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old>>
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1ac62bc7
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 07:46
- >>7b1641ac
俺が見つけたのは
«Compassionate Exchangeはトンレンだった!»
http://blog.zaq.ne.jp/nagamasa/article/112/
というブログ記事だが、読んでみると、トンレンには存在しない実践者自身を対
象としたステップが存在する:
` 5. それから、すべての生きとし生ける存在の中の一つの存在、あなた自身
` に焦点を当てます。あなた自身の苦しみと嘆きを取り込み、自由と解放のエッ
` センスを、それをあなた自身に向けて、息を吐きます。この自由な視点から呼
` 吸し、感じ、そして自然に抱擁し、あなたの活力と人間性が本当であることを
` 認めましょう。
` 6. Compassionate Exchangeの実践の最後のステップとして・・・あなたとあな
` たが描いたすべての人々、そしてすべての苦しみと、苦しみからの解放が、こ
` れのすべてを目撃している気づきの意識の中に生起しているということ、そし
` てこれが、本当のあなたなのだということに、気づきましょう。
トンレンに欠けていたフローバランスが、Compassionate Exchangeでは回復され、
全体として原始仏教の慈悲の瞑想に近いものになっている。
-
a3613b56
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 08:06
- >>9caa1063
菜園は1950年代に始まり、トランスパーソナル心理学は1960年代に始まった。
平凡な自分を超え、想像性の獲得や自己実現を目指した人間性心理学の延長線上
に、個人としての自分を超えようとするトランスパーソナル心理学があるとする
ならば、菜園と人間性心理学双方から、トランスパーソナル心理学への影響はあ
ったかもしれない。ウィルバーの本には菜園用語とそっくりな用語が、ちょっと
異なる定義でたくさん出てくる。例えば、isnessとIs-nessがある。
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030da816
anonymous
2010-04-01 09:48
- >>1ac62bc7
私が読んだチベット密教の本にも、似たような技法は載っていました。
自分の苦しみを今の自分が引き受ける、という行法です。
ですから、ウィルバーがトンレンの欠点に気づいて改良を加えた、というわけではないような気もしますが・・・。
チベット密教においても、改良や進化が行なわれていったのかもしれませんし、
そもそもウィルバーはトンレン大絶賛って感じでしたからね。
ウィルバーの思想にはマッチした行法という気がします。
-
0971ddd7
anonymous
2010-04-01 10:07
- ケン・ウィルバーに関して付け加えると、彼はおそらく菜園理論には否定的だと思われます。
禅の影響が強いためか、彼こそ正に、悟りを目指す修行は無駄だと主張しています。
悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っているものを手に入れることはできないと。
だから悟りを目指す修行というものは全て無駄に終わると言っています。
悟りというものは「高次の意識状態」でもなければ、何かすごい特別な体験、覚醒があるわけでもない。
究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。
それは求めても獲得することはできないどころか、離れることすらできないと言っています。
悟りを求めるというのは、足があるのに足を探してるようなものだと。
ですからおそらく、ウィルバーは菜園のブリッジは否定するでしょうね。
ブリッジを上がっていって、究極の悟りに到達する、といったこと自体有り得ないことだと。
そもそも、菜園人が思い描いている、究極の悟りなど存在しないってところではないでしょうか。
-
f1a5f429
anonymous
2010-04-01 11:10
- >>a3613b56
人間性心理学の拠点校のひとつにいたことがあるので、そのころ少しだけかじりましたが、
菜園をつい最近知り、成立が1950年代であったことから、ニューエイジなどの起こるまえのものであることに驚きました。
と、同時に、これがアメリカの精神世界の古典に相当するのではないかと思うようになりました。
事実、アバターはじめ、様々な自己啓発セミナーなども菜園から出てきたと聞きます。
来談者中心療法などの心理療法も戦争のトラウマ援助のために発達したと聞きますし、
アメリカという舞台における、心理的宗教的研究の発展の過程で、
初期から存在する菜園が、その他のものに影響や関係があるのは当然なのではないか、と推測しているところです。
各所で最近よくみるようになった、A・マズローの欲求階層論と菜園の8つのダイナミックは似ているように見えますが、
どっちが先なんでしょうね。いま調べたけど、時期が被りそうで分かりませんでした。
どちらが先後にしろ、アメリカがそういう空気にあったということだと思います。
-
56ecc41c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 11:53
- >>030da816
チベット仏教徒がトンレンを改良した可能性もある。
いずれにせよ、古いトンレンを今のウィルバーが最適だと考えていないことは確
かだ。
初期大姉のフローバランスを改良して標準大姉や新時代大姉が出来たように、ト
ンレンのフローバランスを改良して、利己的要素を含む新しいトンレンや
Compassionate Exchangeが出来たといえる。
>>0971ddd7
"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
る。
しかし、このような修行不要論は、そもそも、仏教徒が入門時に教わることであ
り、菜園アクチュアリティー層そのものでもある。
>>f1a5f429
人間性心理学と菜園は同時期に誕生した異母兄弟のようなものだと思われる。異
常な人を正常に近づけていくそれまでの心理療法に対して、正常な人をそれより
優れた状態に導こうとする人間性心理学が登場したのも1950年代だ。
ただし、菜園は能力心理学とフロイト派精神分析に加えて、原始仏教をも取り込
んだという点で、トランスパーソナルな要素を含んでいた。
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f962fa9e
anonymous
2010-04-01 14:34
- >"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
>ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
>考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
>る。
それが悟りを得るために行われるものならば、そういうことだと思います。
ですから、トンレンは慈悲の心を養うのには有効かもしれませんが、
トンレンを実践したことによって、未来の時点において悟りに到達する、というものではないということでしょう。
従って、トンレンの存在そのものが無用ということではないと思います。
悟りの手段として行っても無駄であるということであって。
これは禅でも散々言われていることであって、坐禅を組んだ結果、悟りという状態を経験する、というものではないそうです。
「石を磨いても鏡にはならない」という言葉は有名ですよね?
それならなぜ坐禅を組むのかというと、そのことに気づくためではないでしょうか?
私は坐禅は経験したことないのでなんとも言えませんが・・・。
ケン・ウィルバーは1日3時間の坐禅を欠かさなかったそうです。
坐ってみて初めてわかる理解ではないでしょうか?
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fa0dab21
anonymous
2010-04-01 15:03
- アバターコースで言えば、アバターマスター達が「早く悟れる」とか、「悟りのドリルだ」などと言いながら、
毎年ウィザードコースを受け続けているようですが、
そういった禅やケン・ウィルバーの観点から言えば、
一生かけても悟りに到達することなどできないということになります。
コースを受けて、調子が良くなるかもしれませんし、ある種の神秘体験を味わうことに
なるかもしれませんが、悟りという体験をすることはできないということでしょう。
ある意味、悟りを目指して修行を続けていること自体が、悟りの一表現なのかもしれませんね。
今、そのままが悟りの状態であるならば。
-
b75c1897
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 17:35
- >>f962fa9e
悟りにつながらない技術を無用でないとするならば、トンレンも、
Compassionate Exchangeも、禅の修行も無用ではなくなり、同じ理屈で、ウィル
バーが菜園の橋を悟りにつながらないと評価したとしても、橋そのものは無用で
はないことになる。
技術体系の中身の評価は分かれるにせよ、体系を支えている技術論において、幅
度とウィルバーはほぼ同じだろう。アクチュアルなことをいえば、技術など不要
なはずだが、そのアクチュアルなことを説いても、人々の日常ががすぐさま改善
されるのではない。幅度は橋という技術体系を作り、ウィルバーはILPという技
術体系を作った。
-
8b1eb164
anonymous
2010-04-01 21:32
- >>0971ddd7
>「究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。」
「悟り」という単語の意味が人によって違うでしょ?
そもそも「今の意識状態」に気づいてる人は少ない。(ちなみに意識状態は如何なるものでも「悟り」ではない、と思うのだが。何故なら<意識>とは限定された一つの創造物だからね)
まあ、それは置いておくとして、それにいかに「気づく」のか、そしてそこに留まり続けるのか、等がマハルシの「私は誰か?」という探究や禅のやってることの眼目だろう。
ちなみに、ある想念や問題を抱えてるとき、「それを体験してるのは誰?」と問いかけ、
いったん「私」と確認しながら答えてみる。その後に、いまここで、記憶(やイメージや想念や感覚)を頼らずに、その「私」を見つけられますか?と問いながら実際に内面を観察させる。
それを行ってみれば、「私」は見つけられないという自明のことがよく分かる。
それを発見したなら、「この経験を超えた境地に留まれますか?」と問いかけ、そこに留まる決心をする。次に想念が浮上してきたなら、同じプロセスを繰り返す。
ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。
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58510714
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-01 22:03
- >>8b1eb164
読んでいたら、菜園のC/S-1を思い出した。PCに心象映像を見てもらい、オーデ
ィターが"それを見ているのは誰ですか?"と問うステップがある。もちろん、狙
いは、"セイタン"(= "私")の意味をPCに理解してもらうことだ。
個人の本質は不可視だ。なにしろ、位置属性がないんだから。
-
1b9ba395
anonymous
2010-04-01 22:20
- 確かにウィルバーも、マハルシの自己探求はよく例に挙げていたね。
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c3099b9c
anonymous
[sage]
2010-04-01 22:58
- >>4cc8a796
これ、すごく良いですね!今やってるテレアポの仕事にぴったりです!
適用したら効果ありましたよ!座右の銘にさせて下さい!
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e477e540
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-02 12:14
- >>c3099b9c
フィードバックに感謝を。
大姉公理は、秩序、混沌、無秩序を区別して扱っているという点で、混沌学
(chaology)の原形を含んでいる。大姉公理はなぜだかあまり語られることがない
が、大姉公理を発展させれば、広範なゲームを対象とした新型倫理状態公式が作
れるような気がしている。
-
7d62a2fb
anonymous
2010-04-02 12:29
- 初心者の横槍。
心理相談室で父親と対面してひとしきり色々言ったところ、
「まさに自分が親に向けて言った言葉そのものだ・・」と父が言っていたのにはおどろきました。
家族的無意識というものを説く、ソンディの衝動病理学(運命分析)にこういうことが説かれているらしいです・・・
あと、又吉正治という人の書いた、沖縄の霊能者ユタと精神分析の混合『まぶい分析学』にもこういう家系の力動関係というか、
連鎖について研究しているようです。ダイアネではエングラムでこれを解き明かしているそうですね。
あと、人生連続体というのもこれについてのことのようですね。
通常知られている心理学、ならびに精神医学に、明確な理論はあるのでしょうか。
どなたかご存知ないでしょうか。自分は心理学専修中退なもので、正式な学問を知らず、
興味本位に色々集めた結果、上記に、異端の中で二、三それらしきものを見つけましたが。
ますます、ダイアネはじめ、菜園の技術に関心が深まります。
-
663e8c8f
anonymous
2010-04-02 12:32
- 家族療法の理論のなかに、上記にならぶような明解なものはあるのでしょうか。
ま、ここに心理の専門家がいるのか分かりませんが、とりあえず、質問を投げてみます。
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34d251d2
anonymous
2010-04-02 14:20
- >>663e8c8f
家族力動を扱った理論はたくさんあるけど、実践面で目を見張るものと言えば
ファミリー・コンストラクションだ。その実践は神秘的な事象に充ちている。
親と子が世代を隔て「同じ表現」をすることはエングラムで説明可能だ。
しかし、FCではセラピー・ワークショップに集まった赤の他人が
同様の現象以外にも病気の症状などを起こすことがある。
セラピストの力量によるが、テレパシー現象が頻繁に起こる。
クライエントの家族の精神内構造を外在化させ、目に見えるポジションに配置することによって、
個人個人の精神がリンクしはじめるようだ。
-
b2bf97f9
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-02 16:44
- >>7d62a2fb
現在の菜園において、家族内の心性の類似は、大姉ではなく、ヴェイランス(借
用人格)で説明されている。
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d95b8884
anonymous
2010-04-02 22:39
- >>8b1eb164
>ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。
いえ、>>0971ddd7で使った「今の意識状態」は、ラマナの言う「私-私」のことではなくて、
まんま我々の通常の意識状態って意味です。
我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。
ラメッシの言う「神の意志以外のことは決して起こらない」という教えと似たような印象を受けましたが・・・。
結局、このままが悟りなのであれば、変えなくちゃいけないことなど何もない。
自己開発をする必要も全くない。
私にはそういった意味に感じられました。
ですから、トンレンや禅も必要ないではないか、と言われれば、確かにその通りなんでしょうね。
自然に生きている人には、あえて慈悲の心を養ったり坐禅を組んだりする必要もないんでしょう。
-
1e1c4f44
anonymous
2010-04-02 23:55
- >>d95b8884
>「我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。」
ケンちゃんの言う「究極」はまさに「究極」だ!
-
e73a1e55
anonymous
2010-04-03 00:42
- 夢について、お訪ねしたいことがあります。
夢を見ている間は、体が幽体離脱していると言う話を聞いたことがあるのですが、先日とある夢を見ました。
それは、自分が尊敬している、ビジネスで凄い大成功している方と会ったのです。
その人は実際には会ったことがなく、セミナー等で遠くから見ているだけの存在でした。
夢の中でパワーをもらったと言うか、無償の愛を受け取った感じがして、それは起きた後もずっと続いてて状態が良くなった感じがして、不思議な感じでした。
もしかしたら、夢の中で本当にその方の魂にアクセスすることができたのではないかと思ったのですが、そういうことは実際にありえるのでしょうか?
-
f934ca4c
anonymous
2010-04-03 02:01
- >>34d251d2
ファミリーコンストラクション、初耳です。だれが開発したどういうものなんでしょう。
検索しても見つかりませんでした。
この中の、どれかの学派ですか、それとも全くの別物ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E7%99%82%E6%B3%95
エングラムも、学び出したばかりで、まだはっきりとは掴みきれてません。
世間では疑似科学として叩かれてるようですが、菜園は一個の独自な体系で、
心理部門でも心理学に太刀打ちできるレベルの体系を備えているのではないか?
というのが今の推測なんですが。太刀打ちというか、超えるというか。
アバターで劇的な効果を体験した以上、菜園もそうだと思います。今まで見たところでも。
ブックワンですでに相当悟るところ多数です。
-
24231f8e
anonymous
2010-04-03 02:11
- >>b2bf97f9
心性の類似という、相似形のレベルではなく、今回のは「まさにその言葉!」ということが
繰り返されていたようなので、劇的だなぁと思いました。
エングラムのビデオでこういうのを見たような気がします。
ベイランスは確かに借用人格的な説明でしたよね。だとすると、完全に同じセリフの
繰り返しというよりは、似たような性格というレベルのものでしょうか。
-
1faf1e36
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 07:15
- >>e73a1e55
夢でテレパシーが発揮されることはある。しかし、菜園では夢を扱わない。現在
の菜園では、PCがしらふの状態ですべての実践が行われる。
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5037b27c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 07:17
- >>24231f8e
父親の借用人格を被った子供が父親と同じセリフを口にするのは不思議なことで
はないだろう。
-
74bfeb11
anonymous
2010-04-03 08:30
- >>f934ca4c訂正
誤:ファミリーコンストラクション→正:ファミリー・コンステレーション
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252cfca2
anonymous
2010-04-03 10:29
- >>1faf1e36
>「菜園では夢を扱わない。」
1950年代前半の実践では、イリュージョンを用いて悪夢等にもにアプローチしていたことがありますよね。
(例えばフィラデルフィア博士号コースのレクチャー)
いつごろから、また何故そのようなことをしなくなったのですか?
-
42b5bf1e
anonymous
2010-04-03 10:34
- >>1e1c4f44
「究極の意識状態を悟るためにいくつかのステップが必要であり、
それを悟ると、その影響のために最終的な解放(解脱)が獲得されるのだという考え」、
それ自体をケンは否定していますからね・・・。
やはり菜園のブリッジのような考え方そのものに否定的だと考えていいんじゃないでしょうか。
修行して悟ろうとする人達に対して、
「彼らは「高次の意識状態」を求めるように、間違って指導される」とまで言ってます。
これってヨガとかも否定することになるのかな?
どんな状況においても、どのような努力によっても、究極の意識状態に入ることはできない。
今、あなたがどんな意識状態にいるにしろ、そして、あなたがそれについて何を考えようと、
あるいは、それがどんな性質を持っているにしろ、それが絶対に究極の意識状態である、と彼は言ってます。
-
8baaad5a
anonymous
2010-04-03 12:58
- >>74bfeb11
ああ、これですね。システミック・コンステレーション
これは、つい最近知りました。
http://www.hellingerinstitutejapan.com/index.html
-
2e54f1b1
anonymous
2010-04-03 13:45
-
24b0ed01
anonymous
2010-04-03 13:51
- >>42b5bf1e
健ちゃんは徹底した<イマココ論者>なんだね。
彼がそのような見解に行き着いた背景に、欧米におけるカルトと意識変容ビジネスに対する危惧があるのかな?
おいらの勝手な推測では、彼自身の実践における絶望もあったんじゃないか、何て思うよ。
健は頭がいい。座禅坊主でもある。しかし、悟れなかった。
ところで彼は、人間はこのままでいい、と思ってたのかな?(菜園話題から離れてごめんな)
-
949acde1
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 18:34
- >>252cfca2
PDCで悪夢をプロセシング対象にしたという話を俺は知らない。興味深い話だ。
(一応いっておくと、"sperm dreams"は、俺たちが"夢"と呼ぶものとは違うと思
われる。)
-
a69691e6
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 19:15
- >>24b0ed01
この種の探究歴が短い間は、何かに気がつき、それで人生が結構変わる。しかし、
探究歴が長くなると、気がつくことは多いのに、人生のほうはもうそんなに変わ
らない。主観的には探究を続けることがつらくなっていく。頭がいい人ほど、こ
のつらさを身近に感じてしまう。しかし、"人間はこのままでいい"というのもど
こか違う気がする。
とある古参の菜園人が、通俗的ないい回しに翻訳すれば、"物質宇宙の底辺から
やっていく必要があることに気がついた"みたいなことをいっていた。
ウィルバーもそういう時期に突入しているのか、釈迦の修行や修行の間に悟った
ことよりも、むしろ、釈迦がカースト制度を否定したことに関心を寄せ、高く評
価している。
幅度も、転生後の予定について、"I will return not as a religious leader
but a political one"(俺は宗教指導者ではなく、政治指導者として戻ってくる
つもりだ)と語った。
-
61fa4c1a
anonymous
2010-04-03 21:52
- >>24b0ed01
確かにウィルバーは大悟まではしてないって話ですね。
彼はニューエイジ特有のポジティブシンキング一辺倒も批判しています。
禅の影響を受けてるんだから当然と言えば当然ですね。
ポジティブもネガティブも包含した視点が重要だとか・・・・。
この辺はむしろ菜園に近い部分なのかな?
今ココ系で言えば、ウィルバーの他だと、クリシュナムルティ辺りですか。日本だと禅僧全部。
彼らは自分を変えようということ自体を否定するような感じですね。
完璧に今を受け入れるという。
だから当然、アセンションだとかオメガポイントなども否定。
そもそもポジティブもネガティブも包含した統一意識を説いているのだから、
その視点からすると、浄化、覚醒しているから良くて、してないから悪い、なんてのは
悟りでもなんでもないってことになりますから。
でも、自分を変えようと努力することもまた、悟りの一表現としてアリな気もしますね。
-
4593907d
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-03 23:04
- >>61fa4c1a
前世の記憶でちょっと正確性に自信がないが、クリシュナムルティーについて、
幅度は、"He is perfectly right"といったことがあると思う。クリシュナムル
ティーは"あるがまま"を動的にとらえているという点で、多分、ウィルバーより
さらに菜園に近い。
«自我の終焉 絶対自由への道» ― この書籍名からして菜園的雰囲気があるが ―
には、"【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察して
みると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆく
には、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです"とある。
クリシュナムルティーは観察という行為とそれに必要な能力 ― "非常に鋭敏な
精神と柔軟な心" ― を重要視している。
-
c16e6f0c
anonymous
2010-04-04 11:10
- >>4593907d
『自我の終焉』は、ウィルバーも統一意識レベル関連の書籍として推薦していました。
この書籍名、私は逆に菜園の対極を象徴するタイトルだとずっと思ってました。
誤解だったんですかね?
教会菜園人としか会ったことないんで・・・。
菜園人が悟りに至れないのは、自我が捨てられないからだと分析してました。
(あくまで教会スタッフの印象ですよ。)
基本的に、教会に勧められる自由への道というのは、
自我をどんどん強くする道だと思うんです。
クリアーやOTになれば、何でも思いが叶って、
人や物をコントロールする能力を上げようとしたりとか・・・。
それでスタッフはどことなく傲慢に感じる。
禅やクルシュナムルティの言ってることはこれらと全く逆の道って気がするんですよね。
彼らはとにかく自我を無くそうという観点。
何かをコントロールしようという発想がないんです。
要するに、彼らの悟りは、自己が脱落したってことでしょ?
コントロールも何も、コントロールする主体がないって状態でしょう。
思いが叶うと言っても、それを思う自分がないわけですから、
他人の願いが叶うことも、自分の願いが叶うのと同じという感覚のはずです。
本来はトンレンの技法も、こういったことに気づくのが目的だったと思いますね。
ウィルバーが言いたかったのもこれでしょう。
-
34e16c69
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 12:23
- >>c16e6f0c
菜園教会における菜園は正しく実践されていない、という認識が自由領域では共
有されている。
さて、クリシュナムルティーだが、前回引用した同じ著書に、
` 非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがまま
` のもの】を【あるがままに】認識したとき、私たちはそれを理解することがで
` きるのです。
` 精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象
` と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。
と書いてある。コントロールの話は別として、少なくとも、認識という行為につ
いては、その主体と客体の区別をクリシュナムリティは否定しない。むしろ、認
識に際しては、そのような区別を必要なものと考えている。
-
c9df201a
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 12:31
- 菜園では、やや不完全ではあるかもしれないが、教義をリアリティー層とアクチ
ュアリティー層に分けている。
あらゆる行為はリアリティーで起こることなので、観察という行為において、主
体と客体の区別があることは自明だ。
もちろん、アクチュアリティー層において、そのような区別はない。
-
3c4e82ea
anonymous
2010-04-04 14:54
- >>c16e6f0c
文章を読んでいて『コントロール』という主題に関して、なにやら誤解があるように思った。
幅度はコントロールをスタート、チェンジ、ストップを意のままに行う能力とみなす。
正確で的確なコントロールは生きる上で不可欠だ。
栗ちゃんも、生活費を稼ぐ職業について問われた際、有能でありなさい、と答えてる。
ただし、他者を蹴落としてでも優位に立つということを否定しただけだ。
ここに価値判断を持ち込む前に、僕らは社会の中で生きる必要がある。
菜園は有能な個人を生み出すテクノロジーを持っている。栗ちゃんや健ちゃんの語ることを補完する技術体系でもある。
その道がいずれ栗健等が語るような無我的境地へと到る可能性は否定できない。
まずはリアリティー層で徹底的に鍛えられた個我を要請しよう。ヤワでは生きていけない。
-
2a7a0a3e
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 15:47
- ユーラシア大陸のインド以東の宗教哲学体系には、暗黙の了解事項として、アク
チュアリティー層とリアリティー層があることが多いと思う。仏教のアクチュア
ルな理論から考えると、出家も修行も必要ではないはずだが、アクチュアルな理
論を手渡されても、それで入門者が潔く悟ったりすることはまずありえない。リ
アリティーの壁がアクチュアルな理解を阻む。
菜園で例えば外在化と呼ばれる現象を例にとろう。
«思考の原理»などの入門書で既に、生命の本質に位置属性がない、というアクチ
ュアルなことは教えられている。アクチュアルには外在化も内在化もない。しか
し、プロセシングを通じて菜園人は、しばしば、肉体から外在化する。外在化は
PCが自らを肉体ではないものとして知る好機となるため、意義深い現象といえる。
しかし、肉体からの外在化が起こったくらいでは、まだまだ、入門書で教えられ
ていることの理解には程遠い。
プロセシングがケースゲインをもたらし続けると、ある日、PCはついに物質宇宙
から外在化する。このあたりで、実は、自分がいつも宇宙の外にも視点を持って
いたことにPCは気が付く。気が付いていなかっただけで、それ以前にも、PCは宇
宙の内外に複数の視点を持ち、外在化と内在化の区別を超越していたのだ。
こうして、PCは"外在化したい"という気持ちから卒業する。そして、以前に先輩
たちにいわれたように、"菜園の教義の最高レベルは既に入門書の中にあるんだ
よ"みたいなことをいうようになる。
-
276aaf38
anonymous
2010-04-04 22:06
- 菜園が非常に奥が深い教義、技術体系であることはわかりました。
しかし、これだけのものが、なぜ、全く普及しておらず、殆どの人が存在すら知らないのでしょうか?
-
8d35adef
anonymous
2010-04-04 22:13
- >>276aaf38
私もそれは疑問です。初心者の横槍。
-
eba9208c
anonymous
2010-04-04 22:30
- わけがわかりません。
トラウマで悩んでいる者も、オーディティングを受ければいいだけですからね。
なぜ、長ったらしいカウンセリングを受けたり、精神薬による対症療法が世の中の主流になっているのか・・・。
精神世界やニューエイジの分野も、菜園に比べるとやはり薄っぺらく感じてしまいます。
-
86a47cbb
anonymous
2010-04-04 22:49
- >>eba9208c
それ本当ですか。自分も今日、15年も前から関わりのある心理相談室に菜園やアバターの
話をしつつ、精神医療と心理療法について批判を展開してきました。
オーディティングは受けてみたいけど、関わるなという話も多く、非常に警戒してしまいますが。
-
17c5b69e
anonymous
2010-04-04 23:06
- >>86a47cbb
教会には一切関わっては駄目です。
私は青春時代が台無しになりました。
でも、オーディティングが効果があるのは事実です。
臨床心理士のカウンセリングの100倍マシでした。
ですが、本当にトラウマの根源の原因まで突き止めて、解消させるには、
私の場合はクリアーを目指すことが求められたので、
1000万くらい掛かるって言われました。
だから坐禅やトンレンでもやってたほうが遥かにマシってわけです。
-
c669e6fd
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 23:07
- >>276aaf38
大姉Book1は2,000万部売れた。教会や自由領域で菜園を経験した人の数は800万
人を超えている。人類全体を視野に入れれば、大姉と菜園はどちらもかなり普及
しているといえるだろう。
しかし、日本での普及は難しい。
菜園の技術の中心にオーディティングがある。オーディティングで使われる質問
や指示はもともと英語で書かれていて、特に、抽象的なものを含んで意味範疇が
広い疑問詞と、高度に発達した仮定法を特徴としている。
ドイツ語は疑問詞の意味範疇が英語と似ていて、英語よりもさらに高度に発達し
た仮定法を持っているので、オーディティングで使用される質問や指示を英語か
らドイツ語に翻訳するのは簡単だ。
一方、日本語では疑問詞の意味範疇が狭く、どういうわけだか ― 言語学上の謎
の1つだと思うが ― 仮定法がかなり退化しているため、翻訳がうまくいかない。
オーディターとしての訓練も積んでいるPCを別にすれば、日本語のでのオーディ
ティングはなかなかうまくいかない。
言語の壁は幅度の想定外に高く、厚い。
-
d4cfdc43
anonymous
2010-04-04 23:15
- >>86a47cbb
あと、スタッフの対応がとにかく最悪で、勧誘のためなら職場や学校にまで平気で追ってきます。
入口付近で待ち伏せしてたりとか・・・。
休みの日だろうと、何人ものスタッフから毎日電話掛かって来るし、
辞めたら家まで連れ戻しに来たりします。
とにかく教会には絶対関わったらいけません。
辞めずに残った知り合いは、全員人格が変わってしまい、もう友達ではなくなっちゃいました。
間違っても教会でオーディティングを受けようなどとは思わないで下さい。
-
a5ef5ca0
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-04 23:30
- また、現在の菜園はその実践の内部に問題を抱えている。
保守的な古参の菜園人にとって、«菜園公理»や«因子»などの基本原理から導き出
されうる教義こそが菜園の教義であり、«オーディターの規律»などの基本原則に
反しない範囲の実践こそが菜園の実践だ。この観点から見れば、1960年代半ばに、
幅度は菜園から逸脱したといえる。ジヌー挿話は基本原理から導き出されないし、
PCフォルダーを倫理官に送るのは«オーディターの規律»に反している。
その後の幅度の経営方針から、教会はさらに逸脱している。動画として記録され
ているインタビューで幅度は、新参者が数年間は入門書を読んで過ごす、と答え
ている。幅度の言葉としてこれほど信憑性の高いものは存在しないが、現在の教
会は幅度の勧誘方針に従わない。
東京組織は日中組織、夜間組織の区別を有していないので、教会全体からさらに
逸脱している。
-
d641c895
old timer
i1b5ibip3kS
2010-04-05 00:15
- 古参の菜園人として俺が思うに、菜園界は原点回帰すべきなのだ。つまり:
·新参者には入門書を読ませて数年間放置する。職員はしばしば勝手なことをい
うので、新参者には菜園の基礎知識が必要だ。
·やめたいといい出した奴がいたら、すぐさまやめさせる。やめたい奴を留めよ
うとするよりも、やりたい人を新しく探すほうがずっといい。
·職業オーディターは赤札PCと金持ちだけを相手にする。赤札PCは常に優先され
る。職業オーディターは赤札以外の貧乏PCの相手をしてはいけない。
·金のない奴は、それぞれオーディターとして訓練を受け、互いにオーディティ
ングを施すか、場合によってはソロで通す。これを嫌がるようなら、さっさとや
めさせる。金もやる気もないPCの相手をする余力があろうはずもない。
·事務職員が技術職員より少ない痩せた組織を維持する。週給10万円くらい出せ
ないと、優秀な職業オーディターを安定雇用することはできない。
·オーディティングの記録を倫理官に送らない。«オーディターの規律»はPCとオ
ーディターの間の神聖な約束だ。
-
806579f1
anonymous
2010-04-05 00:18
- 興味深い話がたくさんですね。
やはりオーディティングは効果があるのですね。
臨床心理士は確かにダメな人が多かったですね。経験上。
オーディティングの代わりに退行催眠とかで代用を狙ってみるのも手かな・・・?笑
アバターで借金まみれ程度で済んだのは軽傷だったと言えると思いますが、
その前に10年以上の年月とカウンセリングと心身相関症状の治療で200万ぐらいは軽くかかってるから、なんとも言えません。
自分も青春はそんなこんなで棒にふったようなものです。
生きてるだけでもマシだし、いまや逸脱の理由も見えて来そうなので儲けものかな(笑
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