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43648bb1 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-03 23:48
http://www.ssfk.or.jp/p/a/100008.htm
はまだ販売されているようだが、教義とは関係ないのかね?
0cb30fff anonymous 2010-02-04 01:10
>>0ff9f06d

谷口雅春氏の思想には確かに「中心帰一」の思想がある。
彼の公演などの記録では、天皇を擁護するような話も多々語られている。

宗教法人「生長の家」は、信者の要望に応える形で、あるいは押されるような形で
様々な伝統、その他を祭儀の中に次々に含みこんでいった。
先祖を祭り、彼等流の葬式や供養を行うというようなこともその一つである。

しかしながら、こういったことが、谷口氏の思想家としての本心だったとは、
思えない。むしろ、信者の現状や日本の伝統などを、ときに信者のために、
ときに教団拡張の目的もあり取り入れていったのだろう。

天皇崇拝も、戦後の日本国の現状に対する彼の方便として、
また教団の維持を狙った戦術の一つであったと私は推測している。

ながなが書いたが、私は信者ではないので、現主流派の教義に天皇崇拝が
いまだ存在しているのか否かは分からない。
9906dade anonymous 2010-02-04 01:53

菜園教会の信者になるのに、何か条件のようなものがありますか?

また特別な儀式のようなものは?

そもそも宗教法人としての菜園では、いったい何をどう信仰するのですか?
e047bdb7 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-04 08:57
>>9906dade

教会の信者になる条件は、教会が抑圧的であると指定した人物や職業と密接な関
係がないことだが、この条件を事前に審査することはない。

入信に際し、特別な儀式は存在しない。

菜園教会は一般的な意味における信仰対象としての人物や神格を有しない。キリ
ストが桑の木を例に取って定義したところにおける信仰の対象は菜園の技術であ
ろう。

ただし、菜園の創始者である幅度に対して、教会では惜しみない賞賛が日常的に
示されている。

一方、自由領域においては、幅度は単に思想家兼実践者の1人として扱われてい
る。
dc1b6de5 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-04 09:20
本物の宗教は民族主義や国家主義を超えるものだと俺は考えている。

ユダヤ教は民族主義的な限界を抱えていたが、イエス·キリストがそこから脱却
したため、彼の教えは民族や国家の枠組みを超えて広がった。

釈迦は自らが王子であったが、その地位をあっさり捨てた。また、釈迦の弟子で
奴隷階級出身のウパーリに対し、王族出身のアーナンダが礼拝したことを、釈迦
は賞賛している。

菜園教会には民族主義や国家主義はなかったが、語族主義があった。幅度は英語
話者優位説を唱えていたことがある。しかし、前世についての知識が増えてこと
で、語族主義も消えていった。代わりに登場したのが、銀河連邦挿話とそれに基
づく海組織だ。菜園教会もなかなか本物になれなかった。

論'sは菜園の原点回帰であり、そこから広がった自由領域は、今のところ、民族
主義や国家主義を超越している。
b0ca6368 anonymous 2010-02-04 20:00

自由領域のプロセスが、ときに日本語として適合しない、という点に関して、
やはり文化的なものを感じさせます。
すなわち、英語という一つの文化的ロゴス体系として、認識可能な範疇に
より多く焦点が当たっていて、例えば日本語という、ロゴス体系に固有の
チャージ認識には光があたっていないか、その価値を認識しようとする意欲が
はじめからオミットされているように思えます。
チャージの普遍性を前提とするのも意味あることにはちがいありませんが、
文化的思考、行動、認識のあり方の根底にある各言語体系の相違と各言語体系固有の
逸脱のあり方等にも研究の矛先を向ける研究者が現れるといいと思いました。
9c2e5628 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-04 22:29
>>b0ca6368

菜園のプロセスコマンドに、日本語への単純翻訳が正確な意味を伝えられないも
のがあるのは確かだが、それは日本語側でどういうわけだか時制や仮定法が英語
よりも早く擦り切れてしまったゆえのことだ。

日本語に時制や仮定法が存在しないのではないのだが、日本語に未来形は存在し
ないし、英語のように結果節のみで仮定を平叙表現することは基本的にできない。

しかし、"長崎は熱いでしょう"にあるような推量の"でしょう"を"彼は明日来る
でしょう"のような表現の未来形の代わりに使える。

"From where could you communicate to a catfish?"を日本語に単純翻訳すると、
"あなたはどこからナマズにコミュニケートできそうですか?"となる。元の文が
仮定法の結果節のみなので、単純翻訳語の日本語文に仮定法の"could"の意味は
伝わらない。が、日本語文に"仮定の話として、"という前置きをつければこの問
題は解決される。

同様に、日本語圏に特有の考え方も、英語で説明できる。

昔は言語学界に個別言語の表現力や弁別性の優劣について論争があったりしたが、
今では総合的には優劣をつけられないという一般的合意に落ち着いて久しい。

思考や認識は言語表現の効率の限界に縛られない。

実践上の効率に差が出るだけだ。

日本語は考えるに速く、伝えるに遅い言語なので、デュアルオーディティングに
はあまり向いていない。日本人はソロ向きだと思う。
a4186d4a anonymous 2010-02-05 00:56

菜園では、生霊や呪い等の概念(実際的影響力)についてどう捉えていますか?
またオールドタイマーさんの見解は?

呪術的な効力が、単に暗示的なものである場合もあるでしょうが、
それ以外の可能性を認めるなら、その対処法として、何が可能でしょう?
「パワー次第!」という回答を除いて、ご教示願えますか。
a78eb5fc anonymous 2010-02-05 01:07

インドではマントラを唱えるという実践が当たり前のように行われています。
精神集中を助け、リラクセーション反応を引き起こす、という程度の研究は
精神医学でも行われていますし、吟唱するマントラの意味を意識的に把握しているなら、
暗示的な効果もあるでしょう。

また、ある特定の音のヴァイブレーションが特定の身体-精神反応を引き起こし、
神経系に新たな連合を生じさせ、特殊な能力回路が人体内に形成されるとみなすことも
できるかも知れません。

あるいは音の共鳴により時空共振が生じ、特定の事象が現象するとも。。。

…マントラについてのオールドタイマーさんの見解をお聞きできますか?
501f7040 anonymous 2010-02-05 02:28

人類の「集合無意識」を理論の中に含み、それに対して手を打とうとしている
自由領域の実践者等はいるのでしょうか?

菜園では集合無意識や人類意識と云う概念はあるのでしょうか?
8b3924ca anonymous 2010-02-05 09:20
菜園(幅度)の欠点は、集合的無意識までの理解に至れなかったことだと言う人がいました。

ユングの集合的無意識を考慮に入れると、過去、現在、未来の直線的理論である前世の概念は成立しなくなると思うんですが・・・。

確か、集合的無意識は、現在も過去も未来も、自分も他者もゴチャ混ぜの世界ということでした。

ということは、自分と他者の区分けというのも幻想ということになりますし、
前世の記憶というのも、集合的無意識からの情報が入ってきたものだと考えることはできませんか?

beccf917 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 10:41
>>a4186d4a

怨念でチャージのキーインを生じさせることはありえると思う。一番簡単な対処
法はプレプチェックだ。左手ボタンと右手ボタンの両方を使う。

左手ボタン: suppressed (抑圧した), invalided (事実を否定した), careful
of (気をつけていた), not-ised (なかったことにした), failed to reveal(明
らかにしなかった)

中間ボタン: protested (抗議した)

右手ボタン: evaluated (価値を決めつけた), suggested (提案した), made a
mistake (間違いをした)

対処法が具体的に決まっていない事物について、プレプチェックは広範に使用さ
れる。例えば、サービスファクシミリを探していたら別の何かが見つかることが
ある。そういうものに対してはプレプチェックが行われ、その後にL&Nが継続さ
れる。
8f730513 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 10:44
>>501f7040

自由領域のほぼ全員がそう考えている。我々は虚無から生じ、機械的な見せかけ
である空間によって分断されているように見えるが、実はつながっている。
3856cbe0 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 10:54
>>8b3924ca

時間も機械的な見せかけの1つであり、これは菜園アクチュアリティー層の基礎
でもある。菜園の"欠点"を指摘したその人は、菜園アクチュアリティー層を理解
できなかったのだと思われる。

菜園の教義はリアリティー層とアクチュアリティー層に分かれていて、オーディ
ティングにおいては主にリアリティー層の用語と概念が用いられている。アクチ
ュアリティー層の理解は多くの人々にとって感覚的な難しさを伴うものなので、
菜園がリアリティー層の部分においてのみ捉えられていることは多い。

大姉で"その出来事の最初に戻って、そこに着いたら教えてください"というコマ
ンドが用いられても、PCが実際に過去の出来事に戻っているのではない。
1df4063d anonymous 2010-02-05 16:29

これまでのスレをざっと見てみると、PCの心と精神にアプローチする菜園の技術は、
現在知りうる限りでの既存のセラピー手法やワーク等でなし得ることのほぼすべてが
すでに包含されているような印象を受けます。

そこで質問ですが、4次元能力の復元や虚無への回帰、また解脱ということを除いて、
いまだ菜園自由領域において課題として残されていて、「できない」とみなされている
ことは実践的には何なのでしょう?

何かの技術の「効率を高める」という観点での回答、以外の回答を期待しています。
46f45ce2 anonymous 2010-02-05 17:05
>>3856cbe0

「リアリティー」と「アクチュアリティー」とは概念として、
違う領域(次元のある領域と無・次元領域)のことを記述しているのですよね?

リアリティー領域で体験される区別をプロセシングによって実践的に一つずつ消去して
いくことで、いつしかアクチュアリティー領域に到達するということではなく、
リアリティー層はいつまでたってもリアリティー層の事象であり、
アクチュアリティーはどこまでもアクチュアリティーであって、
この二つの間には共約不可能な深遠が、概念としても、実際的にも
横たわっているのではないですか?

また初歩的な質問で申し訳ないのですが、「時間も機械的な見せかけの1つであり・・」
というのは、どうしてそのように云えるのでしょうか?
実際それを誰が体験しているのでしょう。。。
(この根拠は幅度がそれを公理として前提したから、ということから、
導き出されているのですか。)
42f6991e old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 17:11
>>1df4063d

率直にいって、自由領域も教会と同じ問題を抱えている —— OT能力を安定して行
使できる真のOTに_なった_人がまだ1人もいない。
5a474ce3 anonymous 2010-02-05 17:25
>>9c2e5628

「思考や認識は言語表現の効率の限界に縛られない。」というのは本当だと思います。

しかし「思考や認識」はラング(個別的な言語体系)に影響を受けるもののように
私には思えるのですが。

また、後期ハイデガーの言語表現や前衛的詩人のように、
自国語で自らの思想や認識を語ろうとする者らが、新たな造語をいくつも創始し、
そのラングが許容する文法にもぎりぎりのところまで無理を言わせながら何とか
自分の洞察を語り出そうとすることがありますね。

このような著述家の言わんとすることは、言語以前、ときには主客以前の事象である場合があり、これを言語によって表現しようとするとき、表現媒体である個別言語の条件付けによってそれぞれ別様に歪曲されてしまうのではないでしょうか?

プロセシングにおいては、このような領域のことは、吸収されてしまうほど
些細なことなのかも知れませんが。
a2e97930 anonymous 2010-02-05 18:09
>>42f6991e

OT能力とはどのようなものですか?

OTに関しては「物質、エネルギー、空間、時間、形態そして生命に対して起因」
でいること、というように用語辞典では簡潔に定義されていましたが、
それがいかなる存在性の状態であるのか、噛み砕いて具体的に話していただけますか。
a587f238 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 20:29
>>a2e97930

起因であることは存在性ではなく能力だ。

人はOTである程度に応じて、物質、エネルギー、空間、時間、形態、生命活動に
依存しなくなり、それらを創造したり変更したり消去したりできるようになる。

以下は極めて能力が高い場合の話だ。

物質に対して起因であれば、物質を創造したりすることができる。例えば、水か
空気を作り出せる。

エネルギーに対して起因であれば、電源に接続されていない電化製品を機能させ
ることができる。

空間に対して起因であれば、テレポートができる。

時間に対して起因であれば、時間の経過を遅延したり、時間を巻き戻せる。

形態に対して起因であれば、複雑な現象や状況を容易に把握できる。

生命活動に対して起因であれば、物質から生命を作り出せる。
52df76d1 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 20:56
>>5a474ce3

言語は思考や認識の効率化に役立つが、思考や認識そのものは、言語に依存しな
い。造語は思考や認識の新しい欠片の中身を伝えるために行われるのであって、
造語が思考や認識の新しい欠片を作るのではない。

仏教は古くは主にパーリ語で伝えられ、大乗仏教確立後にはサンスクリット語で
も伝えられるようになった。その後、中国語や日本語でも伝えられる。それぞれ
の言語において学習者が仏教用語の定義が正確に理解していれば、どの言語でも
同じ内容を伝えることができて、伝達内容の差異はほとんど問題にならないだろ
う。

菜園についても同じだろう。

例えば、"OT"という用語は、"物質、エネルギー、空間、時間、形態そして生命
に対して起因となっている状態の魂"のような定義を伴う。"OT"という用語を使
っても、長ったらしい定義をそのまま使っても、伝えられる中身は同じだ。しか
し、"OT"を使うことで、思考,認識,伝達は効率化される。
9e6e755b anonymous 2010-02-05 22:49

量子論のボームが取り組んでいたレオモードのことが思い起こされます。
彼はクリシュナムルティーとの対話に触発されてか、人間の世界認識の分断化がもたらす
破壊的影響を憂えていた人の一人でもありました。
ボームは言語の「主語-述語-目的語」の支配がおこす思考の断片化に注意を促す目的で
独自の言語様態を模索していました。
というのも、人間の思考は言語によって誤認識を起こしたり、
縛られてしまうことがあるからだと考えていたからです。
ポイントは、思考や認識が言語構造によって、影響を受けてしまうという、
人間の無自覚の、よくある傾向への対処への試みを彼が一つの挑戦として
行おうとしていたということです。

彼の理論的見解では、世界は流動的で分割不可能な全体として運動しているのに、
通常の様式の言語はそれを反映してない(少なくとも量子論では)と見ていたからです。

これはある点ではサピア-ウォーフの仮説の量子物理学者ヴァージョンとも
云えるでしょう。
しかしその射程は、世界の分断化、つまり言語構造に由来する(と彼が看做した)
思考の分断化を避けるための、彼なりの壮大な試みの始まりだったと言えます。

その観点から「思考や認識そのものは、言語に依存しない」という見解には注意が
必要な気がします。
22ba8998 anonymous 2010-02-05 23:31
>>a587f238

OT,こりゃ~もう、人間じゃねぇーなぁ~。
c81e1a89 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-05 23:48
>>9e6e755b

まず、サピアとウォーフの仮説は言語学界の主流に妥当だとは見なされていない。
言語学界の二大潮流は生成文法と構文文法だが、いずれも個別の言語の伝達力の
最終的限界の差に言及していない。

生成文法においては、人は最初から主部、述部、目的部などを包含する心的言語
を有しているとみなすため、個別の言語における伝達の限界や効率は思考や認知
に影響を与えないことになる。

サピアとウォーフを再び支持する見解が出るとしたら、それは構文文法陣営から
出ることになると思うが、未だに目立った動きはない。

俺自身は思考や伝達における言語間の効率の差異を度々指摘しているので、むし
ろサピアとウォーフの側に多少寄っているが、それでも、言語が思考や認知に決
定的な影響を与えているという節には違和感を感じる。中学時代に英語の"I"が
日本語の"私"を意味すると習ったが、そこで""僕"や"俺"を英語でどういえばい
いのだろうか?"という疑問は湧かなかった。"I"の意味を理解するのに、例文数
は10個くらいしか必要ないのではないか?

言語間の表現の大きな違いを、人は意外にもやすやすと乗り越える。心的言語の
存在を完全否定するのは難しい。

レオモードは、ボームのいうところによれば、名詞ではなく動詞を中心として展
開される言語体系ということだが、それはサピアが定義を厳格化した抱合語に属
する諸言語と基本的に変わらないと思える。

抱合語と対極にあるのが中国語などの孤立語だ。孤立語はとかく細かく意味範疇
を切り刻む。日本語は中国語から大量の語彙を輸入したため、大まかに捉えるの
も切り刻むのもなかなか上手な言語になった。"新装開店"を今風に"リニューア
ルオープン"などといってしまうと、刻みが大きくなって、何を新しくしたのか、
何を開くのか、わからなくなってしまう。

面白いのは、あまり意味範疇を切り刻まない抱合語のそれぞれの話者が少ない
― つまり、抱合語は話者人口を切り刻んできた ― のに対し、意味範疇を徹底
的に切り刻む孤立語はそれぞれ話者が多い。ヨーロッパ語族の中で最も話者が多
いのも、孤立語に最も近い英語だ。

ボームの見解と言語を取り巻く現実はむしろ逆だ。

ボームは言語学については素人だった、といわざるを得ないだろう。
348a86a5 anonymous 2010-02-06 00:36

チョムスキーの云う「心的言語」を肯定するとして、
それが初めから人類に共有されていること(人間であることの条件の一つ)が、
菜園の言うアズイズを困難にしている要因だと言えるでしょうか?

クリシュナムルティーは、人間の常態である「思考の断片化」が世界に争いが絶えない
原因だと看做していたようですし、彼の云う「思考の断片化」から脱する道の
序論の一つとして、レオモードの試みも為されていたのだと思うのですが。

それから孤立語を母語とする人たちの殺戮傾向などの統計があると、面白そうですよね。

ちなみに「世界は私だ。」と言い放つクリシュナムルティーのコトバの意味を
彼が認識するままに理解することができれば、と個人的には思っています。
94b93a01 anonymous 2010-02-06 00:57

そういえば、グルジェフは彼のワークにおいて、レイコフの認知言語学にほんの少し通じるような、身体的認知機構にもとずいた感覚的祈り(アファメーション)を指導していましたね。

例えば「僕」という言葉と「俺」という言葉では、身体感覚的に響く領域に違いがある、
との認識から、意図してその特有の意味の言葉を身体で弁別し、その相違を感じ取るようにするというエクササイズです。

「私は意図する」という一般的表現であるなら、まず「私」を感じ次に「意図」、
その後に「する」を感じる。
最後に「私は意図する」を感じるようにする、というようなものです。

このワークにどういう意味や意図が含まれているのかは分かりませんが。
aac56bd2 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-06 09:40
>>348a86a5

中国で文化大革命の犠牲者が3000万人なんて話は確かにある種の殺戮傾向を示す
のかもしれないが、日本国内で先の大戦の犠牲者が300万人程度になる。人口の
大きさがもともと違うので、中国での3000万と日本での300万はほぼ同じ程度の
殺戮傾向を意味する。国家の都合が夥しい人命よりも優先されることは、孤立語
族でも膠着語族でも起こりえる。

クリシュナムルティーの見解はもっともなことで、それは菜園教義からもごく自
然なこととして理解される。しかし、それが個別の言語の特質に大きく由来する
としたボームの考えは、言語学的にはかなり的を外していると思う。むしろ、心
的言語が存在し、それに既に思考を断片化させる特質が備わっていると考えたほ
うがよいように思う。
59ccfa54 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-06 10:18
>>94b93a01

不随意にやっていることを随意にやってみることは、大抵何らかの認識の拡大を
もたらす。"僕"と"俺"の相違を随意に感じ取ろうとするのは、言語におけるヴィ
パッサナーであり、何か面白い発見をもたらすと思う。

他にも、複数の言語間で比較しながらやってみるのも面白い。

"私は彼女を守る。" ≈ "I protect her."
"私は規則を守る。" ≈ "I follow the rule."
"私は約束を守る。" ≈ "I keep my promise."

日本語の"守る"は"結果として対象の安全や効力が損なわれることを防ぐ"という
意味があり、行為の形態の違いは無視される。

"I draw an apple on a sheet of paper." ≈ "私は1枚の紙の上に1個の林檎を描く。"
"I draw my sword out." ≈ "私は剣を抜く。"
"I draw closer to the building." ≈ "私は(地面や床の上を移動して)その建物に近づく。"

英語の"draw"には"2つの何かが擦れる"という形態を意味に含んでいるが、結果
の違いは無視される。

オーディティングにおいて、このようなことはしばしば大きな問題となる。

"What have you withheld from another?"は、"あなたは他の人から何をウィズ
ホールドしましたか?"と訳されている。日本の菜園人はこの質問で特に罪のあ
る隠し事を探られているように感じやすい。一方、アメリカ人にとって、この質
問への回答は、相手の気持ちを考慮し、いわないでおいたことも含む。日本人は
ウィズホールドしたことによって結果として生じた気持ちに注意が向くのに対し、
アメリカ人はウィルホールドするという行為の形態に注意が向く。
b73d1eb2 anonymous 2010-02-06 13:17
>>1df4063dさんの見解、
>これまでのスレをざっと見てみると、PCの心と精神にアプローチする菜園の技術は、
>現在知りうる限りでの既存のセラピー手法やワーク等でなし得ることのほぼすべてが
>すでに包含されているような印象を受けます。

この部分には私も同意します。

しかし、なぜこれ程の体系がこれまで全く表に出てこなかったのでしょうか?
心理学の分野などでも議論されていてもおかしくないと思うのですが・・・。

心理カウンセリングなどの現在主流のサイコセラピーは、菜園技術に比べ、
ほとんど効果はないようにも思えます。

私も心理カウンセリングが全く効果なくて、菜園技術に興味を持った者ですから、
なぜこれ程の技術体系が表に出てこないのか不思議でなりません。

4323e8d0 anonymous 2010-02-06 17:18
はじめまして。
実は、私も精神医療や心理カウンセリングで散々問題をこじらせてトラウマ化し、
アバター受講で大きな効果と驚くような体験、発見をたくさんし、さらにその源流と言われる菜園に興味を持った者です。

いつも2ちゃんのスレで勉強させていただいておりました。
以後よろしくお願いします。
7f57604e anonymous 2010-02-06 23:27
私は>>b73dleb2ですが、
私が最初に経験したのは菜園教会のオーディティングです。
当時はスタッフの対応、勧誘があまりに最悪で、すぐに菜園をやめました。

その後、臨床心理士による心理カウンセリングを受けたのですが、
全く効果がなく、時間とお金の無駄でした。

技術だけでいうなら、菜園のほうが100倍効果があるといったところでしょうか。
いや、それ以上かもしれません。

心理カウンセラーは、いくら菜園技術はそれなりに効果があったと言っても、全く聞く耳を持たず、「そんなのまやかしだ」と言って信じてくれませんでした。

私には、心理カウンセリング自体がまやかしのように感じましたね。
週1回、数十分話を聞いてくれるだけで、どうやってトラウマが解消されるのか・・・。

私は結局、菜園教会に戻りましたね。
尤も、スタッフの人間性は、心理カウンセラーより遥かにクソでしたが。

でも、カウンセリングが効かなかったおかげで、菜園技術自体には強い興味を抱くようになりましたね。

この技術を、宗教とかネット上とかだけじゃなく、普通の心理療法士が使えば、
トラウマを抱える多くの人を救えるのにと思いました。
6df8a43f anonymous 2010-02-07 00:25
>>7f57604e

>>週1回、数十分話を聞いてくれるだけで、どうやってトラウマが解消されるのか・・。

僕は個人開業で、かれこれ20年心理臨床を専門にやってるんだけど、
トラウマを抱えるクライエントの多くが、現時点に注意を払うよりも、
過去の、類似の出来事の集積や、固有のトラウマ経験に自らの注意が張り付き、
解放できないでいる苦痛な状態が多々見られる。

このような場合には、ただひたすら話を聴くことで、彼は自らの経験を繰り返し再体験し
その過程で注意が幾分自由になっていくことが多いようだ。

これが一般的に、「聴くこと」によるカウンセリングの目指すところだと思う。

ただ、このやり方は、実はカウンセラー側のメタスキルによって、
クライエントの解放される速度に雲泥の差が出てくる。
ここでいう「メタスキル」とは、いわゆるカウンセラーの心的態度のことであるが、
アバターのマスターコースやプロ・コースではシリアル・ドリルと呼ばれ、
受講生はこの練習にある程度の時間を費やす。

(シリアル・ドリルとは、創造とその創造者を自己を忘れ、徹底的に味わい愛でること)

大学などの心理臨床訓練の場では、(少なくとも日本では)一切このようなメタ技能は
訓練されることがなく、ひとえにカウンセラーの人格要因という名目で済まされている。

尚、現在はEMDRなどのトラウマ処理に秀でたシンプルな技能が開発され、
普及もしてきた。今後の展開に期待したいものだ。

2633e9eb anonymous 2010-02-07 01:08

そもそも何で菜園は「宗教」になっちゃったんですかねぇ?
8977b763 anonymous 2010-02-07 01:20
>>4323e8d0です
アバターのマスターコースまで進んだ者ですが、シリドリというものを知れたことこそが最大の収穫だったと思っています。
実は自分は精神科・心理療法に散々通院したのと、あと、大学の心理学専修を中退しております。
マスターまで行って、いままでのは何だったんだ、と思っております。

>>6df8a43f さん
ありがとうございます。専門家の方の口からそういう事が聞けたことで、長年の疑問と癌が解けたような感覚です。自分の思っていたことに裏づけがいただけたような感です。
またちょうどEMDRというものを知り興味を持ったばかりでした。とてもタイムリーで不思議な感覚です。

>>7f57604e さん
ありがとうございます。自分とはルートが逆ながら、抱いた感想は同じようですね。
自分はアバターを受講しただけで、菜園はまだ何も触れていません。ただ、この辺で見ているだけでも、ずば抜けて優れた技術体系なのだろうと思えます。
なにせ、あのアバターの母体なのだそうですからね。用語や話の一部を見るだけでもそれがわかります。
ちなみにいろんな心理療法を受けましたが、すべてクソでした。さらには宗教にも走りましたが、すべての複雑なこんがらがりをほぼ一気に解決したのはアバターでした。
ですが、疑問と飽き足らないところがあり、さらに菜園に興味が移ってきたところです。
7fceee39 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-07 09:19
>>b73d1eb2
>>2633e9eb

何かを真理だと主張する人が通る道は主に3つある。

·宗教: (キリストが定義したところの)信仰を必要とする。
·哲学: 説明を必要とする。
·科学: 証明を必要とする。

幅度が精神世界について最初に書いた本は«大姉: 心の健康の現代科学»だった。
幅度は大姉を"科学"として世に問うた。

ところが、心理療法家たちや精神科医たちが大姉を試し、"大姉には効果がない"
という結論に至った。幅度とその追従者たち ― つまり、数百万人の一般読者
― は効果を上げているのに、既存の専門家たちには大姉の手法から効果を引き
出せなかった。

この時点で、幅度は大姉が効果を発揮できる客観的な条件を提示できなかった。
世俗で大きな成功を収めたにもかかわらず、科学界で幅度は敗北した。

1950年代前半に、幅度の追従者たちは宗教として大姉その他のカウンセリング手
法を実践していくことを思い付き、幅度はそれに乗った。

教会でも頻繁に効果が出ないという状況は発生したため、効果が出るために必要
な条件の確定のための努力が重ねられ、オーディティングの効果に不可欠なもの
はセッションコントロールであったことが明らかになった。

セッションコントロールを簡便にある程度確保するためのドリルがいわゆるTRだ。
が、セッションコントロールはセッション外の要因でセッション開始前に既に失
われていることもあって、問題はなかなか根深い。
52a9b0e1 anonymous 2010-02-07 13:09

思考場療法(TFT)においては、その効果を阻害する要因として患者の心理的逆転
(意識と無意識の食い違い)やトキシン(毒素)交換回線網(神経学的障害)等の
存在等が挙げられていて、その解決の為に様々な手法が開発され、年々複雑なものに
なっていっています。

カール・ロジャースはその昔、効果をもたらすカウンセラー側の条件を定式化しました。
しかし日本においては、そういった科学的に定式化された条件も、
一つの精神訓のように受けとられてしまっています。
彼の元に留学し、学ばれた東山氏(現・京都大学大学院教授)は、「伝えようとしたが、
徒労に終わった」と失望されていました。

どの療法であっても、その効果を安定的に出していく、というのはなかなか難しいものですね。
720145d0 anonymous 2010-02-07 16:17
>>59ccfa54

何気ない実験。。。

まず「いま、ここに」あって、自分が気になってる思考形態を一つ限定する。
思考形態の具体例としては、思考、感情、気分、イメージ、印象、感覚、痛み等・・・。

次に自分に問いかける。「それはどこにある?」
こうして最初に特定した思考形態の在り処を見つけよう。
(身体内かその周辺、あるいは内面空間にそれは特定の場所を持ち、
在るように感じられるはずだ。*自動性によって勝手に動くときもある。)

思考形態が存在している場所が分かったなら、次は「それはそこにあってもいいかな?」
と問いかける。そしてそれに対し、「肯定か否定」で答えよう。

答えが「いいえ」のときには、さらにその「いいえ」はどこにある?と問いかけ、
「はい」と答えうるところまで上記の過程を繰り返していく。
(「いいえ」と答える時にはは、如何なるもので、あれ何らかの抵抗感(いやだ~)
として感じられるだろう。)

そのようにして「はい(それはそこにあっても良い、という感じ)」にまで
たどり着いたら、その場所にある思考形態(はいの在り処)に向けて、
中立の注意をじっと注いでいく。それがひとりでに消え去るまで。。。

(この段階で、「この気持ちを手放せますか?」と自問自答し、はい、と答えることで、
それを意図的に手放したり遠ざけておくことを選択することもできるだろう。*任意)

それはどこにある?
それがそこにあってもいい?

この繰り返しである。

この実験に飽きてきたら、思考形態の場所を意識的に移動させたり、
最初のターゲットのある場所と、「それはそこにあってはいけない」が在る場所との
距離を広げてみたり縮小させてみたり融合させたりして、感覚の違いを確かめてみるのも
面白いかもしれない。
69e2f032 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-07 16:24
一般的にカウンセリングやオーディティングの難しさは、PCから出てきた情報の
扱いにある。

オーディターがPCに質問し、PCが回答した後、オーディターの次の質問がPCの回
答を直接的に反映したり引用したりしている場合、PCは回答でオーディターの行
動をある程度コントロールできる。セッションをコントロールするのはオーディ
ターの務めであるが、そのコントロールはPCに奪われることもある。

PCは自分が抱えている問題を認識していない。もしもPCが抱えている問題を認識
できていたとしたら、その問題は既に解決されているはずだ。PCがセッションコ
ントロールを完全に握っていれば、本当の問題は決して見つからない。

優れたオーディターでもPCからの情報を問題に発見のための手がかりにすること
はあるが、セッションコントロールを維持するために、基本方針を常々意識して
いる。
33becb5f anonymous 2010-02-07 20:42
私は>>7f57604eです。

私もアバターコースは受講しました。
ですが、私は運が悪かったのか、担当するマスターの人格が未熟だったため、
あまり効果があったような印象はありませんでした。
(効果があるようなないような・・・といった感じでした。)

私を担当したマスターは、私がトラウマを解消するために受講しているということが
わかっていながら、私の目的などそっちのけで、上級コースの勧誘ばかりしてきました。
そんな理由から、私はアバターコースはどちらかというと宗教という印象を受けました。
「やっぱりここもそうなんだ・・・。」とね。
だから、私はアバターマスターよりは臨床心理士のほうが遥かに信頼できると感じました。まあ当然と言えば当然ですが・・・。
私は心理カウンセリングなどについて全く学んでいない人間が、セラピーのようなことを
やること自体に無理があると思いますね。

ですが、確かに技術面では、収穫も結構あったことは事実です。
私が一番印象に残っているのは第2部でしたね。
(シリアスドリルはこれでしたっけ?)

ただ、私のトラウマはアバター技術では消えませんでした。
一時的に注意が逸れるだけというか、消したと思っても、またすぐに創造してしてしまいます。
私には菜園のオーディティングのほうが合っていると思いました。
3842c3de anonymous 2010-02-07 20:58
シリアス・ドリルではなく、シリアル・ドリルみたいですね。失礼しました。
マスターコースで行うもののようですね。
興味深いです。

私は最近では、トラウマを消去することこだわらなくなって、ずいぶん気持ちが楽になりました。

菜園教会でもアバターコースでも勧誘があるもんで、
いつのまにか「トラウマは処理しなければならない」と洗脳されていたのかもしれません。

トラウマ処理にこだわらなくなったのは、仏教の影響ですね。
やはり宗教は伝統的なものに限るなと思いました。
心理療法では、認知療法がある程度効果がありました。
私にはアバターなどよりはこちらが合ってました。
菜園で完全に処理しようと思ったら、エングラムを見つけないといけませんからね。
ちなみにブックワンでは処理されませんでした。
もちろん多少は軽減されましたが。
c1d69f10 anonymous 2010-02-08 03:07
>>3842c3de

シリアス(深刻)・ドリルでいいんだよ。(『シリアル』は僕の間違い。<(_ _)>)

それにしても仏教が君のトラウマ処理に関するこだわりを少しでも軽減させてくれて、
また認知療法が、ある程度ではあっても役立って良かったね。
04f60a4f anonymous 2010-02-08 04:46

以前オールドタイマーさんがご指摘されたように、現在のPCの状態にあったプロセスが
最良のプロセスなのですね。

それにしても、PCの現在の状態を見極め、最良のプロセスを見つけ出すのが、
私にとってはことのほか難しい。
阻害要因ありーの、セッションコントロールの問題もありーの、
自分のケースレベルの状態ありーので、・・・日夜研鑽、研鑽。

ああ、こういう問題点の数々を背負う未熟な弟子たちを指導するのに、
釈尊はどのような方策を採っていったのでしょうね?

十把ひとからげではなかったでしょうし、TPOにあった方便と言っても、
ただ話を解いて聞かせただけでは何ともなりはしなかったでしょうしね。

それとも、ケースレベルや抱えている問題に関わらずに悟りへと向わせる修行方法が
釈尊にはあったのでしょうか?

もしや、それを可能にしたのが他ならぬ彼の後光だったとか。。。
7afd1b37 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-08 08:38
>>04f60a4f

釈迦の修行法で特に重要な位置を占めていたのは座禅だ。菜園には、"15分間の
虚無"がある。いずれも、ケースレベルを問わずに使用される。
642a1e79 anonymous 2010-02-08 09:49
>>cld69f10
ありがとう!
これからも、少しずつですが、自由領域他、自分に合った技法を勉強していきたいと思います。

これまでに色々アドバイスしてくださった皆さんにも感謝します。

>>04f60a4f
釈迦や弟子が上手くいった理由としては、
「出家」が挙げられると思います。

俗世にまみれた状態で、欲や執着を捨てるというのはやはり困難だと思います。
釈迦といえども、城を出なかったら悟りは開けなかったでしょう。

>>7afdlb37
15分間の虚無とは?
15分間、虚無をイメージするということでしょうか。
e5b8e07b old timer i1b5ibip3kS 2010-02-08 13:38
>>642a1e79

15分間無念無想でいること。
3655381d anonymous 2010-02-08 14:08
>>e5b8e07b
おお、それは座禅と全く同じですね!

8e4fed3b anonymous 2010-02-08 20:19
あんたら楽しいの?
a0321284 anonymous 2010-02-08 20:29

1954年8月の幅度の資料にある何気ない実習。。。

部屋の真ん中に座り目を閉じる。

あなたの後方にある部屋の上部二つの角に(意識において)接触する。

これらの角を(意識内に)保持したまま(あるいは、そこにしがみついたままで)
座り続ける。毎日少なくとも2分から2時間、何が起ころうとも角を保持したまま、
何も考えない。考えないでください。

幅度の記述によれば、この実習は常に効果があり、毎日行うことによって
あなたはより若く見えるようになり、より若く振舞うようになる、と言う。

興味があれば試してみてはいかがだろうか。
10874ecf anonymous 2010-02-08 20:45
>>8e4fed3b

おお、ともさっ!!
49e2f947 anonymous 2010-02-08 21:27
test
47dbd8a4 anonymous 2010-02-08 21:28
>>10874ecf
本当に楽しいのかい?
d03587e7 anonymous 2010-02-08 21:37

日常生活の中の何気ない実習。。。

あなたの身体内に生じるすべてに対し持続的に精神的エネルギーを注ぎ充たす。
肉体やその外部、そしてあなたの内面から生起する一切の印象を感じるようにしてみる。

アバターのフィール・イッツを学んだ者であるなら、理解や体得は容易だろう。
そのようにして、日々、生活を営む中で、自分が気づかぬうちに立ち上がってきている
諸々の思考、感情、気分、印象、反応、痛み、判断、欲求、イメージ、
エネルギー的感覚など、それが何であれ、抵抗せず、差別せず、選択せず、
現れるままに感じつくすようにする。


本を読んでるときも、会議中も、人と話してるときにも食事中も、日中可能な限り、
この実習に徹してみる。(そうする意志があり練習し根気よく行えば必ず出来るものだ)

途中、あまりにも注意が内向しすぎてると感じられるなら、そのときには臨機応変に、
外界に対し注意を意図して注ぐタイプのプロセスに切り替え、また先の実習にもどる。

朝から晩まで3週間も続けるなら、ava-wizに参加するのと同程度の何かが
きっと得られると思う。

そしてこの実習に慣れてきて、自分なりの効果を十分に感じられるようになったなら、
感じる空間を徐々に拡げていこう。たとえば自分がいま居る部屋全体にそれを拡張する
こともできる。部屋全体に注意を楽に拡げそこをあなたの精神的エネルギーで充たす。
そこにいる他者の存在も気分も自分のそれも、何もかも分け隔てずに感じる。

そのようにして過ごすなら、何かがどことも知れぬ深みから立ち現れ、形を成し、
おのずから消滅していく様を見守ることができるようになっていくだろう。

これは日常をおくりながらそこを修行場とするゾクチェン的実習だ。
8fead8d0 anonymous 2010-02-08 21:42
>>d03587e7

補足:まずあなたの身体内を隈なく内側から感じるようにする。
足先も胴体も腕も頭も全身を全体として感じるところからはじめていく。
その意識をずっと維持することが最初の段階だ。
28e79a0f anonymous 2010-02-08 21:47
>>47dbd8a4

まあな。

世の中には「ジャガイモ」の研究に50年を費やした学者もいる。

彼曰く、「私は生涯を賭けてジャガイモに取り組んできました。50年たった今
私が言えることは、ジャガイモにはまだまだ学ぶところがあり、神秘に満ちている、
と言うことです。」ということらしい。

興味や楽しみは人それぞれだ。

君はそれを尊重してくれるかい?
a6a97311 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-08 22:00
>>8e4fed3b

楽しいこともあれば、そうでないこともある。人生と同じだ。
d511aa02 anonymous 2010-02-08 22:37
>>d03587e7
すごく参考になりました。
試しにやってみたいと思います。
e5939efc anonymous 2010-02-09 01:31
>>4323e8d0です

>>3842c3de さん
参考までに、仏教のどういう部分が、トラウマ処理に関するこだわりを和らげてくれたのですか? 仏教は幅が広すぎて、尚且つ実践も難しそうな印象です。
ある、仏教の現世利益の信仰は、何年か前からやっているのですが、ドラエモンやドラゴンボールほど、望みが叶うようでもありません・・・笑
上座部か禅あたりでしょうか・・・?


皆様に質問です。超初心者ですが、ダイアネティックス(オーディティング)の紹介DVDを見たのですが、印象として、催眠とか、退行催眠と呼ばれるものに非常に近いような感じを受けたのですが、何か密接な関係があるのでしょうか。
ひょっとすると、流行の退行催眠や前世療法なんてのが、オーディティングの真似というか、焼き直しというか、そういうこともありうるんでしょうか?
1950年代に成立したということを考えると、こちらの方が古いように思えてくるのですが、このあたりのことがはっきりしているようでしたら、是非ともご教授ください。
5145ddad old timer i1b5ibip3kS 2010-02-09 06:10
>>e5939efc

初期の大姉はフロイトの手法を取り込んで成立したため、似ているようにみえる
部分もあるが、催眠との違いは、コミュニケーションフローのバランスがある程
度確保されていることだ。現在の新時代大姉では、PCは完全にしらふのまま、エ
ングラムを処理する。

現在の退行催眠と現在の大姉は全く違うが、前世療法の中には大姉に近いものも
あるかもしれない。
599ca104 anonymous 2010-02-09 07:03
>>e5939efc

菜園のことならオールドタイマー氏に聞くといいよ。
この分野(自由領域)に関して、日本で彼の右に出るものはおそらく誰もいないと思う。
特にその言語能力と論理性は当代随一だ。
2e95dc5d anonymous 2010-02-09 08:13
>>642a1e79

現代菜園の技術体系を体系的に学ぶには、実際的に教会で学ぶ他ないし、
自由領域に関しては、現在のところ自分で英文を紐解いていかなくてはならない。

このスレの情報は断片的であるから、英語に堪能なら、直接自由領域に接触するといい。
451ea638 anonymous 2010-02-09 10:00
角のない龍が殆どだよ。長いの短いの細いの太いの様々、プラズマ系に冷温熱系に生系と様々。 
305c3132 anonymous 2010-02-09 22:06
>>e5939efc

やはり1つとしては、欲を離れるという考え方ですかね、参考になったのは。
別に欲は捨てられなくてもいいんです。
そういった考え方があるということを知っただけでも益は大きかったです。
「トラウマを消したいという気持ちも確かに欲だ」と認識するだけでいいんです。
これに関しては特に何も実践していません。
ブッダの言葉として心に響いた、というだけですね。

禅に関しても、特には何も実践してないです。
ただひたすら座禅という方法論が興味深いと思いました。
確かにトラウマとか気にしてる余裕はないなと。
あと、禅語録も結構読みました。

行法的に私に合っていたのは読経でした。
30分くらい声に出して読み続ければ、脳内麻薬が出て、段々気持ちよくなってきます。
もっともっと、読み続けたくなるというか、止まらなくなります。
ランナーズ・ハイみたいな状態ですね。
何時間でも読んでいられるというか・・・。

なんかその最中は欲も消えてるような気もします。
最初は願い事を念じながら唱えたりとかするんですが、
段々そんなのどうでもよくなってきます。
現世利益が叶うのって、やっぱり欲が消えるのと関係があるんでしょうか?

どちらにせよ、こういった陶酔状態の時は、あまりトラウマとか気にならなくなりますね。


d0853101 anonymous 2010-02-10 00:12
このスレを間違って開いたときぞっとする。
aed650e0 anonymous 2010-02-10 00:43
>>d0853101
スレ違い 帰れ
53c02635 anonymous 2010-02-10 06:25

個人的な願望を念頭においてるときと、慈悲の瞑想などで、慈しみの思いを
集中して喚起しているときとでは、意識の状態が随分違ってきますよね。

その状態では一時的にではあっても、「ストレス」と呼びなわされてるものは
ほぼ消えうせています。(しばらくすればまた戻ってはきますが。。。)

一般的に「ストレス」とは、個人的欲求とそれが満たされていないときの
ギャップにおいて強く感じるものだとも言えるのでしょう。
また雑念が少ない状態もストレスはありません。

集中と慈しみはそれを癒す作用を確かにもっています。
読経やマントラ、そして慈悲の瞑想は意識のモードをシフトさせてくれます。

では何故このようなことが起きるのでしょう?
なぜ慈しみが喚起されると、ストレスが軽減するのでしょうか?
ec806ccb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 06:54
>>53c02635

教会のトーンスケールは40.0の"Serenity of beingness"を上端としているが、
自由領域のトーンスケールの上端は400.0だ。

400.0 Sovereignty
320.0 Life that is not being
160.0 Volition, Coexistence
120.0 Individuality
110.0 Awareness
100.0 Truth
90.0 Decency
80.0 Ideas
75.0 Ethics
70.0 Aesthetics
60.0 Inspiration
50.0 Agony
45.0 Amusement
40.0 Serenity of beingness

50.0 Agonyに注目してもらいたい。"agony"を日本語に訳すと"苦悶"になる。
40.0を超えるレベルにこれが出てくるのには違和感があると思う。

50.0 Agonyで魂は人生ゲームの参加者になるための最後の分裂を経験したと考え
られている。分裂は苦悶なのだ。

慈悲の瞑想には苦悶より派生している現時点の悩みを和らげる効果があると思う。
ae027d78 anonymous 2010-02-10 10:59
>>ec806ccb

すごい!初耳です。

できれば、教会風に日本語でリストにしてもらえないでしょうか?
日本語にピッタリ当てはめるのは難しいかもしれませんが・・・。

60.0のinspirationはやはり直感でいいんですか?
だとしたら興味深いです。
自分でもかなり上のレベルだと思ってましたから。
教会ではあまり重視されていませんでしたが。

100.0のtruthも非常に興味深い。
awarenessのほうが上というのはどういうことでしょうか?

320.0のlife that is not beingの意味も教えて頂けるとありがたいです。

8b9726f4 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 13:30
>>ae027d78

旧約聖書で、神は塵を人型に加工し、それに魂を吹き込んで人にした。これが
inspirationだ。霊感とか直感とかいうものとは違う。

AwarenessがTruthを創造し、選択し、消滅させるのだから、Awarenessのほうが
上なのは当然だろう。

Life that is not beingというのは個別性を超越した生命のこと。魂がこの状態
に達したら、ゲームに最初からいなかったことになる。仙道の環虚に相当する。
俺たちに名前を知られている人物は、Life that is not beingには達していない。
5c46b476 anonymous 2010-02-10 15:11
では、400.0のSovereigntyは?

英和辞典では「統治」や「独立権」と訳されていますが・・・。

なぜ還虚より上なんでしょうか?
a14bd2a6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 16:03
>>5c46b476

"sovereignty"には"supreme power"(最高の能力)の意味がある。それ以上のもの
がない究極なので、スケールの上端に"sovereignty"という単語を充てている。
レベルとして比較すれば、仙道の合道に相当するものと思われる。
db6f36b5 anonymous 2010-02-10 19:51
>>aed650e0
どこに帰ればいいのか教えてください。
b63c1050 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 23:54
万人向けではないかもしれないが、プロセスに慣れていれば、俺はメーターの代
わりに呼吸を使っている。何かを考えた瞬間に呼吸が乱れたら、それがリードと
なる。

肉体に依存しないリード検出の方法を確立したいものだが、今のところこの方面
の個人的研究に成果はない。
be0d3fe9 anonymous 2010-02-11 01:41
>>b63c1050

ava-wizではメーターの代わりに「観察モード」を使います。
「観察モード」とは、ほとんど思考なしの意識状態で、中立の注意を対象(リストなど)に向け、その際現れる微かな意識の乱れを手がかりにして、判断を下していくのです。

ちなみに私自身はあの非科学的と言われるラジオニクス(元祖波動測定器)
のオペレーターをやっていましたので、「スティック」と呼ばれる方法なども
活用しています。(スティック・パットを指で擦り、吸い付くような反応を目安にする)
このやり方は、慣れればかなりの汎用性があるものの、Oリングや筋肉反射を
用いた方法同様、誤判断が多々あるのが残念です。
c79e1384 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-11 07:51
>>be0d3fe9

問題は常に俺たちの認識の外にある。

観察モードの有効範囲は随意な認識の範囲に限定されてしまうので、メーターの
代わりにはならないと思う。

スティックはメーターの代わりになりえるが、メーター同様、肉体に依存してい
るため、現在の肉体が使い物にならなくなった後、プロセシングの継続に新たな
肉体の獲得を必要とすることになるだろう。
9fe2fc47 anonymous 2010-02-11 17:43
>スティックはメーターの代わりになりえるが、メーター同様、肉体に依存してい
>るため、現在の肉体が使い物にならなくなった後、プロセシングの継続に新たな
>肉体の獲得を必要とすることになるだろう。

肉体こそが自由への妨げだと思うんですが、
プロセシングのために肉体をゲットするって、
本末転倒になりませんかね?



 
e76b7543 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 00:02
>>9fe2fc47

そう、そうなってしまう。

肉体に依存しないで、自分が認識できないものを特定する手段があれば、個別チ
ャージの処理を肉体への依存から解き放てる。

そのような手段を用意できなければ、肉体を捨てた後のプロセシングは全てメタ
プロセスの実践になってしまう。
0b038440 anonymous 2010-02-12 03:26
>>e76b7543

肉体の死後、希薄な身体を意図的に創造して創りだせば個別チャージ処理も可能ではないですか?これって単なる希望かな。そげな話しはどだい無理なんでしょうかね。

自分が創る、と言っても、死後に自分が創る身体も、私という精神が認識する以上の
英知的な機能(個別のチャージに反応する何らかの仕組みなど)をもつことでしょう。

また死後には、今生では何かと制限があって、やり辛かったワークが捗るでしょうね。
例えば、思い込みが作り出している思い込みの世界(囚われ領域)に存在する、
自己の断片の救済とか。(そんな領域、無い?)

それから死後には、肉体を持たない飛びぬけてスペシャルな存在との接触邂逅によって、
彼等のチャージ処理に関する現在知られていない手法を学ぶ機会等あるといいのですが。

まあ、メタ・プロセスもいろんな種類が知られていますから、個別チャージは処理しえなくても、やることはいっぱいありますね。
0a3124a8 anonymous 2010-02-12 03:42

宇宙には、個人が蓄積した有害チャージを食って生息している奴等もいますかね?
もしそんな奴がいたら、協定結んで、食ってもらいたいですな。

またチャージを観ることが趣味の、メーター替わりの生命体なんかいてもいいですね。
そしたらそんな奴と親しくなって観てもらえばいいんだから。

で、おそらく、死後にはツインを組んで互いの個別チャージを相互に認識するやり方とか
様々な工夫をしている、プロセシング魂を持った精神がいそうな気がします。
もちろん超希望的観測ですが。

確かに自分以外の何ものにも依存しないで、そういったすべてを行うことができるなら、
それに越したことはないですよね。

c7b8119c anonymous 2010-02-12 03:54

幅度のチャージ処理技術はメーターの開発、存在によって進歩したのでしょう。
それは言い換えると、身体を通してのチャージ認識であり、その処理だったわけです。

精神が身体を離れれば、チャージの表れ方や認識のあり方にも相違があるでしょう。
もし、地上生存中に身体に依存しない、「自分が認識できないものを特定する手段」を
見出そうとするなら、まず意図的な外在化をある程度制御可能にしなくてはいかんでしょう。
70766c5d old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 09:10
>>0a3124a8

個人のチャージはその個人による直視によってしか消去されない。
ea73d3f6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 10:06
プレプチェックでボタンというものを使うので、ボタンについて話しておこう

左手ボタン: suppressed (抑圧した), invalided (事実を否定した), careful
of (気をつけていた), not-ised (なかったことにした), failed to reveal(明
らかにしなかった)

中間ボタン: protested (抗議した)

右手ボタン: evaluated (価値を決めつけた), suggested (提案した), made a
mistake (間違いをした)

これらボタン自体もチャージであるが、左手ボタンは他のチャージ本体に付随し
ている。

メーターを使ったオーディティングを受けた経験があるのならば、suppressedと
invalidatedには聞き覚えがあるだろう。グレードIIのコンフェッショナルの経
験があるのならば、左手ボタンの全てを聞いたことがあるはずだ。

左手ボタンはチャージ本体がメーターに反応することを妨げる。だから、チャー
ジ本体がメーター上で反応を見せなくても、左手ボタンに反応があれば、チャー
ジ本体はほぼ間違いなく存在している。

右手ボタンは、チャージ本体が存在しないにもかかわらず、メーターを反応させ
てしまう。右手ボタンはプレプチェックや修正リスト以外ではほとんど使われな
い。

中間ボタンは左手と右手の両方の性質を持っている。オーバーランされたプロセ
スに関係して反応することが多く、やはり、修正リストで頻繁に用いられるが、
コンフェッショナルにおいては左手ボタンと同じ扱いをする。
37b60a56 anonymous 2010-02-12 13:48
>>70766c5d

>『個人のチャージはその個人による直視によってしか消去されない。』
 
この考えは菜園のアズイズに関する基本的な公理なのですね。
釈迦も、自分自身の浄化を行えるのは自分だけである、といった旨のことを語ったとか。

で、「革新派の自由領域」の人たちもこの考えを絶対的なものとして肯定し、
引き継いでいるのですか?

素人考えなのですが、4次元以上の存在であれば誰であれ、
3次元宇宙の中で生み出された他者の3次元的個別チャージもアズイズし、
消去可能なのでは、と思うのですが、間違っていますか?

上記の事とは観点に違いがありますが、言い伝えに寄れば、聖者や真正のグルは、
弟子のカルマを軽減させたりして、大難を小難にできるとか。
また地球人で、物体を消滅させれる人がいると聞き及んでいます。
物体すら消滅させることができるのであるなら、個人の個別チャージが消去できない
訳はなかろう、と思うのですが。

47a8d278 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 17:36
>>37b60a56

他者が生み出したチャージを消去するには、その他者にチャージを直視させれば
いい。物体を消滅させるには、その物体の継続的創造に参加している全ての魂に
その物体を直視させればいい。

また、ある魂が別の魂と再統合すれば、統合後の魂は統合前のいずれに魂が生み
出したチャージをも消去する能力を持つことになる。
2c389d12 anonymous 2010-02-12 19:55
























































6a943e62 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 21:54
6c3bf86a anonymous 2010-02-13 08:17





































































404c4b8d old timer i1b5ibip3kS 2010-02-13 10:16
菜園は生活とセッションを切り分ける。セッションは明確に開始され、明確に終
了される。そのため、セッションは何らかのモデルセッションに基づいて行われ
る。

PCが疲れていないことを確認する。



PCが空腹ではないことを確認する。



セッションを始められない理由がないことを確認する。



"This is the session."(これはセッションです。): 理想的にはトーン40で
断定的に宣言される。



ルードメント: 一般的にはARCブレーク(気分を害したこと)、現在の問題、見透
かされそうになった隠し事の処理で構成されているが、内在化とリスティングエ
ラーの処理を含むこともある。いったん内在化の処理が開始されれば、それが終
わるまでは省略される。



主要ケースアクション: グレードを構成するプロセスや特殊なランダウンなどを
行う。



ハビングネス: PCの注意をケースから周囲の環境に引き戻すために行われること
がある。ただし、他のプロセスがうまくいかなかった場合には決して行われない。



"End of session."(セッションを終わります。): 理想的にはトーン40で断定的
に宣言される。
f137a6ba anonymous 2010-02-13 10:56



















380cfc4f old timer i1b5ibip3kS 2010-02-15 00:48
TRはセッションコントロールがPCに奪われる危険性を減らす。

その危険性は、さらに、モデルセッションによってさらに減らされる。

それでもなお、ケース監督がPCの要望にみだりに応じると、セッションコントロ
ールはやはり失われてしまう。

そこで、グレードチャートが存在し、ケース監督がぶれることを防ぐ。

オーディティング技術の実践は高度の構造化されている。それはgoto文を使わな
い構造化プログラミングを行うことに似ている。
0f0f850f anonymous 2010-02-15 02:00
























a8e04097 anonymous 2010-02-15 20:39
>>380cfc4f

オーデティングの治療構造の概略に関する記述の後には、各論が続いていくのですか?
菜園で学ばずとも、意欲があれば現代菜園で日々行われているプロセシングの基本技術がこの一連の日本語のスレの学習により実践可能になる、というような。

ちょっと甘いかな。。。
0d92d3eb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-15 21:53
>>a8e04097

菜園内の個別のプロセスにいかに優れたものがあったとしても、長期的にケース
を解決していくのは複数のプロセスの組み合わせ方にある。

現在やっているプロセスがあるならば、それをきちんと終了せずに別のプロセス
を始めることはある程度の危険をはらんでいる。最初のプロセスをやめたい気持
ちにさせたものが何らかのケース要因であることは往々にしてあることで、次か
ら次に別のプロセスを始めてしまう人は、ケースに支配されてしまっている。

もちろん、あるグレードのプロセスをやっている途中で内在化が発生したら、グ
レードを一時中断し、内在化の処理に移らなければならない。しかし、内在化の
処理が終了したら、グレードの中断したところに戻ってこなければならない。

自由領域での菜園実践においては、実践者本人の裁量余地が大きく、しかも、オ
ーディティングはソロを中心としたものなので、次々に別のプロセスを始めてし
まう危険性は菜園教会においてよりも大きくなる。

オーディティングを長期的に実りあるものにするには、オーディティングについ
てのアドミンを確立しなければならない。

このスレでは私その他の人々がプロセスを掲載している。それらを日々の実践に
取り込むことは基本的にまずいことではないが、何かを取り込む場合、まだ未完
了の他のプロセスを投げ出してはいけない。
f0d8f77f anonymous 2010-02-15 23:18
>>0d92d3eb

「オーディティングについてのアドミン(管理運営)の確立」
それがこのところのオールドタイマーさんの投稿意図なのですね。分かりました。

あるプロセスを「やめたい気持ち」にさせるものが「ケース要因」である場合が
往々にしてある、との示唆、こころしておきます。ありがとうございます。
0a8f1463 anonymous 2010-02-15 23:36

















e56d3d5e old timer i1b5ibip3kS 2010-02-16 11:54
オーディティングアドミンを考慮すると、自由領域における菜園実践の第1歩は、
橋を選ぶことだといえる。教会の橋は1本だが、自由領域の橋は複数用意されて
いる。

·論's 橋 ··· ヨーロッパ系。旧時代のプロセスを少なからず含み、最高レベル
がOT 40となっている自由領域最大の橋。

·GF橋 ··· アメリカ系。«Excalibur Revised»に沿って、デュアルとソロの両方
を実践するもの。教会の橋とほぼ同じ大きさを持っている。

·操縦士橋 ··· アメリカ系。«Self Clearing»に沿って、基本的にソロで実践す
る橋。とっつきやすい。(今年の8月から俺が翻訳を進めることを予定している。)

·UCP橋 ··· 最小構成の橋。メタプロセスであるUCPだけを実践する。

·コンパクト橋 ··· セッションの後半にUCPと慈悲の瞑想を実践する。ルードメ
ントがインであれば、好みのプロセス + UCP + 慈悲の瞑想になり、ルードメン
トがアウトであれば、UCP + 慈悲の瞑想になる。頭痛があったり、外在化や内在
化が再刺激されている日には、UCPだけになる。
1b9aeceb anonymous 2010-02-16 22:33
































7b6199ad old timer i1b5ibip3kS 2010-02-17 10:31
橋のグレードの並び順やPCのケースの状態を考慮して、通常、ケース監督がPCの
ためにプログラムを書く。ケース監督がいない場合には、オーディターがその
仕事をこなす。もちろん、完全にソロで菜園を実践する人は、自分自身でプロ
グラムを書くことになる。

UCP橋やコンパクト橋のような極小の橋を除けば、橋を上るにはプログラムが必
要になる。

プログラムには橋のグレードやレベルあるいは特殊ランダウンなどから構成され
た前進プログラムと、修正オーディティングのための進歩プログラムがある。
(いろいろな事情を考慮して、"修正プログラム"という名称は避けられている。)

前進プログラムの例:

 <PCの名前> <日付>
 
 1) ARCストレートワイヤー
 2) グレード0
 3) グレード1

 <ケース監督の署名>

//

進歩プログラムの例:

 <PCの名前> <日付>
 
 PCがオブジェクティブにて外在化したことが確認された。

 1) 終わりのない内在化修復の終わりのランダウン

 <ケース監督の署名>

//
64f8c74e anonymous 2010-02-18 00:17
>>7b6199ad

8月からの«Self Clearing»翻訳、そして公開に向け、緻密な準備がなされている、
との感を強く持ちながら投稿を拝見しております。ありがたいことです。

操縦士の橋を、「橋」たらしめるために必要不可欠な構造が、いま構築されようと
しているのですね。

このような枠組みを予め描き出し、順々に提示できる人はオールドタイマーさんを
置いて他にいませんから、われわれはつくづく幸運だと云わねばなりません。

ありがとうございます。けっして無理をなさらずご自身のペースでお進み下さい。
15c32709 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-18 09:19 1266452348.html (1KB)
ケース監督も"CS"または"C/S"と呼ばれるのでややこしいが、セッションの前に
書かれるセッションの計画もまた"CS""C/S"と呼ばれている。"case
supervision"の略だ。

毎回のセッションでやる内容が全く変わらないUCP橋を除けば、セッション前に
必ずCSを準備するべきだ。

オーディターは次の日のセッションのためにCSを書き、組織での実践によりそれ
が可能な場合には、ケース監督にセッション記録とCSをそろえて提出する。

慣例として、CSは赤と青で記述される。CSの例を添付しておいた。
0006c3bb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-18 20:04
要約すると、グレードチャートの実践のためにプログラムが書かれ、プログラム
の実行のためにCSが書かれ、セッションが行われる。各セッションにおいて開始
されたプロセスはそのセッション内またはその後のセッション内で1つずつ確実
に何らかの帰結を見る。通常、その帰結は最終現象だが、時には、そのプロセス
で処理すべきチャージがもともと存在しなかったことが明らかになることもある。

菜園の独自性は各プロセスそのものというより、むしろ、可能な限り最小のスコ
ープの中で各プロセスを確実に何らかの帰結に導こうとする几帳面さにある。

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