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old>>
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5d68b00a
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-05 20:10
- 1951年11月, 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第6号 幅度: ❝物事を経験したいという気持ちが弱まると、人は、変わらないもの、安全だと自分が信じるものついての決して変わらない見通しを求めるようになる。この "安全" を手に入れれば、自分はもっと良く "経験" できると彼は感じるのだが、安全という目標は経験することなしには手に入らない。❞
1951年の幅度のこの発言は、後の幅度の痛々しいほど当てはまってしまう。 技術と組織運営の方法を固定し、進歩を拒もうとしたことで、少なくとも教会は時代遅れの不人気なものになっていった。 1990年時点で世界中の組織の中央ファイルの名前を数えれば800万に達していたが、今や、教会の職員と顧客を足しても3万5千人くらいにしかならない。
今や菜園は論’s、自由領域個人、度路琉など競合団体によっても実践されている。 こういう状況において、菜園教会も交換価値についてもっとまじめに考えるべきだ。
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b4008d9b
anonymous
2023-02-05 20:53
- >>600144b0
全く反論の体を成していない。マルクスは商品の交換価値と使用価値を論じた。だが、市場において交換されないものは商品とは呼べない。従って、交換価値が使用価値および非使用価値(ブランド価値)である。そして、価値の源泉は稀少性すなわち欠乏の程度である。
マルクスが古典派経済学のアービトラリーの系譜を受け継いでいることは、マルクスの正しさの証明にはならないのだ。
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d466e674
anonymous
2023-02-05 21:27
- 訂正
法の支配と法治主義の違いは、法と人体法の違い
→
法の支配と法治主義の違いは、法と人定法の違い
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3038284a
anonymous
2023-02-05 21:27
- >>f93b359e
「マルクスは封建制度の崩壊→ブルジョワ革命→社会主義の実現と資本主義による世界統合→共産主義の実現を社会体制の必然的遷移だと考えたのだ。」
⇨待ちなさい。社会主義とは、マルクス主義の定義上、共産主義の発展途上の(入口の)段階である。「資本主義による世界統合→共産主義の実現」とは、100年前のレーニンの帝国主義論とインターナショナルの革命論だろう。その“考え”こそが唯物論神学に過ぎないのだ。
「フランス革命とアメリカ独立の違いの詳細をどれほど並び立てても、その両方がブルジョワ革命であることに変わりはない。」
⇨私はブルジョア革命という概念が正しいと思うゆえに、ブルジョア革命説は正しいと言っているにすぎない。それは、マルクス教である。オールド・タイマー氏は、統治形態の違いを無視して同じだと強弁するが、中身の反論は全くない。お話にならない。
「アメリカの法体系に、ギリシャの怒りや気概に由来するドイツやフランスの社会慣習と法の影響が大きいことは、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマに指摘されて久しい。 」
⇨フランシス・フクヤマ(笑)が論拠か。オールド・タイマー氏の頭は、アービトラリーのガベージコレクションか。
「"法の支配" と "法治主義" は法の表面的形式の違いの話であり、法が何を規定するのかということとは別である。 」
⇨何を言っているんだね?法の支配と法治主義の違いは、法と人体法の違い、言い換えるなら、TaoとReasonの違いだ。法の権威そのものの源泉の違いである。
「プロレタリア革命はすでに実現している。 」
⇨いったい何を言っているんだい(笑)?『共産党宣言』から読み直してくれ給え。
「"プロレタリア執権" は三権分立を含んでいる。 これは、 "ブルジョア執権" が三権分立を実現していてもなお "ブルジョア執権" と呼ばれたのと同じだ。これを知らない人はマルクス思想に対して門外漢であろう。」
⇨こんなことをしたり顔で書けるのは、本当に無知な人間のみである。いいか、執権(ディクタツーラ)とは、三権それぞれの権力ではなく三権を含む全ての権力だ。その全権力をプロレタリアート(実際プロレタリアートの代表を自称する共産党[共産主義者同盟])が掌握することを、「プロレタリアート執権」と呼ぶのだ。フランス革命においては、共産党の絶対権力のポジションに「憲法制定権力」が置かれた。故に、社会主義体制では、必然的に三権の上位に共産党の絶対権力が君臨する統治形態にならざるを得ないのだし、実際にそうなった。その結果は、法の支配の破壊による国家権力の暴走である。
「"過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり" ... これはイギリスの慣習法の考え方でもある。よって、イギリスは "憲法" と称される法律を持たない。」
⇨だから書いただろう。英国では、コモン・ローを含むノモスの裁定権は司法が担うのだと。大陸諸国では、警察権と立法権を持つ為政者がノモスを裁定した故に、ボナパルティズムやファシズムやナチズムといった法の支配の破壊を招いたのだと。
「イギリスとフランスの間の法の表面的形式の違いは、ロックとルソーの間の思想の違いに起因するものではない。」
⇨誰が、英国の法思想の代表がロックだなどと述べたかね?
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c0d35e86
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:04
- >>b4008d9b
自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。だから、そなたが想像した "いかなる基準で商品/サービス(マルクス主義の用語では消費手段)の価値(※価格とは言わない)を定めるか" という問題は、マルクスの理論に存在しないのだよ。 交換価値を理解できなければ、マルクスを理解することはできない。
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0eae6547
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:22
- >>3038284a
イギリスやアメリカの法の支配とヨーロッパ大陸側の法治主義の間にある違いは、社会において法が何かを実現した経緯についての違いにすぎず、法の効力の本質的な違いとはならない。イギリスの人権とフランスの人権が実際に大きく異なるということはない。
現代のイギリスでは法の支配と法治主義の違いが表面的で形式的なものにすぎないことが広く理解され、両者を同一視する見解が多い。イギリス人の "古き良き法と法の支配は異なる" は 法の支配が "古き良き法" から切り離され、 法治主義と同一視されるものへと変化したことを示している。
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6f904473
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:26
- >>3038284a
マルクスは三権分立が成立している場合のブルジョア支配についても "ブルジョア執権" という言葉を使っている。だから、 "プロレタリア執権" と "ブルジョア執権" の間で、 "執権" の意味に違いはない。 ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 いずれも単独の独裁者が三権を掌握するということを意味するのではない。
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0c9d6d89
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:36
- "ヒトラーおよびナチス・ドイツの統治を法の支配を破壊する「命令法学」によって正当化(弁護)した、詭弁法学者のカール・シュミットによれば、「過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり、ドイツ第三帝国の総統たるアドルフ・ヒトラーは、この民族共同体の全ての法の法源に由来し、民族の意志を体現する指導者である」という。"とそなたは述べた。ヒトラーがシュミットに同意できたのであれば、ヒトラーを生んだのは大陸法ではなくイギリスのような慣習法であるということになる。
イギリスの貴族院は立法機関であるとともに、20世紀においても最高裁判所であったことを思い起こすといい。イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。
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c2ed85fd
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:38
- なお、2009年にイギリス貴族院から最高裁判所機能は剥奪された。イギリスは徐々に大陸側の法治主義にサヤ寄せしてきたが、21世紀初頭にもその傾向は続いていたのだ。
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7adc32b2
anonymous
2023-02-06 03:04
- >>c0d35e86
マルクスが想定した「社会主義社会に自由市場を前提にしていた」とは貴方の戯言に過ぎない。市場メカニズムを介してはマルクスの構想した社会的計画生産はできないのだ。自由市場を介在させるなら、最初から、資本≒企業の賃労働に基づく資本主義市場経済で良いことになるだろうが。マルクスが構想した資本≒私有化を廃止して、アソシエーションに基づく社会的連合労働に昇華させる必要も、通貨(信用貨幣)を廃した労働証書による分配も最初から要らなかったことなる。まあ、実際にも、人類の文明発展を阻害した有害思想のマルクスは要らない思想家だったわけだが。
何度も言うが、商品価値すなわち交換価値の本質とは稀少性であり、稀少性は欠乏の度合いによって決まるのだ。いくらマルクス教信者が“信じなければ”マルクスは理解できないと言ったところで、古典派経済学やマルクス経済学のアービトラリーを信仰している限り、貴方が現実の経済社会を理解することはないだろう。
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019de25a
anonymous
2023-02-06 03:09
- >>0eae6547
法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立し得ない。権力分立や個人の消極的自由の担保(個人の消極的自由を侵害しない範囲での個人又は集団の積極的自由の容認)、違憲立法審査権を有する司法権の優位、これらが存在しなければならない。それは、コモン・ローが法の支配と切り離されたことを意味しない。法の支配の一部として含まれているのだ。それがなければ、違憲立法審査権自体の法源が成立しなくなる。
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5cbb5e37
anonymous
2023-02-06 03:20
- >>0c9d6d89
貴方の反論はいつも同じパターンだ。一面を切り取り、我田引水を始める。オールド・タイマー氏には、詭弁家の素養が多分にある。
「私は、議会の信任によって国民の代弁者としての地位と権限を与えられた。ドイツ国民の言葉が私の言葉である。ドイツ国民のみに私は従属する。」(A・ヒトラー)
私はこのヒトラーの言葉を引用して、これはフランス革命の思想的ベースとなった極左思想家であるルソー流の(法の支配を破壊する民主主義至上主義に基づく)「一般意志」の体現であり、これは反動保守(極右)の「國體」観念との悪魔合体であると述べた。大日本帝国憲法がそうであったように、極左の「一般意志」も極右の「國體(ノモス)」も、為政者自身が裁定するならば、独裁体制だろうと民主主義体制だろうと、法の支配の破壊は免れない。
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69390227
anonymous
2023-02-06 03:31
- >>019de25a
英国流の“国民の”権利とは、共同体の法の支配に基づく個人の消極的自由の担保のことである。英国の法の支配の発展は、自由主義(※集団の積極的自由を個人の消極的自由よりも優先する現代の左派リベラリズム≒進歩主義のことではない)および個人の消極的自由の拡大の歴史であった。
一方、フランス革命を契機とする人権なる概念は、特定の個人又は集団(政府を含む)の積極的自由が、権利として個人の消極的自由を侵害することを抑制でき得ない。これが、プロレタリアート執権(共産党による党治体制)の社会主義法ではもっと露骨になる。旧ソ連・東欧諸国の国民が、憲法に規定された人権が存在するにも関わらず、奴隷階級のような被抑圧民の立場に従属させられたのは、権利の拡大解釈に基づく個人の消極的自由の侵害の担保が為され得なかったからである。
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31491f78
anonymous
2023-02-06 03:45
- >>c2ed85fd
そんなwikipedia並みの知識など、こちらは百も承知だ。したり顔で御高説垂れるほどのものではない。
「イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。」
⇨権力機関の抑制と均衡という概念を知らないのか?庶民院が、ルソー流の人民主権論および民主主義絶対主義に基づく万能の権能であったなら、法の支配は担保されない。
歴史的に、貴族(院)が王権を剥奪し、次いで庶民院が貴族から王権を剥奪したのは事実だ。故に、王冠は庶民院に存在し、21世紀の初頭まで司法権は貴族院内に存在した。また、英国の場合、庶民院の最高委員会が内閣である。加えて述べれば、国王/女王も議会に含まれる。つまり、国政の全ての権能が議会で完結している(いた)のだ。これは、もちろん、英国の歴史を踏まえた形式(※英国は破綻しない限りは伝統的形式を尊重する)であり、実質的な三権分立が機能していないということではない。
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10fdb13c
anonymous
2023-02-06 05:07
- オールド・タイマー氏の思想を並べてみる。
・ヘーゲルを知らないマルクス教。マルクス/エンゲルス流の稚拙かつ幼稚な弁証法的唯物論と史的唯物論(※歴史学として最も幼稚かつ杜撰な歴史分析)を未だに信仰なされている。
・ルソー流の民主主義至上主義に基づく人民主権論者である。
・自由社会の個人の消極的自由の担保に基づく法体系と法秩序より、全体主義社会の集団による積極的自由の実現を重視する。
・英米法流の法の支配より大陸法流の人定法に基づく法治主義(※戦前の大日本帝国憲法もその一つ)を好む。
・法の支配に基づく自由主義より、民意あるいは為政者の一般意志の裁定に基づく民主主義に価値を置く。民主主義に基づく専制国家(「プロレタリアート執権」)は容認(というより推奨)する。
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169dada8
anonymous
2023-02-06 06:44
- >>31491f78
なお、ブレア政権によって貴族院の最高裁の権能が剥奪されたことは、英米法流の法の支配から大陸法流の法治主義への接近などという反動(あるいは人民主権的な民主主義≒為政者絶対主義への迎合)とは何の関わりもない。
実質的に英国は権力機関の分立(三権分立)を含む法の支配(すなわち真の立憲主義)が実現されていた。貴族院からの最高裁権能の剥奪は、漸進主義的改革(機が熟した結果)に基づいて、三権分立を内実のみならず外形的にも担保したものであり、むしろ法の支配の強化である。
なお、これもわざわざ述べておかないと、オールド・タイマー氏の性格上、言質で揚げ足を取られる可能性があるので付言するが、立憲主義は成文憲法と不文憲法とを問わない。いくら憲法典が存在しようとも、旧ソ連・東欧諸国のマルクス・レーニン主義に基づく共産党政権のように、運用において権力分立や個人の消極的自由の担保を含む法の支配(に基づく自由社会の法秩序)が担保されていなければ、立憲主義に基づく統治形態とは看做せない。
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046ec6e4
anonymous
2023-02-06 07:05
- >>6f904473
「ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 」
⇨ブルジョア支配(ブルジョア執権体制)などという概念自体が、統治形態と生産様式(に基づく主従関係)を混同したアービトラリーだ。
資本主義市場経済を採用する多党制の自由主義国家で、いったいどこの政党がブルジョア(資本家階級)を代表していると言うんだ?それとも、ディープステートやCFR(外交問題評議会)が真の支配階級か?あるいは、ユダヤ金融資本かね(笑)?昔のフランスのコアビタシオン(保革共存)は、果たしてブルジョア執権体制か?それともプロレタリアート執権体制か(笑)?
財産や身分に依らない一人一票の普通選挙に基づく多党制の自由主義国家においては、あらゆる政党があらゆる集団の利害関係を代表(代弁)する。例えば、少子高齢化の現代日本ならば、有権者は現役世代より高齢者の声が圧倒的に強いだろう。
一方、マルクスの述べたプロレタリアートの執権とは、実際にはプロレタリアートを代表する共産党(共産主義者同盟)の一党支配である。一党支配に基づく共産党が専制君主の代替として国家権力の上に君臨する以上、権力機関が如何に外形的に分立していようとも、その内実において三権一体の共産党独裁体制(もちろん法の支配の完全否定)になる他にないだろうよ。
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7a5f51a5
anonymous
2023-02-06 07:25
- >>c0d35e86
オールド・タイマー氏は、問題を見ないことによって、問題は存在しないと言い張る。経済学とその歴史だけでなく、サイエントロジーの基本原理を勉強し直すすべきだ。問題は見なければアズイズはしないのだから。
まさに、“これこそが”マルクス経済学の根本問題なのだよ。この理論上の難問が解決できなければ、マルクスが理想として提示した社会主義社会の実装はできないのだから。いったい、オールド・タイマー氏は、『ゴータ綱領批判』の何を読んだのかね?貴方の目は節穴なのか?この主題の重要性が理解できないならば、経済学はもちろんだが、マルクスを語る資格など全くない。
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8d019bdc
anonymous
2023-02-06 23:54
- >>31491f78
なお、オールド・タイマー氏は誤解しているかもしれないが、私は現代において貴族院は不要だと考えている。ブレアの改革で貴族院の定員は大幅に削減されたわけだが、世襲の貴族階級という身分制そのものが不要であろう(※ブルジョア階級なるものは存在しないが、英国における貴族階級は社会的実体として存在する)。究極的に言えば、国家元首としての君主(国王/女王)も不要である。ただし、君主制は、国家の外交カード(バーゲニングパワー)として用いることができる限りは地上から消滅することはないだろう。
アンドリュー・カーネギーは、英国移民出身のアメリカ大富豪だが、英国流の世襲貴族制の発生を嫌い、相続税の強化を提案していた。これは、自由主義および自由社会の維持において正当な主張であろう。
ただし、最終的に一院制にするならば(※貴族院が日本の参議院のように公選の上院へと改革されるのが先だろう)、公選の庶民院が暴走しないように、解散なしで半数ごとの改選にする必要がある。加えて、法の支配を強化するために、司法権の強化が不可欠だ。議会の代議士に匹敵する人員の判事を司法機関が独立して選出し、事後的に議会の弾劾と国民審査に付されるようにする。また、議会すなわち為政者自身による憲法改正権を制限する必要もある。加えて、選挙制度や政党法などの為政者あるいは政党の利害に関わる事項は、憲法で縛る必要があるだろう。
法の支配の確立は、三権の分立だけでは不十分である。モンテスキューも、権力分立を三権のみに限定してはいない。教育機関(※教育機関の組織編成や人事権や教育内容)と報道機関も、国家権力や特定の利害関係に基づく資金から独立している必要がある。
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5bc6e5c9
anonymous
2023-02-07 01:55
- >>7a5f51a5
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、労働(量)に応じた分配ではなく、保有する資産に応じた分配が為されるゆえに、不労所得が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資本を持てる者と持たざる者との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、③労働証書に基づく分配システム、④自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境の存在しない共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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9dd5fc18
anonymous
2023-02-07 02:23
- >>5bc6e5c9
※文意がより明らかになるように訂正した。
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(労働者個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。また、資本主義市場経済では、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、「労働(量)に応じた分配」ではなく、保有する「資産に応じた分配」が為されるゆえに、不労所得(≒搾取)が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資産増殖のマシン(道具)である生産手段あるいは金融資産たる資本を「持てる者」と「持たざる者」との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は半永久的に固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①労働者の共同決定を通じた生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、および、労働証書に基づく分配システム、③自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境と家族や宗教の存在しない(不要となった)共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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2e80d657
anonymous
2023-02-07 04:25
- >>8d019bdc
保守主義とは何でもかんでも保守することではない。本来の保守主義は、保守反動でもなければ守旧派でもない。漸進主義に基づく改革は積極的に推進していくのが、真の保守主義である。なぜなら、変化しない限り、生物・無西部に関わらず、あらゆる存在は生存(存続)することができないからである。
しかし、保守主義においては、理性(Reason)より経験則に基づく歴史的叡智(Tao)を重視し、理性や情緒といった一過性の民意あるいは為政者や独裁者の恣意を懐疑することで、急進主義に基づく設計主義的な社会システムの改変を戒める。その結果、漸進主義的に社会を改革していくのである。
例えば、英国における王政の廃止にしても、一飛びにはできない。まずは、貴族院の公選制導入による民選議員化と、それに続く貴族階級自体の廃止を経て実現される長期的な政策課題である。理想像を掲げるのは良いことだ。しかし、何事にも、その理想に至るために必要な段階(ステップ)とプロセスというものが存在する。各プロセスには、継続性が存在しなければならない。各プロセスの一つ一つにおいては前後の連続性が存在しても、長期で比較すれば大きな変革となるのである。それをしなかったことが、フランス革命やロシア革命が圧政とテロルに転化した理由である。
また、これも付言するが、法の支配の確立においては、あくまでも“法の支配を妨げない限りにおいて”コモン・ローあるいは過去の判例が尊重される。例えば、インドのカースト(バルナ)制度は、インドにおけるコモン・ローではあるが、これは法の支配(ここでは法の下の平等)に反するゆえに、尊重されてはならない。
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b14f4c15
anonymous
2023-02-07 19:04
- >>9dd5fc18
マルクスを批判するには、マルクス以上にマルクスの論じた主題を分かりやすく表現する必要がある。そして、マルクスの意図・理想・美的感覚の奥底に迫って、マルクスに徹底的に感情移入することである。そして、その正しさや正当性をとことん突き詰めて弁護してみるべきである。その極地に至って初めて、マルクスの思想の悪魔性(毒)あるいはカルト性が見えてくる。
軽薄にマルクスをつまみ食いして、自分流のご都合主義的な解釈に歪曲した上で、情緒でマルクスを持ち上げ称賛するような人間にはマルクスの真の理解など得られようはずもない。それは、日本共産党の不破哲三のような「マルクス読みのマルクス知らず」の自己満足的理解(学習)に過ぎないのだ。
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1d297d6a
anonymous
2023-02-07 19:38
- >>c0d35e86
「自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。」
⇨オールド・タイマー氏のこの書き込みの意図をようやく理解した。主語の省略によって、これでは、文意が非常に曖昧である。
確かに、マルクスは『資本論』において、資本主義市場経済における、異なる使用価値を持つ商品どうしの交換価値について論じた。しかし、それは来たるべき社会主義社会(社会主義国家)の実現に応用されるべき前提の分析なのである。マルクスが社会主義社会(社会主義国家)における分配を「想定していなかった」訳などない。
それは、『ゴータ綱領批判』を読めば明白である。『ゴータ綱領批判』において展望されている社会主義計画経済を実装するには、社会主義社会における分配について『資本論』で提起された資本主義市場経済の分析を踏まえて、具体的な(労働量および労働時間に応じた)分配の基準とその方法が解明されなければならない。
マルクスの展望した社会主義社会とは、単に『資本論』における剰余価値(m)≒搾取が存在しないという単純なものではない。具体的に、個々の消費手段(すなわち消費財)に労働量および労働時間の価値が反映されなければならない。そのための手段の一つが、マルクスの提案した「労働証書」による分配であるが、その労働証書の価値をどうやって個々の労働者と個々の消費手段(消費財)に割り当てるのかという問題(難問)が残る。
なお、マルクスは来たるべき社会主義社会において、資本≒企業による賃労働や市場や通貨(信用貨幣)に基づく商品経済を想定していない。旧ソ連のマルクス経済学では、産業関連表や物材バランス(バランス評価)を用いて、その難問を解決しようとしたが、結局、失敗に終わった。
これは、マルクス経済学の根本問題なのである。この問題が解決されない限り、マルクスの展望した社会主義社会(社会主義国家)は実現されないからである。なぜなら、理論において解決できないモデルは、実装不可能だからである。社会主義社会(社会主義国家)が実現不可能であれば、その先の共産主義社会の到来など望むべくもないのだ。
-
8907ef0d
anonymous
2023-02-07 23:09
- >>062c6e6b
「マルクスは集団だけが重要だという理論を唱えた。」
このLRHの言葉は、マルクスの
「人間的本質は、個々人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)
を踏まえてのものだろう。
このLRHの(マルクスが要するに「集産主義者」であるという)要約と評価は、マルクスの弁証法的唯物論(※弁証法を加えても唯物論の本質は同じである)を踏まえれば正当なものだと思われる。
ただし、LRH自身も、サイエントロジー教会のマネジメント(アドミン)は、レーニンやスターリンを参考にしたとしか思えないほど集産主義的であったということも付け加える必要があるだろう。LRHは「言っていること」と、実際に「やっていたこと」のギャップが激しい人間であった。
-
556524df
anonymous
2023-02-08 06:11
- >>8d019bdc
教育権の独立、すなわち教育と学問および教育機関の国家権力の干渉からの自由は、法の支配の確立に不可欠である。これは、フリードリヒ・シェリングの『学問論』の偉大な着想である。
特に、旧ソ連や東欧諸国の共産党一党支配の社会主義国家においては、マルクス・レーニン主義という国定のイデオロギーが国民に強要された。同様の現象は大なり小なり、現代の資本主義国家においても、ナショナリズムや民族主義、あるいは逆に左派リベラリズム主導のポリティカルコネクトによる表現規制によっても行われている。中東のイスラム圏においては、(そもそも信仰の自由を含む思想信条の自由も性的関係の自由も存在しないが)さらに露骨である。
また、「法の不知はこれを許さじ(許さず)」という言葉があるが、法の支配の確立には、国民が法および法令を知る必要がある。イスラム法学者たちは、「西洋の民主主義国には法の支配が存在しない。なぜなら、誰も自国の法律を知らないのだから。」と、現代の民主主義国家を嘲笑するが、この批判に関してはその通りであろう。
ただし、イスラム法は、政教分離の原則も、個人の消極的自由の担保も、権力分立も存在しない点で、真の法の支配(立憲主義)とは相容れない。イスラム法の正義は、単にイスラム法は自由社会の法体系および法秩序や各共同体(国々)のコモン・ローに優越すると述べているに過ぎない。ゆえに、理性およびエシックスに基づく法体系および法秩序ではなく、アービトラリーに基づく法体系および法秩序である。
-
cc6c8dbf
anonymous
2023-02-08 12:19
- >>556524df
訂正
ポリティカルコネクト→ポリティカルコレクトネス
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ae3560f7
anonymous
2023-02-09 03:55
- >>0eae6547
オールド・タイマー氏、まさか膨大な英米法の歴史と概念を、wikipediaで調べられたんでしょうか?たまたま、暇つぶしに「法の支配」をwikipediaで調べてみたら、wikipediaを杜撰に要約したようなオールド・タイマー氏のこの文章を思い出し、もしかしてと思いましたが。
-
cf18ee58
anonymous
2023-02-09 03:58
- >>ae3560f7
もしや、労働価値説と交換価値の話もネタ元はwikipediaですかね…。おそらくですが。
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d4c9c2be
anonymous
2023-02-09 19:35
- >>cf18ee58
wikipediaは、メタ的に批評できる程度の知識を学んだ者が、ダメ出しのドリルとして使うのが良い。門外漢の分野をwikipediaで調べて引用したりすれば火傷することになる。
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51273c84
anonymous
2023-02-11 02:34
- 法学及び法哲学はエシックスとも深く関わる主題である。理性に基づく法学の体系化は、ブックワンにおけるダイアネティックス(後のサイエントロジー)の主要な目標リストの一つでもあった。
サイエントロジーにおいては、エシックスの定義(「ダイナミクス及び生存の最適解」/「最大多数者の生存の追求」)より、エシックスとダイナミックが関連付けられている。力なくしてエシックスは機能しないが、力のみで理性が存在しなければ、またエシックスは機能し得ない。
法学を経済学に対比して、形而上学(非科学)的な上部構造と看做して、その重要性を軽視したカール・マルクスは、後世の歴史に多大なる禍根を残した。マルクスは、自分自身が、アービトラリーに基づく、非科学的なイデオロギーと非科学的な経済学を構築したことを最期まで認識することができなかった。
-
0c28f9a2
anonymous
2023-02-11 02:46
- >>51273c84
この集合宇宙のゲームと様相とは、生命のセータとMESTの戦いであり競争である。生命とMESTは、その起因においては、生命が主でありMESTが従である。MESTは本来、生命の奴隷である。しかし、生命は、いつしか自身がMESTの奴隷であるかのような見せ掛けを信じるようになってしまった。その信仰(アービトラリー)の思想的表現が唯物論である。
生命及びアートマン(セイタン)は、そのゲームにおいて、コスモス(宇宙・自然)及びMESTの支配・征服・統制を志向している。言い換えるなら、生命の活動とは、MESTの無秩序(≒混沌)にセータの秩序(≒蘇生)をもたらすことである。なぜなら、MESTの征服こそが生命の自由だからである。生命における最も強力かつ根本的な生存のダイナミックとは、自由へと向かう衝動である。これが、生命にプログラムされた、生命の根本的な行動原理であり行動目的である。
自然界や自然法則の支配・征服・統制と言うと、エコロジーの志向とは反するのではないかと思われるかもしれない。思想的な系譜としてはその通りである。しかし、これはダイナミクスの最適解というエシックスの主題と汎決定という概念を用いることで、生命・アートマン・セイタンの自由とエコロジーの追求は両立可能なゴールとなり得る。
唯物論は、生命・アートマン・セイタンは自然界及び自然法則を越えることはないこと、つまり、私たちはコスモス・自然界の奴隷であることを、繰り返し私たちに教えるものだ。物質は、決して物質を越えることはできない。「物質が思考している」と説く唯物論の下では、私たちの思考でさえ物質(すなわち肉体の脳)の産物であるのであり、思考さえも物質の偶発的産物なのであるから、私たちの主体たる意識は幻想であり、自由意思も選択の自由もないという帰結に至る。唯物論の世界では、私たちは、ただMESTの気まぐれな運命に翻弄されるだけの無力な存在である。
しかし、それは誤りである。サイエントロジーに限らず、ゴータマ・シッダールタに極まるインドの哲学及びヨーガの精神的実践、そして老子や仙道の実践者たちは繰り返し、そのことを教えてきたのだ。
私たちはコスモスの協力者として生まれたのではない。私たちは、自然の競争相手(ライバルであり敵)として生まれたのである。私たちは奴隷たるコスモスの主人である。しかし、無明によって自らを縛りつけているのである。生命の唯一の目的は、主体である自分自身客体であるコスモスの主とならせることである。主体を強くすることである。それによって、有限なるコスモスはあなたを支配することをやめるであろう。すなわち、自然法則という効力(MESTの合意)が無効化されるであろう。
「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」(ゴータマ・シッダールタの滅後に書かれたインド聖典)
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995de46a
anonymous
2023-02-11 04:55
- >>0c28f9a2
「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」
※物質≒MEST、想念≒コンシダレーション
-
cfbc8974
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:37
- [Old Timer 随想2023.01.19II] 以前の 戴安寧で処理済みの出来事からも、拡張戴安寧はさらなるチャージを取り出し、消去できることがある。 しかし、これが自由領域の主流になることはないだろう。 ケースをあまりに深く掘るプロセスはさらなるチャージを再刺激する。
-
f512de8f
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:44
- 1952年1月 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号 ... 自由領域の拡張戴安寧に近いやり方で幅度が戴安寧の聴聞をこなしている。 標準戴安寧や新時代戴安寧にはない技法が使われている。 これらを使えば、クリアー以上のケースレベルでも戴安寧は実行可能になる。 俺は一応この生涯で独自に戴安寧を準OTに対して実行できる工夫を一つ発見したと思ってきたが、一つ前の生涯で戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号を読んだことがあったのかもしれない。もしも以前に俺が準OT用戴安寧を開発したと宣言していたとしたら、ここでそれを取り消すことにする。
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82a548a9
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:52
- >>7adc32b2
マルクス曰く、 "交換価値は、さしあたり、ある一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現われる。"
マルクスは市場を否定していない。交換価値の根拠は市場での交換なのだ。
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346f3621
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 22:08
- マルクスは生産について、 "自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる" と述べているが、これも市場を否定していない。生産と消費の両方を計画かつ支配しない限り、、市場で製品・サービスは通貨や別の製品・サービスと交換される。
計画的に生産するのは、株式会社でも同じだ。トヨタはカンバン方式などで綿密な計画生産を実現してきた。
マルクスの理想はゲゼルシャフトでの計画生産だ。ゲゼルシャフトは会社から国家まで、さまざまな形態と規模を取りえる。
アメリカも中国も、例えば、半導体の生産を計画的に進めている。 → https://www.meti.go.jp/press/2021/06/20210604008/20210603008-4.pdf
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9d3ed598
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 23:56
- 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号での幅度とPCのやり取りを読むと、幅度の質問や指示をPCが理解できず、幅度が言い回しを変えている箇所がいくつもある。 英語の表現力が菜園の実践で不十分になる場合や、英語の経年変化もある。
ギリシャ語の "πίστη" はもともと '信じられるに値すること' を意味していたが、"faith" や "信仰" などと訳されて、本来の意味が伝わらなくなっていることが多い。 "faith" の代わりに "trustworthiness" としている翻訳も読んだことがあるが、まだ広くは使われていない。
菜園も英語の経年変化で意味が正しく伝わらなくなる危険性がある。
そこで、最小の橋については、経年変化が小さいエスペラント語を基にした言語を作り、その言語で技術を記述し、後世の人々がその時代の言語に翻訳して使うことができるようにする方針を採ることにした。
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dea21cad
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-12 00:07
- また、自由領域を含めた菜園とは別に、エスペラント語サブセットやロジバンなど人工言語を用いる宗派・学派を設立することにした。名称は "Resciologio" (再知学) である。かつて完全なOTだったころ、俺たちは何でも知っていた。 聴聞はかつて知っていたことを再び知るために行うものなのだ。
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ba13d782
anonymous
2023-02-12 00:35
- >>82a548a9
それは、(マルクスの云う)価値法則と価値規定の混同だ。マルクスは、社会主義の段階においても“価値規定”は残ると述べた。しかし、社会主義の段階においては、資本主義の下の商品交換に基づく“価値法則”はもはや残らない。価値法則が成立するのは、資本主義市場経済の段階までである。社会主義における価値規定とは、個人の労働量に基づく分配であり、その分配の差異は労働に基づく個人の権利として残るのである。これは共産主義の段階においては、社会の生産力が飛躍するので、価値規定さえも不要となる。
また、それは、資本主義を前提としたマルクスなりの一断面の分析である。マルクスが想定した資本主義経済においては、まず産業資本においてブルジョアジーの剰余価値≒搾取が存在し(主に工業向けの産業資本)、次に市場を通じたブラックボックスによる商品価格の決定が行われる過程で剰余価値≒搾取が発生する(この段階で、本来の価値法則は覆い隠されている)。こちらは、主に商業向けの産業資本だ。さらに、『資本論』第三部で扱われる金融資本の剰余価値≒搾取(利息や株主配当などのインカムゲイン)も想定される。
ゆえに、マルクスは社会主義社会(社会主義国家)の段階においては、アソシエーションに基づく社会的計画経済(社会的計画生産と社会的計画分配)を構想しており、資本≒企業を通じた賃労働、市場のブラックボックスを通じた商品価格の決定、通貨(信用貨幣)を通じた流通の全てが廃止されることになる。その一つの試みが「労働証書」を通じた消費手段(消費財)の分配である。
ちなみに、レーニンの『帝国主義論』においては、国家独占資本主義を現代世界の主な支配階級と看做しているので、グローバルな産業資本、国際金融資本、国家の支配階級がブルジョアジーの正体であり、国家の支配階級による通貨発行権や徴税権を通じた搾取も分析対象となる。
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835f6b1a
anonymous
2023-02-12 01:11
- >>dea21cad
以前に、オールド・タイマー氏自身が言語の基礎は発音(つまり音声)だと教えているのだが、なぜ音声と紐付かない人工言語をベースとするのか?ここの主題は、オールド・タイマー氏は非常に詳しいと思われるが、一応、参考のために述べておく。
言語概念は、音声回路に基づいてマインド及び脳のワーキングメモリに分類されかつ保管される。音声の類型が形式的な論理形式に紐付き、さらに表層の形式的な論理形式に深層の意味及び概念と紐付くことによって、コミュニケーションを通じた理解(ARC)が成立する。
人工言語がその普及に失敗するのは、音声類型ではなく論理形式から出発しているからである。言語学における生成文法と認知文法は、表層の論理形式と深層の意味及び概念の相互依存的な関係である。認知と音声認識は切り離せない。ゆえに、究極の認知文法は生成文法を包含するメタ文法であるが、生成文法(のアプローチ)は認知文法を包含することができない。
※ノーム・チョムスキーは、生成文法を通じて普遍的な言語形式を見出そうとしたが、主に欧米の屈折語の諸言語と孤立語化した屈折語である英語を対象としており、膠着語を包含した言語形式への知見が不十分だったために普遍化に失敗し、リベラル派の社会学に逃げてしまった。
-
12b166f0
anonymous
2023-02-12 01:43
- >>346f3621
資本主義経済が“社会的な”生産であることは当たり前だ。マルクスは社会的な生産と資本の私的所有の矛盾が、資本主義における止揚されるべき主要な矛盾であると述べた。
フォード流のベルトコンベアー方式でも、トヨタ流のカンバン方式でも、(ボルボ流の)セル生産方式でも何でも良いが、それらはミクロにおける生産様式の差異であり、資本主義経済システムというマクロの生産様式自体が覆されることにはならない。
マルクスの想定した社会主義社会(社会主義国家)は、資本主義市場経済流の市場や通貨(信用貨幣)を通じた分配を前提としていない。
マルクス・レーニン主義者として、「社会主義においても市場が必要だ」と、最初に述べたのはスターリンだ。以後、日本共産党はスターリンを批判しながら、スターリンの説いた基本原則をそのまま採用することになる。
ティトーのユーゴスラビアの自主管理社会主義でも、資本≒企業の概念を解体し、アソシエーションに基づく連合労働に変革することまではできたが、市場経済と通貨(信用貨幣)を廃止することは遂にできなかった。ゆえに、スターリンは一国社会主義路線(世界革命路線の放棄)も含めて、リアリストとしては(ある意味で)正しかったが、マルクス主義者としては基本教義から逸脱していた。
ちなみに、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義は、産業形態においては、オールド・タイマー氏の述べるゲゼルシャフトそのものである。自主管理社会主義は、市場と通貨(信用貨幣)こそ残存したが、資本≒企業を廃した連合労働(アソシエーション)の概念に基づくプロジェクトごとのフレキシブルな“社会的生産”を行っていた。
民主的な生産様式である自主管理社会主義がうまくいかないのは当たり前である。なぜなら、「(私的)所有」という概念がない限り、人間は生産手段も道具も生産物も大事に扱わないし、それらは適切に管理されないからである。これは、マルクスのイデオロギーそのもの欠陥でもあるし、社会主義及び共産主義の欠陥でもある。
-
bcd856c8
anonymous
2023-02-12 09:14
- >>ba13d782
マルクスの想定では、資本主義市場経済という生産様式が、生産力の発展を阻害するというものであったのだが、歴史に照らして、実際には生産力の発展では資本主義市場経済こそが最も合理性があったことになる。
また、マルクスの構想した社会主義の要件である、①共同決定による労働及び産業の民主化(これは、皮肉にも、社会主義国の東ドイツではなく資本主義国の西ドイツで採用された)と②社会的計画生産に基づく全体最適の実現(合成の誤謬の発生の排除)の要件は、③生産力の飛躍というマルクスの構想したもう一つの社会主義の要件と両立し得なかった。
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a35575f3
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-13 14:36
- [Old Timer 随想2023.01.19III] ターミナルとオプタームをグレードで処理する場合、フローは9個になる。 しかし、フロー3がフロー8までに増えるだけなので、一般グレードのフローを増やす必要はない。 また、GPMのターミナルペアを処理する際に、フロー3からフロー8までにリードがあることは少ない。
-
48cee557
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-13 14:42
- >>019de25a
論点がずれている。ここでは法の支配の構成要素としてコモン・ローの話をしているのではないよ。法の支配が法治主義にサヤ寄せしてくという話で、イギリスでは両者が同一視されているのだよ。そなたはもう少し主張を整理整頓するといい。
-
de9927e8
anonymous
2023-02-13 15:09
- >>48cee557
全くズレてなどいない。英米法学の素養のない状態で、貴方がwikipediaを参照し(もちろんこれはオールド・タイマー氏の文章からの推定に過ぎないものだが)、杜撰に引用しているから指摘したまでである。法の支配と法治主義の“実態”の違いもわからずに、こんな無意味な反論をするとは、サイエントロジストの恥晒しでしかないのだよ。
wikipediaを読んだ程度で、膨大な英米法学を俯瞰したかのような軽薄なコメントを控えられよ。貴方こそ、門外漢の分野(特に法学や経済学)に軽薄なコメントを書かれるのを慎むべきだ。西村博之氏のように、生半可な知識で詭弁を弄してマウントを取ることが、オールド・タイマー氏の趣味であるなら仕方ないが。
貴方は、感情に任せて反論する前に冷静になったほうが良いだろう。“薄く広い”教養を披露する前に、自らがコメントする分野に関する“深く狭い”研鑽を積むべきだ。
もちろん、これは、オールド・タイマー氏のサイエントロジーに関する知識の豊富さ(教養)を否定するものでは全くない。
-
5ecccf73
anonymous
2023-02-13 15:37
- >>de9927e8
法の支配は、オールド・タイマー氏が私への反論のネタ探しで、wikipediaを参照したくらいで語れるほど浅い主題ではない。
法の支配が法治主義にサヤ寄せしていくなどと、オールド・タイマー氏は杜撰な引用で軽薄に述べているが、それは日本国憲法が大日本帝国憲法にサヤ寄せしていく(べきだ)と述べているに等しい。大日本帝国憲法は、典型的な大陸法の法治主義に基づいている。大日本帝国憲法が失敗したのは、英米法流の法の支配が希薄だったからである。時代は、逆に、(法秩序の実態として)法治主義から法の支配へと向かっているのだ。なお、法の支配を放棄して反動的に法治主義へと向かうロシアやハンガリーは、例外的な事象と捉えるべきである。
法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立しない。ゆえに、法の支配と自由主義(個人の消極的自由の担保、権力分立、違憲立法審査権による司法権の優位)との関係について述べたのだ。コモン・ローを含むノモスを警察権・軍事権・立法権を有する為政者自身が裁定する(大陸法の流儀)か、司法が裁定する(英米法の流儀)かは決定的な違いだ。前者を肯定すれば、ジャコバン主義・ボナパルティズム・ファシズム・ナチズムの亜流の出現を抑制することはできない。オールド・タイマー氏の論は、一部の法解釈の変容と実態としての法の支配の変容を混同させている。
-
2ebb4f8a
anonymous
2023-02-14 06:47
- 人類(ホモ・サピエンス)は、短期のサイクルにおいては、家庭であれ、学業であれ、仕事であれ、同じサイクルを繰り返す。しかし、長期のサイクルにおいては大きく変容する。例えば、一個人の肉体が、出生時点と臨終を迎える地点とを比較してみれば一目瞭然だろう。
では、この長期の変化は何によって生じるのか?マルクスやエンゲルスの言うように(いわゆる史的唯物論の観点)、人類(ホモ・サピエンス)の生産活動あるいは生産労働が変化の主体であるならば、この変化は説明できない。なぜならば、人類(ホモ・サピエンス)は、肉体の一生のスパンでは、生産労働あるいは生産労働において従属的な受け身の立場にあるからだ。ゆえに、短期では同じサイクルを繰り返す。
社会の変化の主因は、輪廻転生のサイクルを含めてマインドを通じたものだ。マインドは、当然反応バンクも含む。つまり、個々人(ビーイング)のマインドどうしの相互作用及び集合バンクの相互作用だ。社会(あるいは時代)の変化の主因は、目に見える物質的要因より、目に見えない精神的要因のほうが遥かに大きいのである。LRHが述べたように、物質ではなく各ビーイングの(マインドを通じた)思考≒コンシダレーションこそが、社会を変化させる主体である。
もっとも、ゴータマ・シッダールタやヴェーダーンタの伝統のように、マインドを精妙な“物質”であり、またマインドを通じた霊的作用を精妙な物質的作用として定義するなら、この立場も唯物論の範疇となるだろうが、このような肉体等の粗大な物質を含むMESTあるいはコスモス(宇宙・自然)を、アートマン及びセイタンのコンシダレーション(※コンシダレーションはアートマン及びセイタンの「合意」を含む)に従属させるような唯物論的解釈と物質の定義は、エンゲルスが観念論と言って安易(早計)に切り捨てたヘーゲルを再評価したレーニンですら到達できなかった視点である。
-
8b0a51c8
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-14 22:42
- どこかで、 "継続時間ゼロの出来事を扱う技術は菜園教会にもある。 これを戴安寧に組み込んだものが自由領域の拡張戴安寧の基本だ" という旨の発言をしたことがあるかもしれない。ここで取り消す。
-
2dea823a
anonymous
2023-02-15 03:00
- >>2ebb4f8a
マルクスとエンゲルスの唯物史観(自称・弁証法的唯物論)は欠陥が大きい。
(先史研究における)歴史学的には死語の原始共産制から高度な未来の共産主義社会で歴史が終わるというイデオロギーは、エデンの園から至福千年に至るキリスト教の歴史観と瓜二つである。そもそも、ホモ・サピエンスの祖先とされる猿の集団にも縄張り争いとボス猿の支配秩序が存在するのであるから、原始共産制ユートピアの仮定は無理がある。原始共産制というイデオロギーを前提とした歴史観は宗教的なエデンの園を唯物論的なユートピアに置き換えただけのものである。
※ヘーゲルの歴史観自体が(統一教会の文鮮明の統一原理に基づく歴史観並の)欠陥品なのだが、それを杜撰かつ強引に、唯物論および唯物史観に置き換えているのが、マルクスとエンゲルスの最も罪深い点である。
また、マルクスとエンゲルスの唯物論および唯物史観においては、人類(ホモ・サピエンス)は、自然法則と社会の発展法則なる不可侵の“真理”の範囲内での選択の自由しか持ち得ない。社会の発展法則は、人間の意図に関わらず、自然法則の重力と同様に存在する。この社会の発展法則に従うことで、人間は自由を得ることができるのだ、ということだ。人間の思考や意図、すなわちコンシダレーションはMEST(コスモス)に従属し、社会のあらゆる上部構造(思想・文化・社会制度)は下部構造である社会の生産様式に従属する。それが、なぜ真理なのかは訊くだけ野暮である。なぜなら、彼らはその絶対真理を発見したのだと自称しているのだから。もちろん、これは完全に倒錯した見方である。
なお、「道(Tao)」に従うことで得られる生存と自由と、唯物論的な自然や社会のMESTの“真理”に従うことで得られる自由なるものは別物である。道は生命にセータおよびダイナミックの力を与え、蘇生と生存をもたらす。そして、道は究極へ至れば、時空や因果律といったMESTの縛りを超越してしまう。一方で、マルクスとエンゲルスの唯物史観の説く人間の自由とは、我々人間の精神作用でさえも肉体の頭脳の産物であり、物質の隆起の結果、肉体の物理・化学的な作用(反応)で神経系を通じて、ランダムに「物質が思考した」結果に過ぎないのである。そして、我々の思考も自然法則と社会の発展法則を超えることはないのである。なぜなら、唯物論においては、宇宙と社会の歴史は必然だからである。つまり、宗教的な運命論≒予定説の世界と同じである。
そもそも、社会の発展法則なるものはまやかしである。社会に一定のメカニズムは存在するが、それは過去の合意を通じて人為的に社会制度に組み込まれたルールに過ぎない。それは、変更不可能な絶対不可侵の法則≒真理などではないのである。我々人間は、条件付けされた機械(仕掛け)などではないのだから。
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