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fdd5f4fa Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-18 23:25
リモートビューイング関係はサイトから消えているねぇ。
87e3480f anonymous 2016-04-19 13:10
>>0ac6d2ea

スカイワークは技術的には興味深いですが、哲学的には正直付いていけないと思いました。

私はLRHと同じ実証主義を採用しています。なので、前世は証拠があるので信じますが、集合的無意識は証拠がないので採用しないというスタンスです。

カルマやエーテル体やアカシックレコードそしてパラレルワールドといった概念は実態のないアービトラリーです。つまり、検証に耐えないものです。

人文科学は過去の研究データを積み上げて進歩を装いますが、科学の進歩は不要なデータを捨て去ることで得られるものだと思います。

私がLRHを高く評価するのは、精神といったスピリチュアルの分野に工学的なアプローチを適用したからです。実証主義を失ってしまっては、もはやサイエントロジーとは呼べないと思います。
2d8a9a6f Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-19 16:01
>>87e3480f

まぁ、それでも「集合的無意識」みたいなことは無視できない。

教会の規範技術の範囲でも、「集合的無意識」のような考え方は不可欠だ。人口
が増えても魂が不足せず、しかも、適切な聴聞を施せば誰でも地球上に生きた生
涯を思い出すのは、魂が分裂するからに他ならない。
db787119 anonymous 2016-04-19 16:40
>>2d8a9a6f

ありがとうございます。

まず、地球上には、生存する肉体を持ったセイタン即ちホモサピエンスと肉体を失ったセイタン(死者)が存在しますが、もともと人口即ち肉体の数は、その需要に対して常に不足しています。だからこそ、転生時に肉体の取り合いが生じるのです。

セイタンつまりセータラインが分岐するのは、あくまでも個人の存在性であって、神や集合的無意識や仏教で言う第九識やブラフマンから分離するわけではありません。『人間の歴史』のセータの共通の塊は、LRHは後の研究でインプラントであったとして存在を否定しています。その後、全軌跡の長さが当初考えられていた規模よりも遥かに大きいものであることが判明します。つまり、セータの共通の塊からの分岐は、全軌跡の長さが76兆年しかないと考えられていた頃の理論です。

実際のセイタンは個人のスタティックとメカニックスの要素から構成されます。セイタンの年齢も特性も個人個人で異なります。当初考えられていたような、共通のルーツは無かったのです。

なお、セイタン個人のスタティックにおいては、他のセイタンと共存しているのですが、これはつながっているのではなく、あくまでも個別性を保って分離しています。なぜなら、スタティックにおいては空間も時間の区別も無いのですから当然です。それを、メストの観点から共存と表現しているだけです。私達の宇宙における空間概念では理解できないものです。LRHが述べたように、分離性は真実であり結合性は嘘です。無限の精神は個人主義的なものです。全ての人類が、ひとつの無限の精神に依存しているわけでもなければ、その一部を共有しているわけでもありません。無限の精神の多様性を思い描こうとしても、メストの空間概念に捕らわれている限り、人々の理解を超越したものでしょう。

以上、LRHの文献を参考にしながらセイタンの多様性と個別性について論じてみました。
298809e9 anonymous 2016-04-19 17:00
>>db787119

補足しますと地球即ちティージーアックは銀河系のごみ捨て場なので、セイタンの数は増えこそすれども、不足することはないでしょう。しかし、今後はフルブリッジを完了したセイタン(OT)が増えていくことで、地球のゲームからの離脱者の数は少しづつ増えていくと思われます。
3dab5766 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-19 20:01
>>db787119

それもある程度有力な説明ではあるけれど、疑問の余地がある。まず、魂が肉体
に対して圧倒的に余っているならば、聴聞の際にPCは肉体に宿っていなかった時
のことを主に話すだろうし、プロセシングも肉体から離れた時期をもっと扱うよ
うに最適化されたはずなのだ。ところが、現実には、生涯と生涯の間が意外に短
い。
a58e53c5 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-19 20:10
>>298809e9

ごみ捨て場説の維持はかなり困難だ。ああ、もちろん、地球はかつてごみ捨て場
だった。でも、現時点では明らかに違う。

菜園の活動が始まって以来、地球で最初の生涯を送っているPC――つまり、聴聞
で初めて想起する前世が他の惑星での生涯であるPC――がまだ一例もない。歴史
上、そういうPCは、たぶん、イエス・キリストで最後だった。
e19c0cd2 anonymous 2016-04-19 20:53
>>a58e53c5

私も、オールドタイマーさんが指摘されたことは、以前より疑問をもっていました。

地球上における人類の文明は、約500万年に渡ります。その間、大きく分けて少なくとも4つの文明がありました。そして、どの文明も頂点に達しては、核で自壊するという繰り返しでした。この中には、アトランティスやレムリアとニューエイジ系の人々が呼ぶ文明も含まれているでしょう。

しかし、PCの大半はここ数万年の単位で送られてきたクルーです。少なくとも、PCのセータライン上には、アトランティスやレムリアと呼ばれているような地球上の文明の記憶の事例が殆ど皆無です。

ということは、地球上の古い文明は、セイタン無しでGEだけで肉体を制御していたのだろうか?しかし、遺跡にもあるような高度な文明をGEだけで築くのは無理があるだろう。だとすれば、古い文明から人類はセイタンによって制御されていたということだ。しかし、その時の古い文明のセイタン達はどこに消えたのだろうか?

この銀河系では、不良のセイタン達が定期的に地球に捨てられてきたはずです。そして、OT出ない限り一度ここに入ったら脱出は不可能です。もちろん、現在のサイエントロジストのPCだけが、地球上に到着したのが遅いという可能性もあります。しかし、サンプリングの確率的にいえば、その可能性は低いでしょう。

また、私は自己のセータラインの分岐や再統合は認めています。それは、LRHも説いていることです。私が言っているのは、だからといって自己と他者のセイタンが繋がっているとか、意識を共有しているというのは違うと言っているだけです。

私が集合的無意識というアイデアが嫌いなのは、仏教の唯識論やヨーガや神智学のconcentric shells、そして、ロバート・モンローのような天上位階説を連想させるからです。
dffa5aef anonymous 2016-04-19 21:06
>>e19c0cd2

補足します。もちろん、大きな総体としての自己(I)として、他の兄弟系列のセイタン同士は意識的に繋がっているでしょう。ただ、最大等級のセイタンであれば全ての意識が統合されているのは当然です。

また、総体としての自己のゲームに入っていないスタティックの本体部分ともやり取りは可能です。

しかし、集合的無意識の説のように、全てのセイタンは繋がっていて、ワンネスで、私達は全員神という単一の起源から産まれたのだというアイデアには同意できません。ライフボードは神ではありません。
b7ea0277 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-20 10:30
>>dffa5aef

時間軸上に自らを意識できる存在はすべてなにかから生まれたのだよ。「時間は
見せかけ」というのは菜園理論の基本の一つだ。

自由領域では始源を無限の可能性を持つ虚無だと考える人が多い。ああ、菜園は
仏教と同じく唯識論的な体系だし。

虚無が最初に作り出したのは空間であり、空間の生成と同時に最初の魂の総体が
いくつも生まれた。そして、時間が始まった。しかし、虚無そのものは数も時間
も超越しているから、そこからいくつの魂が分離したとしても、虚無は増えも減
りもしない。

虚無は時間を超越しているから、時間の軌跡をさかのぼっても虚無を見つけるこ
とはできない。

虚無は時間を超越している。このことは、我々がプロセシングを通じてケースの
状態を改善しても、我々がなお個別の存在であり続けている間、虚無にいささか
も近づくことはないことをも意味する。

虚無はすべての個性の総和であるから、我々の生命の営みに全く干渉しない。虚
無は有って有る。当然だが、虚無は魂の相対やそれより小さい魂の間の交流や意
思疎通を仲介したりもしない。

魂は虚無から分離したと考えられるが、分離とは空間に依存する概念であり、空
間が見せかけである以上分離も見せかけだ。魂はその見せかけをかたくなに信じ
ている間においてのみ他とは異なる魂として存続する。魂が見せかけを超越する
たびに、別の魂との再統合が起こり、魂の総体という状態に戻っていく。そこか
らさらに最後の見せかけを超越すると、時間を超越し、魂の総体も消える。

誰かが虚無に還ると、それは時間を超越するのだから、それ以外のあらゆる存在
にとって、その誰かは最初からいなかったことになる。究極の悟りは究極の死で
もある。だから、幅度はあちこちで究極の悟りを避けるべきだと説いた。
63e7ba05 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-20 10:42
魂の総体は人の肉体に宿っている魂から見れば神のような存在だ。だが、彼らに
対して祈ることに意味はない。

アリに宿っているのはごくごく小さなGEだ。二匹のアリが互いと闘争していると
きに、人がどちらかのアリに肩入れしたくなることはほとんどない。どちらかの
アリにアリなりの正義があったとしても、その正義は人にとって何ら意味がない。

神に祈る人は、いわば、神を矮小化しているのだ。取るに足らない我々のどちら
かに神が依怙贔屓をしてくださるなんてのは、とても思い上がっている。問題を
抱え、それに苦しんでいるならば、自らケースを改善し、ばらばらになっている
自らを再統合し、より大きな力を得るしかない。だが、その力を得てしまうと、
もう問題の解決にあまり興味がなくなるかもしれないね。

総体にまで戻る手前で、魂は木星すら傾ける力を得る。もうその段階で、地球人
類の命運などその魂にとって取るに足らないことになるだろう。その魂はその段
階にふさわしい悩みを抱えているものだろうし。
a1859a55 anonymous 2016-04-20 12:43
>>b7ea0277
>>63e7ba05

ありがとうございます。まず、共通認識を得たいのですが、総体としての自己(I)はスタティックの部分とメカニックスの部分から構成されます。そして、総体としての自己(セイタン)は、スタティックである本体部分を残し、残りの一部がメカニックスとしてゲーム(宇宙)に入ります。そして、メカニックスとしての自己(セイタン)は時間の軌跡上で分岐したり再統合を繰り返してきました。これが、セータラインの分岐と呼ばれる現象です。ケースレベルが上がると、自己の分岐した兄弟系列の断片の存在も認識できるようになり、また、自己の分岐した断片のケースも扱うことになります。そして、ケースレベルが上がると、自己のスタティックの本体部分ともやり取りできるようになります。また、自己のスタティックの本体部分は、他のスタティックのセイタン達とコミュニケーションを取ってもいます。

メカニックスとしての自己は、時間の軌跡上でいくつも分岐している可能性があります。古い軌跡上では、このセータライン全てを管理していたマスターラインの断片のセイタンを「マスター」と呼んでいました。

物質宇宙の創造者をこの宇宙の神々と呼ぶこともできるでしょう。そして、物質宇宙の創造者にとっては、マジック宇宙の創造者が神々でしょう。神々の上にはさらに無数の神々が存在しています。しかし、それでも彼らは、私達と互角の対等な存在です。たとえ、今縮小してしまってパワーを失っているとしてもです。自己を蔑むことは名誉のコードの逸脱となり、螺旋状悪循環に陥ることにつながります。

地球上に存在しているセイタンは、かなり断片化が進んでしまったケースが多いと思われます。ちなみに、LRHの断片のひとつは、地球上のLRHに少し遅れて、銀河系の他の惑星でブックワンを発表し、それはサイエントロジーへと発展しました。しかし、現状では基本的な哲学や技術のスクウィレルがひどく失敗に終わったようです。

完全なる自由とは無になることではありません。全ての経験を保持しながら、ゲームに参加する自由とゲームから降りる自由を回復させるものです。それは、スタティックでいることもできますし、ゲームに入ってメストと戯れて遊ぶこともできる自由です。

仏陀は、涅槃に入ったと言われていましたが、実際には今、星間系列で立ち往生してモッカリー(まがい物)のスタティックの状態にいて、それを究極の悟りであると勘違いしているようです。仏陀はこの物質宇宙すら抜けられなかったのです。

したがって、仏教の説くニルバーナは、サイエントロジーの完全なる自由よりも劣った概念です。なぜ、仏陀はこの宇宙を抜けられなかったのでしょうか?それは、力とコミュニケーションと責任を避けたからです。あいにく、理性やエシックスは力の上位に位置します。この宇宙では、力を避けて理性の領域に到達することはできません。ですから、誰もサイエントロジー以前はこの物質宇宙を脱出できなかったのです。

もちろん、サイエントロジーがセイタンの自由を回復させる軌跡上で最初の試みではありません。かつての銀河文明でサイエントロジーの前身が存在しています。しかし、インプラントに誤用され失敗しました。

仏陀自身は唯識論は説いていません。唯識論は後のアビダルマ哲学で説かれました。サイエントロジーは唯識論ではありません。サイエントロジーはクリスチャンサイエンスや唯識論とは全く異なります。彼らは、全てをイリュージョンであると説きます。イリュージョンとは、質の劣ったイズネスです。全てがイリュージョンだとしたらそれは存在していないということです。サイエントロジーでは、それは存在する!と説きます。なぜなら、全ての存在はポスチュレートだからです。ポスチュレートは単に思考ではありません。物質、エネルギー、粒子、形態その他存在するものは全てポスチュレートです。そして、それは多かれ少なかれあなたが創造し続けているゆえに存在しているとサイエントロジーでは説くのです。したがって、サイエントロジーでは、オールドタイマーさんが言われるようなアクチュアリーやリアリティーの立て分けはありません。

全てのゲームは、無限に増殖し続けるという性質があります。個々のゲーム(宇宙)は取り消すことができますが、ゲームという状態そのものを取り消すことはできません。せいぜい全てを取り消した振り(ポスチュレート)ができるだけです。一度始まったものを無かったことにはできません。失うものや減るものもありません。創造はただ増えていくのです。
873072fe anonymous 2016-04-20 13:22
>>a1859a55

ちなみに、私が魂や集合的無意識といった古い用語を用いないのは、誤解語とスクウィレルを避けるためです。

おそらく、オールドタイマーさんが用いている魂という単語は、私の用いているセイタンと同じ概念でしょう。しかし、ニューエイジ系やスピリチュアル系の人々にとっては同じではないでしょう。
なぜなら、セイタンは純粋に数学的かつ工学的概念であり、彼らの意味する魂とは違うからです。セイタンは単に自我のことです。それ以上の意味はありません。それは、彼らの考えているような、セータボディーやアストラルボディーなどの唯物的概念ではなく、いかなる質量も波長も持たないものです。

古い用語体系をそのまま借用すれば、誤解語とスクウィレルが生じるのは必至です。そして、サイエントロジーがニューエイジ系の一哲学へと矮小化されてしまいます。

明確に定義するのでなければ、そのような用語を用いるべきではありません。また、それをそのような意味ではないといちいち前置きするのでは、コミュニケーションはひどく妨げられてしまい、円滑なものではなくなります。そして、定義は時とともに失われてしまうものです。ですから、工学的に新しい造語を創造し用いるべきでしょう。何も、LRH由来のものである必要はありません。過去の概念と明確に識別できれば良いのです。

例えば、スカイワークでは、カルマという用語が用いられています。オバート-モティベーター連鎖は存在しますがカルマは存在しません。カルマを説く人々は物質宇宙の法則に追従しているのです。つまり、全ての作用には逆向きの作用があるということにです。これは、真実ではありません。物質宇宙はセイタンの法則に従います。しかし、セイタン(生命)は物質宇宙の法則には従いません。
c18dc63d Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-20 15:47
>>a1859a55

«名誉の規律»は倫理的にも技術的にも強いられていない。«名誉の規律»を実践し
なくても、螺旋状悪循環には陥らない。むしろ、«名誉の規律»の実践を強制する
ことが、人の悪化の原因になる。

幅度曰く

` Any other use but self-determined use of the Code of Honor would, as
` any Scientologist could quickly see, produce a considerable
` deterioration in a person.

俺に木星を傾ける力はない。だから、木星を傾けることができる魂と俺は全面的
に対等ではない。そして、木星を傾ける魂も、時間を巻き戻す魂に比べれば矮小
だ。しかし、それら強大な魂と俺と比べてあまり違がないことは一つある。それ
ぞれの状態において、生きるというゲームをそれなりに楽しんでいるということ
だ。この点においてのみ、彼らと俺は対等だろう。

完全な自由は虚無と同じではない。菜園は完全な自由を目指すもので、虚無を目
指してはいない。


仏陀の悟りが限定的だったという見解については同意する。仏陀は我々から見て
まだ過去の人だ。だから、仏陀の悟りは時間という嘘、見せかけを超えていない。
仏陀が本当に虚無に還ったとしたら、彼は我々にとって最初からいなかったこと
になる。

菜園はアクチュアリティーにおいて唯識論の体系だ。菜園公理3にこうある。

` Space, energy, objects, form and time are the result of considerations
` made and/or agreed upon by the static and are perceived solely because
` the static considers that it can perceive them.

スタティックが何かを知覚できるのは、ただ、スタティックがそう思うからだ。
だから、スタティックが物質宇宙は存在しないと思い込むことができれば、その
スタティックにとって、物質宇宙は存在しなくなるのだよ。

菜園公理11を読むことだ。AS-ISNESSは何かを創造するが、同時にそれを消滅さ
せる。何かを存在させ続けるには、AS-ISNESSを隠蔽する変化をもたらし続ける
こと、つまり、AS-ISNESSについて嘘をつき続ける必要がある。それらの嘘のう
ち合意された部分がリアリティーになる。

` c. ISNESS is an apparency of existence brought about by the continuous
` alteration of an AS-ISNESS. This is called, when agreed upon, reality.

僕らの肉体も嘘によって作られている。魂がこの嘘を完全に認識することを困難
にするために、肉体は惑星上にあり、惑星は自転し、なお公転する。恒星系も銀
河系の中で移動し、銀河系も宇宙の中で移動する。また、肉体の内部でそれを構
成する粒子も常に動き回っている。

こういう無数の嘘を意識して書かれた部分が哲学としての菜園のアクチュアリテ
ィー層を構成している。

俺は「セイタン」という単語をあまり用いない。最初の定義に従えば、セイタン
には質量も、波長も、時空間上の位置もない。だがね、プロセシングを行う上で、
菜園はリアリティーに妥協する必要もあった。『思考の原理』のような言葉遣い
でプロセシングを行うのは不可能だ。だから、位置を持たないセイタンに、「そ
の肉体の三フィート後方にいてください」なんてことを言ったりしたもんだ。

そのため、「セイタン」はアクチュアリティー層とリアリティー層で別の意味を
持つようになってしまった。自由領域に「位置を持たないセイタン」「位置を
持つセイタン」という弁別が定着したのはそのためだ。
0f2d925c anonymous 2016-04-20 18:19
>>c18dc63d

「心は内容と作用に関してかなり異なっていますが、特定の法則に従っており、これらの法則は全てポスチュレートだということがわかります。セイタンが何ひとつできない対象があるということがわかります。それは、彼がセイタンであるということです。そして、それより下では、彼は一連の法則をつくり上げ、その法則が、彼に様々な宇宙をもたらすのです。セイタンであると言う事実は、誰かがつくり上げたものではありません。それは存在するものです。あなたが何もすることができない宇宙はたったひとつです。他の宇宙はどれも変えることができます。どんな宇宙でも変えたり、再び元に戻すことができます。なぜなら、これらの宇宙はただの法則であり、それらの法則はすべて、単に同意されたポスチュレートだからです。それらは、コンシダレーションです。」

「公理1と公理2はつくられたり、ポスチュレートされたものではありません。これらは、何らかの方法で同意されたり、考案されたものではなく、いつ何時も誰もあなたにそれらに関して相談することはありませんでした。あなたは、それらに関して決定する必要もありませんでした。なぜならそれらは 事実 だからです。それは 完全な現実性 です。それは、サイエントロジーがたどり着いている絶対に最も近いところです。これらは 真実 です。残りの公理は、単につくられ、反対につくられ、同意され、それから避けられ、再び見られなかったポスチュレートであり、それらはすべて公理1と公理2からきています。もしあなたが、真実を探しているなら、公理1と2を見なさい。それが真実です。それは、私たちが得たいと思っている基本的真実に最も近いものです。真実とは、人の決定の範囲から完全に外れた不変の何かで、それに関して全く何もできないものを意味します。それは不変です。それは、すべての人にとっていつでも、どこでも真実です。そうでしょう?それは限りなく絶対的な真実に近いものです。他のものは、単に相対的な真実です。しかしながら、それらが相対的な真実であるということは、それらが存在しないということを意味しているわけではありません。なぜなら、存在が真実を示すって誰が言ったんですか?つまり、何かの存在というのは真実を示しています。しかし、それはただ同意されたものです。つまり、相対的な真実です。あなたが見ることができるからといって、それが絶対的な真実にはなりません。それは、単にそれを存在させているだけです。わかりますね、それは存在するんです!あなたは、存在するすべては真実です、と述べることもできます。さて、それらは存在しますが、それらはフィクションです。それは存在します。しかし、それは嘘です。すると、あなたは、すぐにも哲学的な難問へと入っていきますよね?」

以上、LRHの講演からの抜粋です。オールドタイマーさんはセイタンをもアズイズできると言いました。しかし、私は、セイタンはメカニックスはアズイズできるが、セイタン自身はアズイズできないと言います。心も肉体も全てポスチュレートの産物であり、これらはアズイズすることが可能です。しかし、唯一アズイズできないのは、ポスチュレートを行っているクリエイターつまりセイタンとしての存在性です。サイエントロジーの公理3はメカニックスについて述べたものであってスタティックについて述べたものではありません。それは拡大解釈です。そして、公理3以下の全ての公理は、公理1と2に従属します。つまり、公理3が可能であるのは、公理1と2が存在することが前提条件です。オールドタイマーさんは、公理1と2の絶対性自体を否定する立場なので、そうなると公理3も無効になります。

おそらく、私の解釈はサイエントロジーにおいて、保守的で規範的なものだと思っています。
03bb1f3c Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-20 19:17
>>0f2d925c

セイタンはアズイズされないよ。アズイズされるのは、セイタンが別のセイタン
とアクチュアルに切り分けられているという見せかけのほうだ。この見せかけは
メカニックスともリアリティーとも呼ばれる。

` A life static has no mass, no motion, no wavelength, no location in
` space or in time. It has the ability to postulate and to perceive.

セイタンには質量がなく、動きがなく、波長がなく、空間にも時間にも位置を持
たない。これがアクチュアリティー層の考え方なんだよ。

だから、アクチュアリティー層の言葉で言うと、あるセイタンのケースレベルが
どんなに向上しても、肉体から出ることもないし、物質宇宙から出ることもない。
ただ、肉体の中にいたことがなかったことや、物質宇宙の中にいたことがなかっ
たことに気が付くのだ。

"質量がなく、動きがなく、波長がなく、空間にも時間にも位置を持たない"とい
う言葉は、そのまま、虚無の性質を表している。セイタンとは何かといえば、虚
無なのだ。アズイズされないのは、アズイズされたことがないから。アズイズは
創造と消去をもたらす。セイタンは創造されていないので、消去されない。

` The static is capable of considerations, postulates and opinions.

では、そなたと俺が別々のセイタンであるのは、"considerations, postulates
and opinions"ゆえのことだ。俺たちは時空間に位置があるように思い込み、波
長があるように思い込み、動きがあるようにいも鋳込み、質量があるように思い
込むことで、複数の別々のセイタンであるかのような見せかけを演じることにま
んまと成功し、それなりに楽しくやっている。

俺がもしも究極の悟りに達すると、すべての宇宙から、俺がかつて存在していた
痕跡が消える。俺に関するすべてのメカニックスが消えるんだから、他者から見
れば、俺は最初から存在しなかったことになる。だが、俺の本質はセイタンなの
で、アズイズされない。人としての俺のメカニックスがアズイズされるだけ。
c55dcba4 anonymous 2016-04-20 19:51
>>0f2d925c

さらに述べますと、オールドタイマーさんは、時間や空間という嘘つまり見せかけを消去すればセイタンも消え去ると考えています。

これに対して、私は時間や空間というものはあくまでもメカニックスの一種つまりポスチュレートの産物である。そして、時間や空間という見せかけつまりポスチュレートを消去したとしても、メカニックスをポスチュレートによって創造しているクリエイター(創造主)であるセイタンそのものは消え去ることはないと考えています。

オールドタイマーさんの言っているアクチュアリーレベルを私の言っているスタティックに、そしてオールドタイマーさんの言っているリアリティーレベルを私の言っているメカニックスに置き換えると分かりやすいと思います。私の言うスタティックとオールドタイマーさんの言うアクチュアリーレベルは、虚無も含みますがそれ以上のものです。つまり、リアリティーレベルを全て消去してもアクチュアリーレベルは残るわけです。そして、アクチュアリー即ちスタティックは、公理いわくコンシダレーション、ポスチュレートおよび意見を持つことができます。つまり、実存的な意識をもつ存在です。ということは、全てのリアリティーおよびメカニックスを消去したところで、アクチュアリー即ちスタティックに戻るだけで虚無にはなりません。スタティックと虚無は異なります。虚無はまさしく何もありませんが、スタティックは潜在的であろうとなかろうとそれ以上のもの即ち能力を持っています。

セイタンの不滅性即ち絶対性と実在性を否定する立場は、サイエントロジーの公理1と2の否定です。公理3を公理1と2に適用することはできません。なぜなら、公理3以下は、公理1と2の産物であり、公理1と2は公理3以下の前提条件だからです。公理1と2はコーズであり公理3以下はエフェクトです。

もちろん、セイタンの不滅性といっても、もともと時間はコンシダレーションの産物なので時間概念で論じることはできません。しかし、サイエントロジーにおいてセイタンの実在性は、公理1と2のLRHの扱いのごとく、限りなく絶対的なものです。これを前提にしなければ、全ての公理は崩れます。オールドタイマーさんの立場は、サイエントロジーよりも、アートマン(サイエントロジーで言うセイタン)の不滅性を否定した仏陀に近いのではないかと思います。
795ecea8 anonymous 2016-04-20 20:37
>>03bb1f3c

前後してしまいすいません。

私の見解は、虚無とスタティックは同じではないということです。

サイエントロジーの公理1の定義いわく、生命のスタティックは、質量も動きも波長も、空間や時間の中の位置も持たない。これは、虚無の性質を述べたものです。

しかし、次に、それはポスチュレートする能力と知覚する能力を持っている。この部分はスタティック即ち各セイタンの本体部分の性質の共通項が述べられています。

スタティック即ちセイタンは、虚無も含みますがそれ以上の実在性であると述べたのはこのような理由からです。
bcdd98a8 anonymous 2016-04-20 20:59
>>795ecea8

オールドタイマーさんは、メカニックスであるタイムトッラクを全て消去して、ゲームから全て足を洗えば、つまり痕跡を消せば、それまでの自分自身の個性(個性は全てのアイデンティティの総体と定義します)や自我が無くなってしまうということを言われているのでしょうか?

私は、それはできない、忘れた振りはできるが、ノーイングネス(一切智)そのものであるセイタンの経験は、痕跡を消しても消えないだろうという立場です。

また、完全なスタティック即ちゲームのないセイタンであっても、空間上の区別は無いが、個性の区別は存在しているという立場です。これは上位OTレベルの人の経験からのデータなのであえて意見を述べさせてもらいました。失礼しました。
f2ae6486 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-20 22:18
>>c55dcba4

コンシダレーションとポスチュレートはセイタンそのものではない。これらはメ
カニックスだ。だから、コンシダレーションやポスチュレートはアズイズされる。
実際、聴聞でこれらがアズイズされるからこそ、ケースに改善がある。

経験の記憶もアズイズによって生成され、アズイズによって消去される。すると
セイタンはすべて忘れてしまう。だが、セイタンつまり虚無は本来全知だ。時間
も超越している。リアリティー側から見て過去のことも未来のことも、本来の状
態のセイタンはすべて知ることができる。その状態に近くなるにつれ、記憶する
必要がなくなるのだ。

だが、すべてを知ることができる状態になると、セイタンはゲームのプレイヤー
ではなくなる。

記憶とは何かといえば、知らないふりをしてゲームを楽しむセイタンが、ある視
点や接触点を通して経験したこと過去のみを参照するための仕組みだ、つまり、
使用している視点や接触点を通していないことを知らないままにしておく仕組み
なのだ。

トーンスケールの右側は、上から、Know, Not Know, Know Aboutになっているだ
ろう。Knowはすべてを知っている状態、ゲームに参加していない状態だ。Not
Knowで何かを知らないことにする。それから、Know Aboutで選択的かつ限定的に
何かを知ることで、ゲームに参加する。基本的に、過去を知り、未来を知らない
でおくのが流行っているので、記憶というメカニックスが使われる。
a4d033a9 anonymous 2016-04-21 19:52
オールドタイマーさんに質問させていただきます。

以前、オールドタイマーさんはコミュニケーションは見せかけであると言われました。

コミュニケーションの要素は全てがメカニックスであるのでしょうか?

そして、コミュニケーションの見せかけを消去すれば、総体としての自己(I)も消え去るのでしょうか?つまり、スタティックおよびアクチュアル側の本体部分の個性の区別も失われるのでしょうか?

もし、その本体部分のセイタンの個性の区別すら無くなるとしたら、セイタンのアクチュアルとしての不滅性、実在性というサイエントロジーの土台自体が崩壊することになります。それは、完全な死であり虚無です。

『要因』には、視点は決して消滅できないが、その形態は消滅できると書かれています。視点はつまり、総体としてのアクチュアルなセイタン(個性)であり自我です。形態は、アンカーポイントを含む次元点つまりメカニックスです。

上位OTレベルの人からのデータによれば、スタティックは個人で構成され意識を共有しているわけではないということ、アクチュアルの虚無領域においても、個々のセイタン同士はコミュニケーションを取っているとのことです。もちろん、時空が存在しないので、メカニックス側の概念は適用できないでしょう。時空が存在しなければ、テレパシーという概念すらも無意味ですね。

私は、おそらく虚無領域つまりアクチュアリーレベルにおいても、コミュニケーションが存在しうる、そして個性の区別が存在しうるということは、コミュニケーションの全ての要素がメカニックスつまり見せかけとは言えないということだと思います。

そもそも、スタティックである位置の持たないセイタンにもメカニックスの要素が存在しうるし、メカニックス側の位置を持ったセイタンにもスタティックの要素が存在しうるということだと思います。つまり、両者はゲームの存在する今では切り離せないのではないでしょうか?なぜなら、テレパシーや全方位の視角や膨大な知覚といったOTのノーイングネスの大半はメカニックスつまり合意に基づくものだからです。

また、メカニックス側の位置を持ったセイタンの外在化もそうでしょう。本来の外在化とはセータボディー(幽体)を伴いません。つまり、肉体だけでなくマインドやバンクからも離脱している状態が本来の外在化です。この状態において、セイタンはあらゆる知覚や全方位のパノラマの視覚力を持ち得ます。一般の死者や幽霊などは、肉体から外在化していますが、依然としてマインドやバンクからは外在化していないので、本来の外在化ではないのです。

もちろん、アクチュアルレベルでは外在化といった概念自体が無効になります。しかし、メカニックス側つまりゲームに入っているセイタンが、時空において外在化する場合、マインドやバンクを伴っていないので姿形や波長は無いわけです。もちろん、ビームを用いて波長を放出することはできますが、それ自身は無色透明で質量もありません。そして、エネルギーでなくポスチュレートによって機能(瞬間移動やテレキネシス)しています。しかし、アクチュアルレベルのセイタン本体と比較すれば、依然として位置や大きさは持っているわけです。これは、半アクチュアルで半リアルの状態のセイタンといえます。

白が黒を含めて全ての色を含むように、善は悪を含む全ての可能性を含みます。そして、静穏は全ての感情を含みます。つまり、アクチュアルは全てのリアルを潜在的に含み、アクチュアルとリアルを区分することは不可能であり無意味であるというのが私の考えです。虚無は潜在的に全ての有(存在)を含み、ノーゲームのスタティックは全てのゲームを潜在的に含んでいると思うからです。
b693a0a3 anonymous 2016-04-21 20:49
>>a4d033a9

果たして、コギト(自我)は消えうるのか?

仏陀は消えうる、そして消えるべきであると説きました。

サイエントロジーでは、『要因』その他の哲学的表明においてコギトは不滅であると説きます。

そう言えば、昔の書き込みで話題になったEO氏は、自我は消滅すると考えていたようですね。彼も自殺してしまいましたが、原始仏教的な無常観や虚無思想に傾倒すると、うまく生存したりゲームをプレーはできないのは明らかです。

ただ、仏陀の説法の翻訳も悪いのは確かです。仏陀の「苦」は正しくは、「思うようにならない」という意味です。翻訳が、より一層悲壮的でニヒリズムな情緒を漂わせているのです。

私は、ニヒリズムを克服した哲学者としてニーチェを高く評価しています。LRHはニーチェを高く評価することはありませんでしたし、彼も最期は自殺してしまいましたが、サイエントロジー哲学との親和性は高いと思っています。

結局、サイエントロジー哲学は、原始仏教のニヒリズムよりも上位にあるのだと思います。つまり、虚無は全ての有(存在)をポテンシャルとして包含していると考えるからです。そこが理解できない人々は、ショーペンハウアーの悲観主義やニヒリズムそして、逆に快楽的刹那主義に走ったり、また全ては夢幻だと考えるマーヤ哲学やクリスチャンサイエンスのような唯識論に陥ってしまうのだと思います。
1656a9ba Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-21 22:41
>>a4d033a9

コミュニケーションはスタティックそのものではない。ゆえに、コミュニケーシ
ョンはメカニックスだ。だが、コミュニケーションを行う主体がメカニックスだ
とは限らない。スタティックもメカニックスもコミュニケーションを行う。

自己と他者がいるという感覚はコンシダレーションだ。これは究極のレベルでア
ズイズ可能なことだ。だから、幅度はそのレベルに達することを避けるべきだと
説いている。"OT"は"全知全能者"とは違う。
7fa9b7a0 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-21 23:22
«要因»を読んでみよう。

` Before the beginning was a Cause and the entire purpose of the Cause
` was the creation of effect.

"Before the beginning were Causes"とはなっていない。つまり、始まりのその
前――つまり、時間を経験した我々から見た場合の時間の始まりの前――に、複
数の個性は存在しないのだ。個性の区別はアズイズされて生じたから、再びアズ
イズされればなくなる。

何らかのゲームを楽しみ続けたいならば、究極のレベルに到達してはいけない。

さて、時間は空間に依存する。だから、個性を持ったまま到達できる最高レベル
において、魂たちは過去を変え、未来を知ることができるようになる。

この宇宙の過去もしばしば変えられている。そういう部分で、我々の時間の軌跡
は多重化されている。幸い、魂の個性は空間に依存しているから、時間が一回巻
き戻されても、初回と第二回、両方の記憶を持つことができる。

すべての空間も超越した魂は虚無に還るので、俺たちから見ると、最初からいな
かったことになる。そういう魂からの干渉はない。俺たちは個であることを脅か
されないのだ。
e1d46377 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-21 23:27
>>b693a0a3

ニーチェは"無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰
り返し生き抜く"ことができる人を超人と呼んだ。彼もまた時間の巻き戻しと過
去の改変に気が付いていたのだろうと思う。
3386169f Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-21 23:35
理論や手法とは別に、気質というところで比べると、菜園は仏教に先んじた仙道
に似ている。虚に還り、道に合することを究極としながら、そこまでの到達を志
向せず、具体的な方法についてもほとんど何も語っていない。
8a5cc6e4 anonymous 2016-04-21 23:44
>>1656a9ba

ありがとうございます。

「「我々はみな、ひとつの型からつくられた」あるいは、「我々はみな、同じものであった」と仮定した哲学者はひとりだけではありません。これは、全く意味の無い問いかけです。プロセシングによって、私たちは誰もが個々のにんげんであり、同一の人間ではないということがかなりはっきりと証明されます。そして実際、みな同じ人間であると信じている人々は、かなりの困難を経験しています。しかしどうやら、少なくとも私たちがみな完全に正気であったとしたら、私たちはみな同じ人間に なれる ようです。私たちは、意識していることを意識している個体として、基本的にみな異なっています。私たちは同一の「生命のプール」にいるわけではありません。(共産党がどんなにそう信じたがっていようとも)私たちはみな、明らかにそれぞれ異なった資質を与えられているのです。」

「究極の真実」は無です。これは、『人間の能力の創造』でより一層の研究が行われています。しかし、この「究極の真実」は人生ではありません。人生は、「コミュニケーションできない」と「コミュニケーションしなければならない」という見せかけから構成されています。人生は、この複雑なコミュニケーションのもつれと自分でつくり上げた障害から構成されており、それが私たちにゲームをもたらします。」

以上、『ダイアネティックス55!』より。

視点や自我もコンシダレーションであるということだとすると、個々のセイタンは虚無領域においても、時空領域においても不滅ではないということですね。自我の消滅という哲学的主題や自我もメカニックス(見せかけ)ではないが、コンシダレーションでありアズイズ可能であるとなると、ものすごい再刺激的なことです。少なくとも、コギトは不滅の実在だと考えていました。あとは、自分でOTになって確認擦るしかないですね。
ad3b11bf anonymous 2016-04-22 00:03
>>7fa9b7a0

日本語の『要因』だと、「起因」の単数と複数の区別がわかりませんでした。言語の壁は基本的な事柄にも及んでいますね。

「起因」が単数扱いだったなんて思いもよりませんでした。なんてこった、「起因」が単数だとすれば、それは個々のバラバラになる前のほんの一瞬(もちろん時間は虚無領域では存在しないので比喩です)であっても神のような唯一の存在性があったということですよね?今まで、神はいないと思っていたのに、それだとかなりショックです。自分より上位の存在を仮定したくなかったからです。もちろん、今でも認めたくはないです。
ab794a02 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-22 07:17
>>8a5cc6e4

大丈夫、我々は時空領域において不滅だ。«要因»の5はこれ

` Thus there is space created, for the definition of space is: viewpoint of dimension.

"なぜなら、空間を定めることは: 次元の視点"とある。"thetan"は"Θⁿ"つまり"n
次元のΘ"だ。ここで、"viewpoint"にも"dimension"にも冠詞がついていないのは、
高度に抽象化された表現だから。”a variation"は"変化の一つ"、"variation"
なら"変化があることそのもの"を意味する。"viewpoint of dimension"ならば、
"次元があることそのものに対する視点があることそのもの"。(«要因»が異常に
分かりにくいのは、幅度が虚無への還元に強い警戒感を持っていたからだろうか?)

二次元における正方形には辺が四つあり、一つの辺が他の二つの辺と直角に接し
ている。三次元における正方形は立方体で、六つの正方形のそれぞれが、ほかの
四つの正方形と直角に接している。四次元における立方体は正八胞体(四次元超
立方体)で、八つの立方体のそれぞれが、六つの立方体に接している。けれど、
これを視覚的に把握するのは非常に困難だ。

菜園では時間を次元に数えない。三次元のこの物質宇宙は四次元の空間に含まれ
ているから、この宇宙から「出る」ことがあっても、魂(セイタン)は消滅しな
い。最も外側の空間は17次元と言われているが、本当はもっとあるのかも。もっ
とも外側に出るならば、自由領域の詩的表現で、"無限の半分"の時間が必要にな
ると思う。

そして、最も外側の空間からさらに出てしまった魂は、もう俺たちに干渉しない。
つまり……

>>ad3b11bf

今の俺たちにとって、神はいない。時間の軌跡をさかのぼっても、神そのものに
は出くわさない。時間を超越すると、俺たちは神そのものになるんだから、いず
れにせよ、俺たちの個性そのものを俺たちの意思に反して消滅させることができ
る存在はどこにもいないといえる。

さて、四次元の魂として活動できるようになると、俺たちは三次元宇宙では超越
者になる。四次元の知覚にとって三次元宇宙に死角はない。四次元の手――つま
り、念動力――は三次元宇宙のどんなものにも遮られず、好きなものに触れ、動
かせる。触れたものを四つ目の軸のほうに引っ張ると、それは三次元宇宙から消
える。押し戻せばそれは三次元宇宙に再び出現する。
20125ac5 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-22 07:29
そして、まぁ誰でも人生経験からわかることだけど、そういう超越者にもほとん
ど出くわさない。四次元で活動できる魂は三次元のゲームに興味を持たなくなる。

俺たちは三次元で活動しているから、二次元のゲームに興味を持たない。二次元
空間の肉体では、摂取、排泄、呼吸を一つの穴から行わなければならない。穴が
肉体を貫通すれば、肉体は二つに切れてしまうからだ。そういうゲームに、そな
たは興味がないだろう? 二次元ゲームはあまりにつまんないので、もうプレイ
ヤーがいない。誰もプレイヤーがいないから、二次元の宇宙は存在しなくなった。
71047e54 anonymous 2016-04-22 10:29
>>ab794a02
>>20125ac5

ありがとうございます。

いくつかお訊きしたいことがあります。

『要因』における「起因」は虚無と同じものでしょうか?私の理解では、虚無はアイン(無)であり、「起因」がアインソフ(無限)だと考えています。だとすれば、アインからアインソフはどのように生じたと思われますか?私の考えでは、虚無はもともと潜在的に全ての存在性を有しており、(比喩としてですが)ある時この虚無の「ゆらぎ」によってアインソフが生じたと考えていますがどう思われますか?

『要因』の視点を、コギト(自我)および自他の区別(個性)そしてスタティックと定義すると、コギトが生じる前に「起因」という存在性があり、その「起因」は目的を持ち、決断を行ったということになります。ここが、よくわからないのです。コギト(視点)が存在しない状態で、なぜ目的と決断が可能なのでしょうか?

『要因』を読むと、「起因」は確かに単数ですが、3番の「視点」も単数になっています。LRHが神のような単一の超越者の観点を想定して『要因』を書いたとすれば、3番の「視点」は単数系ではなく複数系であるはずです。とするならば、「起因」は、もちろん(比喩的に)最初の起因は一つであったとしても、視点の数だけの起因が個別に存在しうるということではないでしょうか?

また、『要因』では視点つまり自他の区別を持つコギトは決して消滅できないと書いてあり、これがセイタンの不滅性と実在性の保証だと思っていたのですが、オールドタイマーさんによると、視点もコンシダレーションである以上アズイズ可能だということですね。私からすると、コギトが存在しない状態で(つまりコギト以前に)コンシダレーションが存在しうるというのが、理解しがたいというか違和感があります。ここの説明もお願いします。


fae2f3c5 anonymous 2016-04-22 10:41
>>71047e54

『要因』における「起因」をアインソフおよびスタティック、「視点」をコギトおよび自他の区別と考えると私の理解とも、上位OTの人の説明とも一致します。なぜなら、上位OTの人はスタティックは個別的に存在するものであると説明されていたからです。
9d6eccfd Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-22 11:23
>>71047e54

虚無は様々な意味で不可知なものなのだが、アインとアインソフのその話に俺も
説得力を感じる。そして、物理学のゼロ問題もそういう自発的な揺らぎで解決さ
れたところを見ると、かなり信憑性が高い。俺は構造主義者なので、矛盾が少な
い説明を好む。そして、異なる知の体系から同じ結論が得られたならば、その結
論は信憑性はそれだけ高まると思う。

空間がなければ視点はない。現時点では視点がいくつも存在するのならば、空間
を生み出す機運なり目的なり揺らぎなり何かがあったと考えるしかない。«要因»
の第1文は直接知覚的に得られたものではなく、帰納法的にたどり着いた結論だ。
幅度は帰納法をちょくちょく持ち出すし。

第3文は

` The first action of beingness is to assume a viewpoint.

だが、これは"Cause"の行為ではない。菜園での"beingness"は"人格"あるい
は"個性"。人格や個性の最初の行為は視点を取ることだ。
3d5da247 anonymous 2016-04-22 11:35
オールドタイマーさんに次元について質問します。

サイエントロジーにおいては、次元は時間を含まない純粋な空間概念であるということ、2次元の宇宙は人気がなく淘汰されたということ、ここまではよく理解できます。

問題は、3次元以上の高次元についてです。NEDなどでPCに方角を指し示しさせると、このときの方角は前後左右上下+αの全方位になるはずです。そして角度つまり方位と距離によって現在地からの位置(場所)が特定されます。

完全に外在化したセイタンは、全方位のパノラマのクリアな視界を持っています。これも全方位ですね。空間上で座標を定める場合この全方位のなかに全ての次元が含まれているのではないのですか?3次元以上の次元があるとしても、全方位以上の方位があるというのが、どうしても理解できません。指で指し示す以上の方位をどうやって持ちうるのでしょうか?

知人が、大学院まで数学を研究していたのですが、高次元はあくまでも数式上の操作概念としてしか理解できない、空間的(視覚的)に理解することはできないのではないか?と言っていました。

高次元の視覚的なイメージをつかむとしたら、どの数学あるいは他の分野の学習が一番良いでしょうか?
7d6b5f75 anonymous 2016-04-22 12:24
>>9d6eccfd

LRHの文章は正直、イマニュエルカント並みにわかりづらいのは確かですね。今では慣れましたが。

私は、性格的にCBRの説明のほうが分かりやすいので、わからないことは関連するCBRの説明を探します。私が思うに、CBRがサイエントロジーとLRHの哲学を最も良く理解し、デュプリケートしていたなと思っています。

LRHは、せっかちなのか結論だけ述べて、先に進んでしまうことが良くありますよね。アメリカ人的なアバウトさなのか、公理なども体系的あるいは言語的に洗練しようというよりも、先にアウトプットしてしまうという傾向が見受けられます。

その点、CBRは最終結論からの解説なので、一貫性がありますし、根本から掘り下げて説明してくれます。LRHの文献だけで理解するのは、多くの人にとっては難しいだろうと思っています。もしコースで勉強するなら、CBRの文献もあったほうが絶対にいいと思います。
925de5b5 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-22 16:14
>>3d5da247

三次元空間上の点pの座標が(4, 5, 6)でも、二次元で行動している魂から見れば、
(4, 5)というところまでしかわからない。

さて、三次元チャージの表面を二次元的に消去するすると、チャージの一時的な
解放が起こる。けれど、三次元チャージの消去にはNEDみたいな三次元の手法が
必要になる。でも、もしも、三次元で消去されたと思われたそのチャージが本当
は四次元だったらどうだろうか?

これは俺の推測の域を今のところ出ていないけれど、

・二次元チャージの消去 = 三次元チャージの解放
・三次元チャージの消去 = 四次元チャージの解放
・四次元チャージの消去 = 五次元チャージの解放

ってことになっているのかもしれない。空間の次元数が四つ以上だと考えると、
三次元宇宙内の不可解な現象のすべてに説明がつく。リサ・ランドールのような
物理学者が取り組んでいる課題なので、成果を待っているところ。
9c73e43d Old Timer i1b5ibip3kS 2016-04-22 16:16
>>7d6b5f75

驢馬斗尊の解説はなかなかいい。技術の方向性はアメリカの自由領域とはかなり違うけど。
5fc29772 anonymous 2016-04-23 16:41
ここ一週間のやりとり、とても深い内容ですべてが理解できているわけではありませんが、とてもためになりました。ありがとうございます。

質問させてください。
CBRの文献はどのようにすれば手に入るのでしょうか?書籍などになっているのでしょうか?

また、Old Timerさんは時々、仙道のお話をされますね。確かに還虚などの理屈は菜園とつながるようにも思います。一方で、その実践は瞑想的なものと気功的なもの、どちらも菜園とはアプローチがだいぶ異なるように感じています。以前、高藤氏の書籍などを読んだことがあり、また実践をはじめてみたいと考えていたところです。仙道の取り組みは役立つものでしょうか?また、オススメなどがあればぜひ教えてください。
035a812f anonymous 2016-05-03 15:24 1462256645.gif (57KB)
教会の上位組織
a5b1baca anonymous 2016-05-03 21:10
>>035a812f

それは不正確な図表です。少なくとも、現在ではCSTもRTCつまりミスキャベッジの指揮系統下にあります。

最上位機関はこの図に記載されていないオーサー・サービス社(ASI)です。ASIはRTCと同じ1982年に設立されました。つまり、CIAの介入およびLRH失脚の直後です。

RTCが所有している権利は商標権のみですが、ASIはサイエントロジー教会の全ての著作権およびLRHの全ての未公開の資料を所有しています。RTCとCSTに指示を与えているのもこの組織です。
307e37f7 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-05-04 08:29
>>a5b1baca

ASIはCSTの下部組織だ。この組織は営利団体として登録されているので、最上位
機関にはなりえない。ASIが最上位になってしまうと、税制面で大幅に不利にな
る。ASIは幅度の文学作品の著作権を所有していて、CSTへの寄付という形で税負
担を下げている。

菜園技術関連の文書を名目所有していることになっているのはRTCのほうだけれ
ど、CSTは所有権を100ドルで買い取るオプションを持っている。だから、実質所
有者はCSTになる。御簾下別児がどう頑張っても、CSTには手も足も出ない。

驢馬斗尊によれば、幅度と御簾下別児の間には何らかの対立があった。CSTはお
そらく御簾下別児の野心を挫くために存在しているのだろう。CSTの幹部会が非
菜園人でできているのも、御簾下別児に感化されないためなのだろう。
cdcf1daf 2016-05-08 22:08
OldTimerさん&皆さんに質問です。

以前、「自由領域で英語でプロセスを受けるにはどれくらいの英語力があればいいですか?」と
質問した者です。大姉500時間くらいは与えてきた者です。
OldTimerさん、その他の人達の書き込んだデータのおかげで
今後自由領域でプロセスを受けるのがかなり現実的になってきました。

私は現在、経営シリーズを読んでいます。

LRHが生きた時代の出来事や社会問題を知ることが経営シリーズを理解する上での
「匹敵する大きさのデータ」であると思います。

なので1995年に放送されたNHKの「映像の世紀」をNHKオンデマンドで観ました。
映像の世紀のデータとLRHのマテリアルのデータを重ねあわせたことで
以前よりもLRHのデータに対する理解度が上がりました。
(※勿論、偽りのデータもあるだろうという警戒心も持ちながら観ました。
例 http://togetter.com/li/786097
 )

そのようなリアルな映像媒体であり、真実度の高いデータでお薦めのモノがあれば教えて頂けますでしょうか?
(アドミンで役に立つデータ、セイタンの潜在能力を理解する上で役に立つデータ、人物・・・など何でもかまいません。)

英語もある程度出来るので、過去の海外のドキュメンタリー番組などでお薦めのモノがあれば
教えて頂けると助かります。

よろしくお願いします。
dabf376a Old Timer i1b5ibip3kS 2016-05-08 22:25
>>cdcf1daf

NHKものなら«新・映像の世紀»があるが、これはもう視聴済みかもしれないね。
組織運営と状況判断について教訓になるのは«世紀を超えて»だと思う。

経営に興味があるのならば、現代の経営学もやるといいかもしれないね。数千、
数万の事例の統計分析は、ドラッカーも時代遅れにしている。もちろん、幅度の
考えもまた古くなっている部分が多いけど、逆に、経営者の経営以外の職能など、
以前より注目されているものもある。菜園組織の運営者は聴聞士としての経験も
あったほうがいい、と幅度は考えていて、それは現代の経営学にも通じるものが
あるかも。

俺が個人的に興味があるのは人工知能関連なので、«NEXT WORLD 私たちの未来»
なんかが面白かった。魂は起因になることができるが、人工知能にはまだできな
い。これからできるようになるのかもわからない。というか、人工知能にかかわ
っている人たちは、まだ、人工知能が起因になることができるかどうかが、この
分野の焦点だってことに気が付いていないのかもしれない。囲碁の名手を打ち負
かせる人工知能は、簡単なアプリすら作れないが、このことはまだあまり議論さ
れていない。
9223b060 anonymous 2016-05-09 18:44
先日、ギブニー監督の菜園ドキュメンタリー映画をネット配信で視聴しました。
アマゾンで500円ほどでレンタル配信して見ることができるものです。

幅度が小説家から教会を立ち上げ御簾架別児に乗っ取られて最近までの経緯を
元幹部が暴露しているような内容で単純にドキュメンタリーとして面白かったです。

内容が脱退者のインタビューで構成されていますのでバイアスがあるのは当然ですが
幅度や御簾架別児の虐待や犯罪疑惑、その他の信者が簡単に洗脳されブラック労働など
本来クリアーなら(クリアーでなくとも)起きそうにない出来事です。

私は菜園経験はありません。書籍以外は距離を起きつつ実践していくつもりです。

映画を見てのあらためての個人的な感想で
菜園手法には何かが足りない、または何かが弊害になっているように感じます。
オールドタイマーさんなりに課題と感じている部分があれば教えてください。
fffb862c anonymous 2016-05-09 19:08

私は、スタンダードテックを採用する非教会サイエントロジストです。

あくまでも個人的見解ですが、やはりLRHのアドミン(マネジメントセオリー)に欠陥があったと認めざるを得ません。

ミスキャベッジらによる乗っとりを許してしまった教団のシステム、悪用可能な解釈の余地のある方針書などです。

特に、旧ソ連や東欧諸国の共産党政権のような異端者のレッテル貼りや排除のシステムは同意しかねます。もっとも、これはサイエントロジー教会だけに限ったことではないですが。

私が思うに、HCOPLとHCOBの真実性や効果性を同列に評価することはできません。HCOBは検証過程をそれなりに経ていますが、HCOPLはLRHの個人的主観であったり、思い付き(アイデア)であったり、限られた経験則から導きだされたものが大半だと思うからです。

あと、ブックワンでは、反応心が無い人間がクリアーと定義されていますが、この定義によればエングラムを消去しただけのブリッジにおけるクリアーはクリアーとは言えません。なぜなら、エングラムは反応心の構成要素のごく一部でしかないからです。
bd64a5ab anonymous 2016-05-09 19:17
ところで、私にはミスキャベッジが現教会の最高権力者であるようにしか見えません。

もし、ミスキャベッジの上に影の支配者がいるならば、ミスキャベッジだけにあれだけの権限を集中させずに国際総代表と分担させるのではないでしょうか?

実際は、RTCのCOBであるミスキャベッジが、経営戦略などの国際総代表のハットまで関与しています。

オールドタイマーさんは、これはなぜだと思われますか?
5b135c67 2016-05-09 19:29
>>dabf376a

<世紀を越えて> 絆 共に生きる4 男と女 多様化する結婚の形
を観ました。dailymotionという動画サイトです。

社会問題に対する考察力があがりますね。
「映像の世紀」のデータと比較してこっちのデータはよりもっと身近な問題をテーマにしている感じがします。
こういうデータはセッションの際にPCのケースの洞察の際に役立ちそうですね。

「新・映像の世紀」は第6集は観ました。
1〜5も録画しているので時間ある時に観ます。

経営に興味があるというよりも、どちらかというとカリスマ性のある経営者に興味があるのかもしれません。

ジョブズやカルロスゴーンの自伝を読んだりしました。

ゴーンの自伝にはスタッツの分析、データ分析、状況分析などのデータシリーズに当てはまるデータが
満載なのでこれからも重宝しそうです。

人工知能ではないのですが、昨年銀座でバーチャル・リアリティーを体験しました。
(誰かさんが自分が体験したのと全く同じことをブログに上げてますね
 http://www.moguravr.com/risky-spot/

3D映像の奥行き感覚とかがあまりにもリアルだったのでビックリしました。
近い将来語学留学しなくてもVR使って英語習得できると思いましたね。

昨年は 「驚異の小宇宙・人体2 脳と心」というNHKの番組をみて
脳の損傷が精神や知覚能力に与える影響を知って、それが大姉の際に凄い役立ちました。

幅度の書籍や講演やインタビューでは脳の機能性には言及してなかったり、
無視していたりするのでこういうTV番組から知識を得ないといけないと思います。
もちろんその中には偽りのデータも多く含んでいると思いますが。

私の個人的な考えとしては、脳機能が知覚レベル、意識レベルに
大きく影響を与えているので大姉によってその機能を回復させることは重要だと思います。
fc1297f5 anonymous 2016-05-09 20:00

サイエントロジー(LRH時代のサイエントロジー)に欠陥や足りないものがあるといえども、だからといって過去の使い古された体系を採用するのは、いただけない。

物事は後ろ向きでなく、前に進めなくてはならない。

私が、freezoneのテックを採用せずスタンダードテックにこだわるのは、LRHとCBRのスタンダードテックを超えるテックが存在しないからである。

彼らの多くは、カルマとかチャクラとか、後ろ向きの哲学や技術をサイエントロジーにまぜこぜにして、台無しにしてしまう。

精密科学の進歩は新しいアイデアをどんどん付け足していくことではなく、古い不要なアイデアを捨てていくことで為し遂げられた。

LRHの業績はまさにそこにこそあると思っている。

だから、私は検証の結果が正しくないならば、基本公理も含めて見直すべきだという立場でオールドタイマーさんよりある意味革新派である。

しかし、テックに関しては、現時点で最上のものを採用するという立場であり、長期的には革新派である。

サイエントロジーにおいて唯一失ってはならないものは、実証主義という精神である。使いふるされた過去のアービトラリーや偽りのデータでサイエントロジーを発展させることは不可能だ。

そして、テックを変更するなら、公理そのものも見直すくらい徹底的で情け容赦ないものでなくてはならない。小手先の思い付きでは、バタフライエフェクトも考慮されないし、全体最適の体系にはなり得ないからである。
9f13c1e6 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-05-09 21:48
>>9223b060

組織と個人のかかわりにおいては、主知主義に偏りすぎたところがあると思う。
つまり、先に詳細な知識を得て、それを状況において用いるということをやりす
ぎている。特に、教会菜園人は菜園で得た知識に合った状況を選り好みしている
のだ。

だから、菜園人は普通のアメリカ人より政治家になれる確率が低かったりもする。
幅度は政治家になれなかったから、菜園人も政治家になれないのだ。デンマーク
の国会議員の一人は菜園人だが、自由領域にかかわって長い。
cf5528f4 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-05-09 22:19
>>bd64a5ab

そのあたりについては、こういうページが良いと思う。

http://www.scientology.org/faq/church-management/what-is-church-of-spiritual-technology.html

` CST also owns the copyrights to L. Ron Hubbard’s works and licenses
` their use.

RTCではなくCSTが幅度の著作物の著作権を所有しているとされている。教会の公
式サイトにCSTについての言及があるのは、RTCの御簾下別児が最高権力者ではな
いことも明らかにしている。

` CST is an autonomous Church of Scientology outside of the
` international Scientology ecclesiastical hierarchy.

CSTは国際的な教会の階層の外にあることも示されている。RTCの力がCSTに及ば
ないことは再度示されている。

権力分散については、もう必要すらなくなってきているのだろう。菜園技術はネ
ットに広く流布している。教会を支えてきた高度な技術の持ち主の大半は自由領
域に転向している。自由領域にとって、教会は取るに足らない存在になりつつあ
る。

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