園アクチュアリーとして考える。

「還虚合道に達した人は誰もいない」、という氏の見解は含蓄深いものがあるけど、
いろんな疑問が湧いて出てくるんだ。(プロセスが足らんな。)
そうなんだ。オレは「個人」という区別的発想から逃れられない。
「菜園的還虚合道」に「誰か」が達すれば、その子孫もいなくなるし、歴史も変わる。
しかし、その「誰か」という発想の枠組みこそが、その真相理解の妨げになるという。。。
ああ、このリアリティー世界の一切が幻想であっても、その幻想は変化するのではと思う。
一方で幻想は本来存在しないから、それが変わっても何も変わらないのかとも思う。
(記憶によるの継続性がなくなってしまえば、いかなる判断もできはしないが。)

あったま悪いよな~、オレ。orz
d5a614c6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-20 08:10
仙道の本来の形は、老子の教えに忠実な原始仙道であり、800を超える流派が現
存する現在、一般には文始派と呼ばれる派の教えに伝えられている。この派の中
核をなすのが"無人無我、無天無地"という考え方で、"他人も自己も天も地もな
い"ということを意味している。個別性と時空を超越する境地が語られている。

仏教各派が何らかの形で原始仏教の影響を受けているように、仙道各派もまた原
始仙道の影響を受けている。仏教には菜園があるように、仙道には大がかりな技
術体系を持つ青城派があって、その教義と実践は、房中術その他の丹法などのリ
アリティー層と、"無人無我、無天無地"を含むアクチュアリティー層から構成さ
れている。
aac6aef5 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-20 08:29
>>745c93ef

アクチュアリティー層の教義を学ぶことで、俺たちは何が虚無ではないのかを理
解することができるが、俺たちが俺たちである限り、何が虚無なのかを理解する
ことは実はできない。老子の言葉を書き下すと、"道の道なるは常の道にあらず"
となる。俺たちが常々"道"だと思っているものは道ではない。

虚無を真に理解してしまうと、時空と個別性を超越する。俺たちは虚無を理解せ
ずにいることで、自らを制限し、自らとその他を切り分け、過去と現在と未来を
切り分け、俺たちでいられるのだ。
986bc1e7 anonymous 2010-02-21 23:06
還虚合道の合道レベルが、自由領域のト-ンスケールで400.0だということですが、
これもまだ誰も到達していない境地だというのなら、
どのようにして400.0という詳細な数字が導き出されたのでしょうか。

やはり、とりあえずそう仮定した、定義したということでしょうか。
0c334775 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-21 23:14
>>986bc1e7

トーンスケールの数字はもともと勝手につけたもので、異なるトーン間の相対的
な比較ができることを除けば、特に重要な意味はない。

«技術辞書»より:

` TONE SCALE, 1. we have a gradient scale from space to matter which
` starts at the arbitrary number of 40.0 for our purposes and goes down
` to 0.0 for the purposes of Homo sapiens and to 8.0 for the purposes
` of estimating a thetan.

"the arbitrary number"(勝手につけた数字)という言葉がある。
a3df36a9 anonymous 2010-02-22 18:45
>>d5a614c6
スラムダンクじゃないのか!
14dcdd7f old timer i1b5ibip3kS 2010-02-22 21:16
>>a3df36a9

ここではむしろ«バガボンド»!
057d522a anonymous 2010-02-25 21:18

ご無沙汰しています。
オールドタイマーさんに質問ですが、エングラムを処理するタイプのプロセスを
集中的に行うと、私の場合いつもと言っていいほど、その晩、悪夢を見ます。
どうしてなのでしょうか?(再刺激されたチャージが完全に消去されないままだから?)
何かこれに関してアドバイスがあればお願い致します。
f12feb66 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-25 21:50
>>057d522a

エングラムが消去されたことを確認できたか?
5e5214a8 anonymous 2010-02-25 23:07
test
8a1ff33d anonymous 2010-02-26 01:32

エングラムの消去の指標は何でしょうか?(ポスチユレートの認識以外では?)
bbf61b89 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-26 09:12
>>8a1ff33d

ポスチュレートの再認識、TA < 3.0、FN、感情面で解放感や陽気さなど。
464d2dbb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-26 09:15
ソロならば、TA < 3.5あたりだろう。
e5c7d937 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-01 23:30
セッションの内容をセッション中に逐次的に記録した紙はワークシートと呼ばれ
ている。ワークシート用には、通常、リーガルサイズの紙が使われる。左手でメ
ーターを操作するので、A4サイズでは書きにくい。

多くのオーディターはリーガルサイズの紙を立て折りし、2列にして使う。各セ
ッションのワークシートの1ページ左上には、PCの名前とオーディターの名前、
右上には日付が書かれる。各ページの上辺中央あたりにページ番号が書かれる。

ワークシートには、オーディターとPCの発言のそれぞれを簡潔にまとめたものが
書き込まれる。プロセスの標準的な質問ならば質問番号が書かれるが、2WCの場
合にはオーディターの質問そのものを記述しなければならない。PCの発言は、当
然、基本的にすべて記録される。

経験豊かなオーディターの筆記は極めて速い。上級CSが英語話者であることが多
いため、日本人オーディターは日本語でセッションを取り行いつつ、ワークシー
トを英語でつけていることが多い。つまり、セッション中にリアルタイムで翻訳
を行っている。実際として、日本語でワークシートを記入するよりも、頭の中で
日本語を英語に翻訳し、英語で記述するほうが、手にとっては楽でもある。

セッション後、書き間違えた個所については赤色で訂正を記入する。
23cfa3e2 anonymous 2010-03-02 04:54
>>e5c7d937

ゲゲッ、教会のオーディターは頭いいんだ!英語が出来なきゃやれないねぇ。orz
aebae778 anonymous 2010-03-02 07:23
[[削除: db10cf3c]]
1e97d47a old timer i1b5ibip3kS 2010-03-02 18:41
>>23cfa3e2

新しい語圏に菜園が入って間もないころには、方針書も技術書も翻訳されていな
いので、英語を読み書きできなければ菜園を実践できない。

また、上級CSの育成には時間がかかるため、英語圏外でも、かなり長い期間に渡
って、英語話者が上級CSであり続ける。

セッション記録は上級CSが読めるものでなければならない。セッション中に自国
語でワークシートに記入し、一日のオーディティングスケジュールが終わってか
ら翻訳をするとなると、深夜まで仕事が終わらない。だから、語学が得意で、ワ
ークシートをセッション中に英語で作成できる人がオーディターとして長続きす
る傾向が強い。

教会内での個人的な見聞の範囲では、日本語でセッションを取り行いつつ同時に
ワークシートに英語記述できるオーディターの大半は、前世で英語話者だった。
頭がいいのではない。
d0889195 anonymous 2010-03-02 23:01
>>1e97d47a

そうか、そういうことなんですね。

で、長時間オーディティングを行うオーディターは途中眠くなったりボーっとなったりしませんか?
0185a50d old timer i1b5ibip3kS 2010-03-03 00:20
>>d0889195

眠くなる前にセッションを終えればいい。オーディターとして現役のころ、俺は
常々セッションを早めに切り上げることにしていた。

組織に属するオーディターには、セッションを長時間化するように上役から圧力
がかかってくるものだが、セッション中にはオーディターも体力を消耗するし、
クリアー前のPCの体力消耗はもっと大きい。セッションをむやみに長くすれば、
時間あたりの成果は落ちることがある。
bad1d71e anonymous [sage] 2010-03-03 12:13
前スレの563の、単一の出来事の処理のプロセスについてですが、うまくチャージを処理できたと感じる時と、集中力が続かなくうまく出来事を思い出せないときがあります。
なにか、このプロセスでコツはありませんか?
それと、ポスチュレートについてですが、もしかしたら捉え方を間違えてる可能性があるので詳しい説明をして貰いたいです。
出来事が消去できたと感じた時に、出来事の間に生じたポスチュレート(決意や決断)を確認するとありますが、具体的な実例を出して説明をして頂けますか?
71f92425 anonymous [sage] 2010-03-03 12:16
すみません。
間違えて3回も同じ投稿をしてしまいました。
91264657 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-03 16:20
>>bad1d71e

セッションを受けるPCは睡眠時間を最短でも7時間/日を必要とする。また、きち
んとした食事で十分な栄養を取っておくことも重要だ。

俺は >>bad1d71e のワークシートを読んでいるのではないので、はっきりしたこ
とはいいにくいが、大姉で出来事の視覚情報(ヴィジオ)や聴覚情報(ソニック)を
得るには、出来事の継続時間をきちんと特定しておかなければならない。おおむ
ね、大姉はかなり厳密に手順に従う必要があるプロセスだ。

プロセス ― 特に大姉 ― をうまく扱えるようになるには、人形や縫いぐるみを
PCに見立てて手順を練習するのがいい。教会でも自由領域でも、熱心なオーディ
ターは陰ながらそういう努力を積み重ね、全ての分岐を含めて手順を熟知してい
る。タイムトラックを操作するコマンドは全く躊躇なく発せられて初めて本来の
効果を発揮する。

ポスチュレートは決意や決断で、具体的な実例はいろいろある。最初のうちは、
"もっと強くなってやる!"とか、"もう二度とこんなことをしない"とか、そうい
う形になることが多い。クリアーに近くなると、出てくるポスチュレートの傾向
は変わる。
43f6a3fa anonymous 2010-03-03 18:37
大姉読み出したばかりの菜園初心者ですが、、いつも思うのは、
正当な心理療法でも、このくらいきちんと監督が記録を読んで看視してほしいということです。
個人開業の心理療法って、だれもチェックもしていない。
密室で何が行われているのか不透明なまま。その心理療法やカウンセリングが正当なやり方なのか、正しく行われているのか、これを第三者が監督する必要が絶対にあると思う。

精神医療やカウンセリングで、逆にトラウマになってしまったというか、問題を複雑化させて手に負えなくなってしまったような感じさえあり、菜園を横目で見ている現在、つくづくそう思います。

884bf363 anonymous 2010-03-04 01:22
>精神医療やカウンセリングで、逆にトラウマになってしまったというか、問題を複雑化>させて手に負えなくなってしまったような感じさえあり、

激しく同意。
俺が昔行った所も、あまりに役に立たんかった。

「治す方法なんて無い」と言われたり、菜園の話をしても全く信じないし・・・。
いくらオーディティングが結構効いたと言っても、洗脳だとしかみなされなかったね。

投薬なんて治療とは言えないし、傾聴だけで改善するとはとても思えない。
一人で瞑想したり、友人の励ましの一言のほうが遥かにためになったね。

それこそブッダの言葉でも読んだほうが前向きになれる気がする。




47e8e821 anonymous 2010-03-04 01:26
>教会内での個人的な見聞の範囲では、日本語でセッションを取り行いつつ同時に
>ワークシートに英語記述できるオーディターの大半は、前世で英語話者だった。
>頭がいいのではない。

あの人もそうだったんだな。
どうりで・・・。 
817b5882 anonymous 2010-03-04 02:45

菜園オーディティングは熟練した技術者を思い起こさせます。

個人開業の臨床経験の深い心理療法家は云わば靴屋の職人や背広の仕立て屋のよう。

どちらもピンからキリまで様々だけど、こと菜園に関しては、行き詰まりの局面において個人的勘に頼る前に、当確のセッションにおいて、なすべき事が手順に沿って正確に
なされていたか否かを判断する仕様書(技術体系)とスーパーヴァイズの仕組みとが
完備されてるのですね。
すごいことです。
124ec99f 43f6a3fa 2010-03-04 23:56
自分の場合には、究極に状態が悪いときは、放送大学のカウンセリングの授業を聞いて、
状態を落ち着かせていました。
これが苦し紛れの精神安定剤のようなものでした。

なにか不成仏霊に般若心経でも聞かせてるみたいですが(笑

一部の大家はやはり確かにすごい力量を持っていると思ったのですが、
そこらの臨床家になると、どうしようもなくまるでダメで、こちらの状況、心境も理解できない、というのがザラでした。

ちなみにアバターで「創造するのをやめなさい、経験しなさい」
さっき開いたダイアネティックスに「再生するのとエングラムを通り抜けるのは全く違う」とありましたが、
アバター受講後、十年ぶりぐらいに、最悪な記憶となっていた精神科医と心理療法家の名前をネットで検索してみると・・・・

なんと精神科医は殺人を犯して刑務所に収監されており、心理療法家はネット上で「パワハラ」として散々叩かれていました。

これはあまりに強烈な体験で驚きました。エングラムが消去されたというのかどうか知りませんが、これにまつわる最悪な心象は完全に消えました。

もうここまでの経験があると、「精神科医が悪の元凶!!」みたいな菜園の主張とほとんど同じようになってきてしまうのが苦笑ですが。

54221f17 anonymous 2010-03-06 00:42
菜園の精神科批判は逆に異常だと思うけどね。
オウム事件や911事件の黒幕まで精神科医だと言ってるし。

でも、確かに精神科医は全く役に立たんと思う。
なんで存在するのかわからん。
心の問題を抱えたことないような人が、薬で治そうとか、どうかしてるよ。
9cc3b9d1 anonymous 2010-03-06 20:35
いや逆にというか、異常だとは思いますよ、もちろん。

精神医学を批判する団体でも、菜園とは関わりたくない、というところが多いそうですね。
精神科医にも菜園にも、どちらにも大きな問題があるのが問題ですねぇ・・・・

薬なんて原因の解決じゃないことは誰でも分かりますからねぇ。
996df6cb old timer i1b5ibip3kS 2010-03-06 21:44
妹の夫が精神科医だ。彼の話によれば、精神科医で名医といわれる人には、自ら
何らかの症状を抱えている人が多いらしい。彼の以前の勤め先には"チック症の
博物館"と呼ばれる名医がいたそうだ。そういうこともあってか、彼は自らがア
スペルガー症候群持ちであると主張し、それを何度も証明しようと努めてもいる。

俺が思うに、療法家自らが患者と同じ症状を抱えていることではなく、療法家が
療法を受ける立場に自らを置いたことがあることが重要なのだろう。菜園のオー
ディターは、確実に、PCとしての経験もある。菜園のオーディティングの理論や
定型技法に何らかの問題が残っていても、オーディター側のPCとしての経験は安
全装置のように働くはずだ。
0eb626cb anonymous 2010-03-07 02:08
将来、海外のフリーゾーンでブリッジを昇ることを検討しているのですが、英語素人が話すのはかたことでも、ヒアリングを日本語と同様に、違和感なく身に付けられる様になるには、どれくらいの期間を必要とすると思われますか?
a55b2a9e 43f6a3fa 2010-03-07 03:09
自分自身、心身ともに相当に病み、死の淵を綱渡りしながら生きてきましたが、
身体症状の名医にも、自身が病気持ちとして、相当な苦労をした方が多いです。

心身相関症状で西洋医学(内科・精神科含む)が全く役に立たなかった経験から、
漢方・鍼灸・カイロなどの代替医療(?)に走りましたが、鍼灸、カイロの中で凄腕の人たちは、
いずれも自身が患者として相当に苦しんだ経験と、医者めぐり、療法家めぐりを経験した人達でした。
患者の経験がある人達は、探究の仕方が段違いです。
鍼灸の先生いわく、50軒回って、効いたのは2.3軒あったかどうかぐらい、とのこと。

結局のところ、動機の違い、求道心の違い、ということになってくるのだと思います。

ところで、話は変わりますが、old timer氏には個人的に大師というイメージすら持っております。
大姉大師または菜園大師とでも諡号したくなる感じです(笑


しかしながら、菜園教会組織が危険すぎるとなると、日本語話者はどうこでどうオーディティングを受ける機会があるのでしょうか・・・
ほとんど無いような気がしますが・・・
5c95fecf old timer i1b5ibip3kS 2010-03-07 11:39
>>0eb626cb

年齢にもよる。

10代ならば、環境がどうあれ、Flow 1とFlow2に限定すると、約半年で問題がな
くなるだろう。

20代ならば、オーディターとしての訓練を並行実践することで、会話の機会を極
端に多くしても、約1年くらいはかかると思う。
cfb75983 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-07 11:53
>>a55b2a9e

アメリカでも、菜園の歴史の初期には、オーディターの数はとても少なかった。
だから、オーディティングを受けたい人同士が集まって、自らオーディターにな
り、互いにオーディティングを施した。

1960年代の半ばまで、菜園の実践者はPCであるとともにオーディターでもあった。
だから、橋はそれほど高価なものでもなかった。

その後、オーディターが職業として固定化し、オーディターとしての訓練を全く
受けることなくクリアーやOTになろうとする人が増えた。橋は高価になり、菜園
と周辺社会との間の摩擦は、宗教的なものに加えて経済的なものも含まれるよう
になった。

お金がたくさんある人は、教会組織を利用しても、自由領域に参加している個人
オーディターや組織を利用してもやっていける。

お金を節約したいならば、自らオーディターとして頑張るか、全てソロで実践す
るしかない。

俺がやれることは、今年の8月から、«Self Clearing»を皮きりに、自由領域文献
の翻訳を進めていくことくらいだ。幸いにして新月にはファイルをアップロード
する機能があるので、配布には困らない。
d2ea58f6 anonymous 2010-03-07 20:07
このスレにはついていけない・・・・
db32456b anonymous 2010-03-08 02:11
ここに書き込んでる人は、死ぬのは怖くない?
俺は正直物凄く怖い。できれば死にたくないw
菜園が言う何十兆年の魂の歴史は真実なのかもしれんが、
一方でやっぱりそれって単なるフィクション(作り話)じゃないかという疑念が消せない。本当は死んだら終わりじゃないのかってね。
菜園では「死」というのをどう捉えているのか?
15b24aef anonymous 2010-03-08 03:49
>>db32456b

僕はかつて肉体の死がとっても怖かった。痛みや苦しみ、
そして死に際の醜い姿を人にさらすことに抵抗があった。そしてそれがすべての終わりだという観念にも真実味を持っていた。
今でもその気持ちは完全には拭い去れていない。

しかし今は自分が死んだ後の、家族の精神面のケアや食い扶持の心配の方が大きい。
肉体なくして「この世」においては、意図的な活動はできない、という思いが強烈だからだ。
もし、自分がOTであれば、その障壁を潜り抜けられるだろう。そこに希望を見ている。
死は怖い。だが今は自分の肉体上の死を怖れるよりも、残していかなくてはならない者たちの方が気になる。
このような気持ちになるまでに、僕は25年も掛かった。もっと早くワークに出会えていたならと思う。
0d6589c4 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-08 09:32
>>db32456b

現行生涯より前に菜園を経験した転生菜園人にとって、肉体が死ぬことそのもの
は恐くない。過去に肉体が死んだ時の記憶がたくさんあるので、俺自身が死ぬの
ではないことに確信がある。この生涯で再び菜園にかかわる前、アメリカで拳銃
を突きつけられたことがあったが、それも全く恐くはなかった。

むしろ、恐いのは転生の結果だ。

感覚面に深刻な障害を持つ肉体に宿ってしまったら、活動は大きく制限される。
アフリカの紛争地帯で少女兵士になってしまったら、夜は男たちにレイプされ、
昼は前線で銃撃戦を強いされる。自然による不都合と人為による不都合の強制が
恐い。
d144980f anonymous 2010-03-09 03:43
>>0d6589c4

転生先を選ぶことはままならないのですか?
9b5f44b0 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 09:10
>>d144980f

俺の現在のパワーとケースレベルでは転生先を自由に選ぶことはできない。次の
転生先は今のところ北欧になりそうだが、これは明日にでも変更されるかもしれ
ない。

転生時に俺ができることは、記憶と技能の認知保持くらいのものだ。
b8a6231c anonymous 2010-03-09 12:04
転生先を選べるようになるには、一体どれくらいのレベルになればいいのでしょうか?
d4e6577e old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 16:27
>>b8a6231c

自己の断片のうち、この宇宙内部で魂や体魄(BT)として活動中のものすべてを回
収すれば、この宇宙内の転生先の選択に他の魂との競合によるもの以外の制限は
とりあえずなくなると思われる。

その状態に近づくほど、選択の自由は大きくなる。
d2bc96b9 anonymous 2010-03-09 17:13

自由領域実践家が現在実際に行ってる、自己の断片回収の基本的手順をいつかご教示していただけますか?

テレパシー的に自己の断片に呼びかけ、こちら側へと注意を向けさせることや、
慈悲の瞑想等によって、自己の断片の分離要因に対するこちら側の抵抗感を緩めること。
また再統合しにくい断片に関しては、断片に、分離の瞬間を大姉で潜り抜けさせチャージを消すこと。
などのことは、菜園あるいは自由領域ではどのようにテキスト化(手順化)されているのでしょう?
a1c30732 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 17:36
まず、NOTsは他者の断片を取り除く。他者の断片にテレパシーで話しかけ "What
are you?"(あなたは何ですか?)、"What were you before that?"(その前にあな
たは何でしたか?)で処理する。これでうまくいかない場合、他者の断片がやって
来た時を大姉で処理する。あるいは、極単純なNOTsという手もある。

慈悲の瞑想は試験的に実践している人がいるだけで、広範に普及しているのでは
ない。理論上、GPM処理を続けても同様の効果が得られるはずで、GPM処理のほう
が遥かに人気がある。俺は古典的なゴール処理が好きだが、あるゴールの処理を
終えて次の処理すべきゴールを見つけるのにトーンスケールを用いるAspectika
というものもある。

分離の瞬間の処理は標準的な大姉そのものだ。
2a52a6fc anonymous 2010-03-09 22:25
ちょっと待ってくれ。なぜ、みんな肉体の死後、再び転生することを選ぶんだ?

転生は執着の結果だというのが、仏教などの基本的な教えではなかったか?
もう転生しないでいいように、様々な宗教的な教えがあるわけだろう?

原始仏教のように欲を捨てたり、あるいは、阿弥陀仏を拝んだり、チベットの死者の書の教えとか。
禅宗だったら「自分=その他の全て」に気づくことかな?

こういった教えを踏まえると、来世を考慮するってこと自体、時間の輪から抜け切れていない、菜園が目指すところであるはずの悟りからは程遠い状態だということになりはしないか。

確か、教会スタッフのほとんどは、異常なまでに未来生に拘っていたな。
未来に再び肉体として生まれ変わることを前提として物事を考えていた。
366297c3 anonymous 2010-03-09 22:54
ここって宗教スレか?
f05de4b0 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 23:00
>>2a52a6fc

その件は2chのスレで何度か語ったことではあるが···

俺自身は確かに菜園が最終的な境地として目指す悟りからほど遠い。

しかし、菜園は仏教パワールートの1つなので、能力の回復を積み重ねて悟りに
至ろうとする。俺が近未来に叶えたい希望の遠い遠い延長線上に、菜園の最終的
な目的があれば、俺の実践はそれでいい。
6cad257b anonymous 2010-03-09 23:48
多分、菜園教会に関わった多くの人が、肉体の死後、強制的に再び人間に転生することになると勘違いしていると思う。

より優れた肉体をゲットすることがどうのこうのとか、
また生まれ変わることが前提で議論をする。

多分、前世の記憶が甦ったりするから、当然、来世もあると判断するからだろうけど・・・。
反応心を消さないと、来世も反応心はそのままだという強迫観念に駆られている。
19535171 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-10 00:12
>>366297c3

ここはとある宗教のとある派についてのスレだ。

>>6cad257b

あらゆる問題を解決できるようになれば、どのような問題も解決する必要がない。
問題解決能力を獲得することで、問題解への執着を消し去るのが仏教その他パワ
ールートの特徴だ。

一気に執着を捨てたい人ならば、菜園ではなく他の何かを選択したほうが良いだ
ろう。

菜園人が獲得する転生時の随意記憶保持能力は、まぁ、スピリチュアルなモラト
リアムといっていい。俺自身は、もうちょっと能力を引っ張り上げて、短くとも
10億年くらいはそのモラトリアムを楽しむつもりでいる。
4bad4fd0 anonymous 2010-03-10 09:27

世界に散乱した自己の回収と自己にあらざるものの分離こそが「私」のやることだ。
これはマニ教の時代から変わらぬ課題であり、それこそが自己の根源的全体性の回復だ。
この過程が進むにつれ転生への強制力は意味を失い、かつ究極的には輪廻しようがしまいが、どちらでもでもよくなる。
そのときこそ輪廻転生というコンシダレーションが無化されるだろう。
道の途上においては、能力の土台たる土壌は肥沃化され、それを用いて楽しむことも自由だ。
2de64236 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-11 13:56
自由領域での菜園の実践は、幅度由来の教義に必ずしも縛られない。俺はどちら
かといえば保守派なのだが、理論に反しない範囲で他の体系からの実践を取り入
れている。

原始仏教の慈悲の瞑想(Metta Bhâvanâ)は菜園の構造的な実践にそのまま収まり
やすいが、仙道はそうではないので、セッション外で菜園と並行して実践してい
る。

中国で仙道が生まれた背景には、もちろん、道家思想もあるが、苛烈な政治と内
陸の峻厳な冬が無関係ではないような気がしている。仙道を実践すると、体がや
たらと寒さに強くなる。気を練って体の左右中心軸に沿って動かすのも、もとも
とは、寒さに耐えることを目的とした実践であった可能性がある。体を温めよう
としていたら、強く練られた気が偶然に周ったのではないだろうか?

これを確かめるために、小周天を行おうとせず、丹田で気を練り続けてみたとこ
ろ、それだけで気は腰の命門まで動いて行った。振動を感じたので、腰を気の壁
に押し付けてみたら、ビーンという音が聞こえた。

この方向に新しい突破口が開けそうな気がしている。
7f35155d anonymous 2010-03-11 19:22
>>2de64236

僕の仙道的実践では、「振動」の強度が射精した後では数日間弱まる傾向があります。
オールドタイマーさんは、そういうことはありませんか?
しばらく「断射」していると振動が全身を包み、法悦状態と言いますか、(まあ、言うなれば唯の強烈な快感なんですが)それを体感できます。
しかし、「出してしまう」とそれは長時間粘っても経験できなくなります。
「出し方」に問題があるのでしょうか?(例えばもっと長く異性と触れ合ってから発射するとか・・・)
284f02bd old timer i1b5ibip3kS 2010-03-11 21:18
>>7f35155d

そのあたりは個人差があるのではないだろうか?

俺は性行為の影響を感じたことは皆無だ ― つまり、行為の直後でも振動を起こ
せる ― が、十分な睡眠 ― 少なくとも直前の夜に8時間 ― を取っていないと
全く、本当に全く気を練ることができない。

日曜日以外に仙道の実践ができなくて不自由だ。
7c7ba6c7 anonymous 2010-03-12 00:40
>>2de64236

「この方向に新しい突破口が開けそうな気がしている。 」

ここで言われる「突破口」とは何を指しておられるのですか?
34249e3e old timer i1b5ibip3kS 2010-03-12 08:19
>>7c7ba6c7

大周天や六神通のこと。目当ては4次元操作能力だ。

それを獲得することで、大姉をさらに深く実行できることになる。
07adc1c6 anonymous 2010-03-12 19:59

「気を練ること」で現れるあの「振動」は、いったい何なのですか?
f2cdb399 anonymous 2010-03-12 20:27
正直あたまいっちゃってる
b67959f6 anonymous 2010-03-12 23:40
>>f2cdb399

いつもチョコチョコ突っ込み入れるのお前か?
鬱陶しいからいちいち書き込むな。
5d77b5fe old timer i1b5ibip3kS 2010-03-13 07:24
>>07adc1c6

魂の能力の1つだろう。
9a50fa64 anonymous 2010-03-20 21:22
>>b67959f6
まぁまぁ落ち着け。
そんなヤツ相手にするな。
58ce6c4b 名無し 2010-03-23 16:38
テスト投稿
e60dece7 anonymous 2010-03-25 10:35
菜園の言う究極の悟りの境地、還虚合道レベルに到達することなんて
永遠に不可能なんだろうな、きっと・・・。

もちろん菜園に限らず。

これまでに到達した人は誰もいないし、これからも到達する人などいない。
それが真実な気がする・・・。
b72ef266 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-26 11:05
>>e60dece7

その通り。時間を超越しなければ、"永遠に"不可能だ。
76309848 anonymous 2010-03-26 23:07
>>b72ef266

時間が存在する、と言うコンシダレーションの上位に立つには、どのようなプロセスをどこからはじめるのですか?
9fb65954 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-26 23:24
>>76309848

俺も時間を超越していないのだから、当然、俺にもわからない。わかってしまっ
たら、多分、俺はこの宇宙に最初からいなかったことになるに違いない。
97edd354 anonymous 2010-03-27 09:50
うわっ、きたきたきた!
6171007b anonymous 2010-03-27 09:55
時間を超越出来ても還虚合道は不可能という気がするが・・・。

時間の超越くらいなら、宇宙人とかがやってることなのでは?
22c8a05f old timer i1b5ibip3kS 2010-03-27 10:08
>>6171007b

そうかもしれない。

時間の超越なんて主題は、今の俺の現実からはとてつもなくかけ離れたことなの
で、わからないことが多い。
a68be0bd anonymous 2010-03-27 16:17
>>22c8a05f

この道においては、何故か「自分ができることしか知らない」といった立場に
謙虚に留まる人の発言が少ないので、上記のコメントには非常に好感を持ちました。

オールドタイマーさんほどの方であれば、どこかからの情報の提示にせよ、
公理からの推論にせよ、個人的なコグからであれ、語れることは沢山あるはずだからね。
777ec00a old timer i1b5ibip3kS 2010-03-27 17:15
>>a68be0bd

まぁ、 >>76309848 からの流れが本当に難しい話なのだ。

時間を超越している状態そのものを説明することは、時間を超越していない俺に
は不可能だ。代わりに俺がやっているのは、時間を超越していない状態のいくつ
かの側面を否定することくらいだ。

"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
る"なのだ。

現実の俺のパワーとケースレベルでは、水に浮かべたごくごく軽い物体を動かせ
ることがある程度だ。残念なことに、これもいつでもできることじゃない。軽い
ものしか動かせないのはパワー不足で裏NOTsがまだまだ足りないことを意味して
いるし、不安定なのはケースレベルが低すぎることを意味している。

教会でも自由領域でも一般にこれを認める人は少ないのだが、"コグ"は多く、躍
進はほとんど起こらない。宇宙の真理めいたことを語りながら、生活修復オーデ
ィティングが時々必要になるという人が結構いる。つまり、"コグ"だけが空回り
している。

この種の"コグ"って、たいてい、菜園本のいい回しを変えただけだ。入門者や初
心者がそういうコグをいえば大したものだが、菜園歴10年以上がそれをいうと、
なんだか痛々しくて同情を禁じ得ない。

とはいっても、"物質宇宙の底辺からやっていく必要があることが分かった"みた
いな素晴らしい本物のコグが語られることもある。これは、"神は死んだ"のニー
チェとか、宗教を"人民の阿片である"としたマルクスに独力で追いついてみせた
んだから、実に素晴らしい。(念のためにいっておくと、マルクスは"神が人類お
よび人間自身を最高たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、神はこの目
的を達成しうるための手段をさがしもとめることを人間自身にゆだねた"とも語
っていて、宗教を批判したが、信仰やスピリチュアルなものを捨てていない。)

閉塞感はあるものの、自由領域は前進を続けている。
a385c69a anonymous 2010-03-27 17:46
>>777ec00a

うぅ~ん「"ある時点からいることになっている"の否定が、
"最初からいなかったことになる"なのだ。」

これはスゴイ!
a3eb02e1 anonymous 2010-03-28 01:06
すいません、2ちゃんねるのスレはもう使わないのですか?

いちいちチェックするのがめんどくさいので・・・すいません。
bbd35a36 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 08:01
>>a3eb02e1

2chのほうに質問などの書き込みがあれば、応答する。
48a3f1ac anonymous 2010-03-28 10:34
>"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
>る"なのだ。

これって、還虚合道などの、所謂「到達する境地」ではなく、今、すでにそうなんじゃないでしょうか?

そもそも、ある時点からいることになっているってこと自体がすでに幻想というか。
そういった仏教だとかスピリチュアルだとかの教えって多いですよね。

そう考えると、やはりこの宇宙から存在の痕跡ごと消えるということは達成不可能という気がします。
もし自分の宇宙から存在が消えるなら、自分だけでなく周りの宇宙も消えないとおかしいのではないでしょうか。

あと、解脱より還虚合道のほうが遥かに上というのにも疑問を感じます。
そもそも、同一直線上にある境地なのかなと。
a132c1bc old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 11:16
アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、"ある時点からいることになってい
るってこと自体がすでに幻想"ということになる。

そして、アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、宇宙も既に幻想ということ
になる。

そういうことは仏教でも、菜園でも、入門段階で教えられる。しかし、そう教え
られても、幻想 ― リアリティー層でいえば、現実 ― が即座に解決されるので
はないから、プロセシング ― 出家とか、修行とか、オーディティングとか ―
が必要になる。

つまり、プロセシングについて語り始めた時点で、アクチュアリティー層ではな
くリアリティー層の話になる。
07a2e536 anonymous 2010-03-28 22:27
では、リアリティー層からアクチュアリー層に移行するのは、どの段階からになりますか?
b1060de7 anonymous 2010-03-28 23:16
>>07a2e536

プロセシングが不要になれば、リアリティー層を卒業することになるだろう。

あらゆる条件において、解決されるチャージのほうが、発生するチャージより多
くなれば、プロセシングの必要はなくなる。
811cccb4 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 23:17
トリップをつけ忘れた。

>>b1060de7 を書いたのは俺だ。
39b80a13 anonymous 2010-03-28 23:47
最近、慈悲の瞑想を毎日やっているのですが、時間があれば一日に何度も繰り返してた方が効果が出るのでしょうか?
それとも、決まった回数だけをやるだけでも十分でしょうか?
それから、嫌いな人々、自分を嫌っている人々を思い浮かべる時に、特定の誰かを思い浮かべた方がいいのか、それともそういう感情にいたる不特定の誰か(自分と直接の関係はないけれど、関われば嫌いになるような遠い存在の人やそういう感情そのもの)を思い浮かべた方がいいのでしょうか?
特定の誰かにしてしまうと、それが過去の人だったり、この人のこういう所は嫌いだけれども、その人自信を否定する気にはなれないと思ってしまうのであまりピンときません。
不特定の誰かでやってみた時は、単一の出来事の処理のようなチャージが消去されるような感じがする時がありました。
87b24f09 anonymous 2010-03-28 23:56
>>39b80a13
の訂正ですが、一日に何度も繰り返すではなく、一回に何度も繰り返した方がの間違いです。
41ddb763 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-29 00:02
>>39b80a13

決まった回数だけやることを進める。慈悲の瞑想はメタプロセスだが、一時的な
オーバーランが生じることもあるだろう。

菜園では、特定の人物をそのまま扱うよりも、一般化された形で扱ったほうが良
いとされている。例えば、「俺の父親」「クーパー氏の父親」よりも、「ある父
親」のほうが良い。「俺の父親」「クーパー氏の父親」では、処理対象となる範
囲を小さくし過ぎていて、ケースレベルが上がれば無意味になる。

同じことが慈悲の瞑想に当てはまるかもしれない。
8ab55ea6 anonymous 2010-03-29 00:58
2chのスレ使えよ。
俺のHDDを使うんじゃない。
a1665765 anonymous 2010-03-29 12:11
>>41ddb763
オーバーランになる場合は、なったとわかるのはどういう心的状態になるのでしょうか?
4e4cc444 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-29 12:46
>>a1665765

気分としては、嫌になる、飽きる、うんざりする、といったことが起こる。アイ
テム処理のEPまたはプロセスのFPやEPを突き止めることで状態を解決できれば、
オーバーランがあったことが確定する。

FPやEPを突き止めることができない場合、アイテム処理やプロセスはオーバーラ
ンされていない。その気分の原因はケースの再刺激またはアウトルードメントな
ので、プロセスを継続したり、ルードメント処理を行って状態を解決する。
68d63e15 anonymous 2010-03-30 10:00
慈悲の瞑想で思いだしたのですが、以前話題に上がったチベット密教版慈悲の瞑想、トンレンについてです。

トンレンは相手の悪い気を吸い込んでしまい、本当に自分の調子が悪くなってしまう危険性があるとのことでしたが、
調べてみると、トンレンで調子が悪くなったという例はないという話です(気功とは違うのかな?)。

というより、むしろトンレンの主眼は、「本当に病気にはなったらどうしよう」とか、
「相手の悪い気を受けたくない」といった思いを乗り越えることにあるようです。

「人の苦しみを自分が代わりに引き受ける」という思いを養うわけですから、
自分の調子が悪くなることを恐れていたら、それは自分の利益のためにやっている瞑想であって、
慈悲の瞑想でもなんでもないということになります。

原始仏教の慈悲の瞑想も、本来は何かを獲得するために行うものでなく、
ただ単純に慈悲の心を養うために行うものなんじゃないかって思いましたね。

しかし、トンレンは菜園でいうところの逆NOTsにあたるという話は興味深かったです。
この辺りを詳しく説明して頂けないでしょうか。

4fd1377c old timer i1b5ibip3kS 2010-03-30 12:39
>>68d63e15

その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。

Scientology-Freezoneについて 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243780138/592

` トンレンで吸い込まれたBTが、一般的なPCにおいて、必ず解放されるかどうか
` はわからない。

` トンレンを生んで800年にもなるチベット仏教は、権力の座にありながら、農
` 奴を解放できなかった。チベットの数多くの僧侶と貴族に、慈悲深い精神性は
` 育たなかった。Stuart GelderとRoma Gelderが書き、1964年に出版された
` 『The Timely Rain: Travels in New Tibet』によれば、チベットの僧侶は、羊
` を2頭盗んだ農奴の目をくりぬき、手をつぶしたのだとか。中華人民共和国成
` 立より前の1929年に出版された、Anna Louise Strongの『Tibetan Interviews』
` でも、チベット僧侶の残酷さを伝える証言が多数掲載されている。

欧米人の手によって書かれ、チベット僧侶たちの残酷さを伝えている書物は30冊
くらいある。農奴の存在したことについてはダライ自身が«Freedom in Exile»で
肯定している。また、イタリアのメガチップスのサビーナ·モランディーは、僧
侶たちに対するチベット人民の憎しみが、アメリカCIAによるチベット独立工作
を阻んだことを指摘している。

NOTsと裏NOTsは他人の断片を他人に返し、自分の断片を再回収する。他人の断片
を吸い込むことは、NOTsの効果に逆抗する。

トンレンの効果には疑問の余地が大きく、しかも、他人の断片を吸い込むという
点で、NOTs系の基本原則に反している。

一方、慈悲の瞑想ではフローバランスも考慮されていて、菜園の基本原則に反し
ない。

保守的な菜園人にとって、トンレンの実践に踏み切る理由はない。
db4c42ff anonymous 2010-03-30 22:53
隔離タグwww
24cd601f anonymous 2010-03-31 10:14
他人の断片を吸い込む・・・というのはよくわかりませんが・・・。

>その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
>の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。

これには疑問を感じます。
私もたまにトンレンを行いますが、トランスパーソナル心理学で有名なケン・ウィルバーも言っているように、
これは人を劇的に変容させる力を持ったプロセスだと思います。
嫌いな人に対して行うと、その人に対する否定的な感情が和らぎます。

>>4fd1377cで挙げられたチベットの僧侶達の現状に関してですが、
これはトンレンなどのチベット仏教の行法が効果がないからではなく、
それらをちゃんと実践していないからだとは言えないでしょうか?
チベット密教の本などを読んでみても、教え自体が間違っているとは思えません。

それにそれを言うなら、昔の日本の僧侶だって、仏の教えを実践しているはずが、
僧兵になったり破戒僧になったり、とても仏教を学んでいるとは思えない行動をしていました。
しかしだからと言って、日本の仏教の行法自体が効果がないものだとは言えないでしょう。
また、キリスト教などもそうで、隣人への愛を説いているのに、キリスト教国であるアメリカは戦争ばかりしています。
しかし、これもまた、キリスト教の教え自体が間違っているからとは言えないと思います。

結局、理由は、ちゃんと実践してないからだ、ということにならないでしょうか?
93c03f06 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 12:23
>>24cd601f

そなたがトンレンを行って得た結果を否定するつもりはない。しかし、プロセス
を実践に取り入れるかどうかを判断する際に、個人が得たコグは、保守的な菜園
人にとって判断材料として重要視されるものではない。その個人がそなたであれ、
ケン·ウィルバーであれ、菜園創始者であれ、保守的な菜園人の態度に変わりは
ない。実際、幅度がXenu挿話を菜園に持ち込んだ時に、多くの保守的な菜園人は
教会を去った。

他の体系のプロセスを取り入れるかどうかにまず考慮すべきことは、それが菜園
の基本原理に沿うものかどうかということだ。次の考慮すべきことは、それが広
範な実践においてはっきりとした効果を上げているかどうかだ。

トンレンは菜園の基本原理に沿っていない。既にこの時点で、保守的な菜園人に
とって、トンレンを実践に取り入れる動機はほとんど生じない。しかし、ここで
菜園の基本原則のほうが不完全である可能性も、もちろん、残っている。

そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
ことになる。仮にトンレンが実践されていなかったとしたら、そもそも、広範な
実践そのものが存在しなかったことになる。
51be0156 anonymous 2010-03-31 12:53
私はトンレンを菜園の行体系に取り入れろと言ってるわけではありません。

トンレンを実践は、自分が本当に調子が悪くなる危険性があると、オールドタイマーさん自身がおっしゃっていたので、
自分の実践経験や、ケン・ウィルバーなどの見解から、どうやらその危険性はないようだと、
そして、自分が他人からの悪い影響を受けたくないというエゴを超克することこそが
トンレンという行法の真の目的でもあるということを書き込んだまでです。

しかし、私はトンレンの効果がどうこう言うこと自体がナンセンスな気もしています。
そもそも、他人の苦しみを自分が引き受けようと思うこと自体がすでに慈悲だからです。

慈悲の瞑想に限らず、自分に何らかの効果を期待して行うのが目的なのであれば、
それは慈悲とは言えないのではないでしょうか。

自分の片割れを回収するためだとか、パワーの回復、能力の獲得などを目指して行う瞑想なのであれば、
それは慈悲の瞑想であろうと、トンレンであろうと、本来の目的であろうはずがないし、
エゴのレベルを超えるのは永遠に不可能ではないかと私は思います。
53684608 anonymous 2010-03-31 14:10
>そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
>ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
>らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
>ことになる。

では、実践されていたのがトンレンではなく、慈悲の瞑想だったら、チベット仏教史は
平和に満ち満ちていたのでしょうか?

私は大差なかったように思うのですが・・・。
そもそも、慈悲の瞑想とトンレンの違いというのは、
トンレンには他者の苦しみ(のイメージ)を吸い込むという部分がプラスされている
というところですよね?

この違いだけで、慈悲の瞑想はすばらしい行法で、トンレンのほうは効果に疑問があり、
意図と逆の結果が出たと結論付けるのはどうかと・・・。

「他者の苦しみを自分の苦しみとする」というのは、あえて効果というものを挙げるなら、
本来個人というものは存在しない、ということに気づくことだと思います。
「大きな自己」にとっては自分も他者もない。
他人の幸せは自分の幸せで、他人の苦しみは自分の苦しみ。
少なくともこういった感覚を持つようにはなると思います。

ですから、チベット仏教史を見ただけで、効果に疑問を持つというのは少し勿体無い気がしますね。
菜園スタッフを見て、オーディティングの効果は疑問があると言うようなものでは?
本当に効果があったら、あんな組織にはなってないはずだ、教会の歴史を見ればわかる、
と言うようなものかと。
c988e92f old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 14:42
>>51be0156

裏NOTsで自分自身の断片を回収することで能力を回復するという行為は、同時に、
その断片によって阻害されていた他者の能力を解放するという行為でもある。

他人に対する慈悲もあるし、自分自身に対する慈悲もあるだろう。特に、原始仏
教の慈悲の瞑想は、"私は幸せでありますように"から始まっている。
f9e6b9f5 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 14:52
利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。

人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。

イスラム教を創始したムハンマドは、盗人が反省すればアッラーはお赦しになる、
と説くことで、キリスト教に由来する残酷な刑罰を抑制させなければならなかっ
た。ムハンマドは用心深かったため、"アッラーは何度でもお赦しになる"と付け
加えた。しかし、イスラム教がその社会の公共領域から残酷さを取り除くことは
難しかった。今でも難しい。

ある程度の利他的志向性に加えて、利己と同形個人の概念がなければ、人道や人
権は確立されない。

原始仏教は慈悲の瞑想によって最初からその域に達していた。古の知恵でありな
がら、慈悲の瞑想は近現代を包含している。
d988ecb3 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 15:35
>>53684608

慈悲の瞑想は"私は幸せでありますように"から始まり、実践者に利己的な動機を
自覚させる。だから、慈悲の瞑想は実践者を謙虚にする。

利己的な動機の自覚がない宗教実践者に遭遇したことはないか?

"あなたのために少しの時間お祈りさせてください"みたいなノリの人が、1990年
代の東京にはゴロゴロいた。
46004ecf anonymous 2010-03-31 15:38

議論の方向とは違うのだけど。。。

トンレンに触発されてハリーが開発した技法に<深刻ドリル>がある。
これはひどく落ち込んでる人や怒ってる人などに対し、
コーチがその創造(相手の苦悩)と創造者(苦悩している相手)を
とともに可能な限り価値判断しないで味わい愛でるというものだ。
これらは密かに沈黙の中で行われるのだが、効果は抜群だ。

他者の創造を味わうコツは、息を深く吸い込むゆったりとした腹式呼吸が役に立つ。
トンレンのように苦悩そのものを吸い込むのでなしに、それを一つの芸術作品のように
落ち着いて感じてみるのだ。慈悲の瞑想やフィールイッツに長けてる人なら、
よりいっそうの効果(調和的に働くタオの自然な矯正力のごときもの)が期待できる。
これは人相手でなくとも動物、植物、天候、渋滞などにも適用かのうなので重宝する。

価値判断しない思いやり(慈悲)が他者に対し確実に影響を及ぼすことが
本当に良くわかる。

この方法であれば、精神の断片を吸い込むこともないだろう。

トンレンに少々不安があり、けれどもそれを捨てがたい人にはお勧めの一品である。
試してみてはいかがだろう。
3a03f7ac anonymous 2010-03-31 15:41
>>d988ecb3

トンレンも「病気が治る!」ってことで庶民にも広がっていったよね。
そういう意味では、利己的動機を自ら認識して、そこからはじめるのはいいことだよね。
644fd0ec anonymous 2010-03-31 18:24
>>46004ecf
参考になります。ありがとう!

トンレンは私にとっては目から鱗でしたね。
初めはオールドタイマーさんの言うように、自分自身が他者の苦悩の影響を受けてしまったら
どうしようという恐怖心から敬遠していました。

しかしケン・ウィルバーによると、それは誰もが思うことで、彼自身も最初はそれが理由でトンレンを行わずにいたようです。

ですが、「その苦しみを自分が代わりに・・・」と思った途端、
ネガティブな影響は消えてしまうんです。不思議なことに。
アバターで「価値判断せずに味わい愛でる」ことで創造が消えるというのと似たような原理かもしれませんが。

ウィルバー自身もトンレンの不思議さには驚いているようですね。

自分にとって驚きだったのは、これまで嫌いだった人達が、トンレンの実践によって一気に嫌いではなくなったことですね。
正に変容といった経験でした。

まあ、私個人の経験ですし、もしかしたら万人向けの行法ではないのかもしれませんが。
私はもともと対人恐怖の症状があったのですが、トンレンでほぼ完璧に消失しました。

いろんなセラピーや宗教的な実践を試しましたが、大きな効果があったのはトンレンだけでした。
もちろん菜園のオーディティングも試しましたよ。
菜園で解消したければNEDまで行くしかないとまで言われました。

私が至った結論ですが、慈悲と恐怖(あるいは憎しみ)は両立できないってことです。
人に慈悲の心を持てた時は、そこに恐怖や憎しみは存在しません。
その恐怖自体が、敵意の抑圧だったりするわけですが、それがトンレンによって一掃されます。

あくまで個人的なものですが、私はこういった体験をしていますんで、
効果に疑問があるとか、チベット仏教史の話を聞いても、逆に疑問を感じてしまうわけです。
361be6c9 anonymous 2010-03-31 18:52
>>f9e6b9f5
>利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
>ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
>利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。

>人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
>スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
>は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。

利他一辺倒どころか、もともと利他とは言えないのでは?
キリストの隣人を愛しなさいという教えにも反してますし。

利他的すぎたのではなく、本当は利他ではなかったというのが問題だったというような気も・・・。

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