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old>>
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34249e3e
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-12 08:19
- >>7c7ba6c7
大周天や六神通のこと。目当ては4次元操作能力だ。
それを獲得することで、大姉をさらに深く実行できることになる。
-
07adc1c6
anonymous
2010-03-12 19:59
「気を練ること」で現れるあの「振動」は、いったい何なのですか?
-
f2cdb399
anonymous
2010-03-12 20:27
- 正直あたまいっちゃってる
-
b67959f6
anonymous
2010-03-12 23:40
- >>f2cdb399
いつもチョコチョコ突っ込み入れるのお前か?
鬱陶しいからいちいち書き込むな。
-
5d77b5fe
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-13 07:24
- >>07adc1c6
魂の能力の1つだろう。
-
9a50fa64
anonymous
2010-03-20 21:22
- >>b67959f6
まぁまぁ落ち着け。
そんなヤツ相手にするな。
-
58ce6c4b
名無し
2010-03-23 16:38
- テスト投稿
-
e60dece7
anonymous
2010-03-25 10:35
- 菜園の言う究極の悟りの境地、還虚合道レベルに到達することなんて
永遠に不可能なんだろうな、きっと・・・。
もちろん菜園に限らず。
これまでに到達した人は誰もいないし、これからも到達する人などいない。
それが真実な気がする・・・。
-
b72ef266
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-26 11:05
- >>e60dece7
その通り。時間を超越しなければ、"永遠に"不可能だ。
-
76309848
anonymous
2010-03-26 23:07
- >>b72ef266
時間が存在する、と言うコンシダレーションの上位に立つには、どのようなプロセスをどこからはじめるのですか?
-
9fb65954
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-26 23:24
- >>76309848
俺も時間を超越していないのだから、当然、俺にもわからない。わかってしまっ
たら、多分、俺はこの宇宙に最初からいなかったことになるに違いない。
-
97edd354
anonymous
2010-03-27 09:50
- うわっ、きたきたきた!
-
6171007b
anonymous
2010-03-27 09:55
- 時間を超越出来ても還虚合道は不可能という気がするが・・・。
時間の超越くらいなら、宇宙人とかがやってることなのでは?
-
22c8a05f
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-27 10:08
- >>6171007b
そうかもしれない。
時間の超越なんて主題は、今の俺の現実からはとてつもなくかけ離れたことなの
で、わからないことが多い。
-
a68be0bd
anonymous
2010-03-27 16:17
- >>22c8a05f
この道においては、何故か「自分ができることしか知らない」といった立場に
謙虚に留まる人の発言が少ないので、上記のコメントには非常に好感を持ちました。
オールドタイマーさんほどの方であれば、どこかからの情報の提示にせよ、
公理からの推論にせよ、個人的なコグからであれ、語れることは沢山あるはずだからね。
-
777ec00a
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-27 17:15
- >>a68be0bd
まぁ、 >>76309848 からの流れが本当に難しい話なのだ。
時間を超越している状態そのものを説明することは、時間を超越していない俺に
は不可能だ。代わりに俺がやっているのは、時間を超越していない状態のいくつ
かの側面を否定することくらいだ。
"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
る"なのだ。
現実の俺のパワーとケースレベルでは、水に浮かべたごくごく軽い物体を動かせ
ることがある程度だ。残念なことに、これもいつでもできることじゃない。軽い
ものしか動かせないのはパワー不足で裏NOTsがまだまだ足りないことを意味して
いるし、不安定なのはケースレベルが低すぎることを意味している。
教会でも自由領域でも一般にこれを認める人は少ないのだが、"コグ"は多く、躍
進はほとんど起こらない。宇宙の真理めいたことを語りながら、生活修復オーデ
ィティングが時々必要になるという人が結構いる。つまり、"コグ"だけが空回り
している。
この種の"コグ"って、たいてい、菜園本のいい回しを変えただけだ。入門者や初
心者がそういうコグをいえば大したものだが、菜園歴10年以上がそれをいうと、
なんだか痛々しくて同情を禁じ得ない。
とはいっても、"物質宇宙の底辺からやっていく必要があることが分かった"みた
いな素晴らしい本物のコグが語られることもある。これは、"神は死んだ"のニー
チェとか、宗教を"人民の阿片である"としたマルクスに独力で追いついてみせた
んだから、実に素晴らしい。(念のためにいっておくと、マルクスは"神が人類お
よび人間自身を最高たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、神はこの目
的を達成しうるための手段をさがしもとめることを人間自身にゆだねた"とも語
っていて、宗教を批判したが、信仰やスピリチュアルなものを捨てていない。)
閉塞感はあるものの、自由領域は前進を続けている。
-
a385c69a
anonymous
2010-03-27 17:46
- >>777ec00a
うぅ~ん「"ある時点からいることになっている"の否定が、
"最初からいなかったことになる"なのだ。」
これはスゴイ!
-
a3eb02e1
anonymous
2010-03-28 01:06
- すいません、2ちゃんねるのスレはもう使わないのですか?
いちいちチェックするのがめんどくさいので・・・すいません。
-
bbd35a36
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-28 08:01
- >>a3eb02e1
2chのほうに質問などの書き込みがあれば、応答する。
-
48a3f1ac
anonymous
2010-03-28 10:34
- >"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
>る"なのだ。
これって、還虚合道などの、所謂「到達する境地」ではなく、今、すでにそうなんじゃないでしょうか?
そもそも、ある時点からいることになっているってこと自体がすでに幻想というか。
そういった仏教だとかスピリチュアルだとかの教えって多いですよね。
そう考えると、やはりこの宇宙から存在の痕跡ごと消えるということは達成不可能という気がします。
もし自分の宇宙から存在が消えるなら、自分だけでなく周りの宇宙も消えないとおかしいのではないでしょうか。
あと、解脱より還虚合道のほうが遥かに上というのにも疑問を感じます。
そもそも、同一直線上にある境地なのかなと。
-
a132c1bc
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-28 11:16
- アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、"ある時点からいることになってい
るってこと自体がすでに幻想"ということになる。
そして、アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、宇宙も既に幻想ということ
になる。
そういうことは仏教でも、菜園でも、入門段階で教えられる。しかし、そう教え
られても、幻想 ― リアリティー層でいえば、現実 ― が即座に解決されるので
はないから、プロセシング ― 出家とか、修行とか、オーディティングとか ―
が必要になる。
つまり、プロセシングについて語り始めた時点で、アクチュアリティー層ではな
くリアリティー層の話になる。
-
07a2e536
anonymous
2010-03-28 22:27
- では、リアリティー層からアクチュアリー層に移行するのは、どの段階からになりますか?
-
b1060de7
anonymous
2010-03-28 23:16
- >>07a2e536
プロセシングが不要になれば、リアリティー層を卒業することになるだろう。
あらゆる条件において、解決されるチャージのほうが、発生するチャージより多
くなれば、プロセシングの必要はなくなる。
-
811cccb4
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-28 23:17
- トリップをつけ忘れた。
>>b1060de7 を書いたのは俺だ。
-
39b80a13
anonymous
2010-03-28 23:47
- 最近、慈悲の瞑想を毎日やっているのですが、時間があれば一日に何度も繰り返してた方が効果が出るのでしょうか?
それとも、決まった回数だけをやるだけでも十分でしょうか?
それから、嫌いな人々、自分を嫌っている人々を思い浮かべる時に、特定の誰かを思い浮かべた方がいいのか、それともそういう感情にいたる不特定の誰か(自分と直接の関係はないけれど、関われば嫌いになるような遠い存在の人やそういう感情そのもの)を思い浮かべた方がいいのでしょうか?
特定の誰かにしてしまうと、それが過去の人だったり、この人のこういう所は嫌いだけれども、その人自信を否定する気にはなれないと思ってしまうのであまりピンときません。
不特定の誰かでやってみた時は、単一の出来事の処理のようなチャージが消去されるような感じがする時がありました。
-
87b24f09
anonymous
2010-03-28 23:56
- >>39b80a13
の訂正ですが、一日に何度も繰り返すではなく、一回に何度も繰り返した方がの間違いです。
-
41ddb763
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-29 00:02
- >>39b80a13
決まった回数だけやることを進める。慈悲の瞑想はメタプロセスだが、一時的な
オーバーランが生じることもあるだろう。
菜園では、特定の人物をそのまま扱うよりも、一般化された形で扱ったほうが良
いとされている。例えば、「俺の父親」「クーパー氏の父親」よりも、「ある父
親」のほうが良い。「俺の父親」「クーパー氏の父親」では、処理対象となる範
囲を小さくし過ぎていて、ケースレベルが上がれば無意味になる。
同じことが慈悲の瞑想に当てはまるかもしれない。
-
8ab55ea6
anonymous
2010-03-29 00:58
- 2chのスレ使えよ。
俺のHDDを使うんじゃない。
-
a1665765
anonymous
2010-03-29 12:11
- >>41ddb763
オーバーランになる場合は、なったとわかるのはどういう心的状態になるのでしょうか?
-
4e4cc444
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-29 12:46
- >>a1665765
気分としては、嫌になる、飽きる、うんざりする、といったことが起こる。アイ
テム処理のEPまたはプロセスのFPやEPを突き止めることで状態を解決できれば、
オーバーランがあったことが確定する。
FPやEPを突き止めることができない場合、アイテム処理やプロセスはオーバーラ
ンされていない。その気分の原因はケースの再刺激またはアウトルードメントな
ので、プロセスを継続したり、ルードメント処理を行って状態を解決する。
-
68d63e15
anonymous
2010-03-30 10:00
- 慈悲の瞑想で思いだしたのですが、以前話題に上がったチベット密教版慈悲の瞑想、トンレンについてです。
トンレンは相手の悪い気を吸い込んでしまい、本当に自分の調子が悪くなってしまう危険性があるとのことでしたが、
調べてみると、トンレンで調子が悪くなったという例はないという話です(気功とは違うのかな?)。
というより、むしろトンレンの主眼は、「本当に病気にはなったらどうしよう」とか、
「相手の悪い気を受けたくない」といった思いを乗り越えることにあるようです。
「人の苦しみを自分が代わりに引き受ける」という思いを養うわけですから、
自分の調子が悪くなることを恐れていたら、それは自分の利益のためにやっている瞑想であって、
慈悲の瞑想でもなんでもないということになります。
原始仏教の慈悲の瞑想も、本来は何かを獲得するために行うものでなく、
ただ単純に慈悲の心を養うために行うものなんじゃないかって思いましたね。
しかし、トンレンは菜園でいうところの逆NOTsにあたるという話は興味深かったです。
この辺りを詳しく説明して頂けないでしょうか。
-
4fd1377c
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-30 12:39
- >>68d63e15
その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。
Scientology-Freezoneについて 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243780138/592
` トンレンで吸い込まれたBTが、一般的なPCにおいて、必ず解放されるかどうか
` はわからない。
` トンレンを生んで800年にもなるチベット仏教は、権力の座にありながら、農
` 奴を解放できなかった。チベットの数多くの僧侶と貴族に、慈悲深い精神性は
` 育たなかった。Stuart GelderとRoma Gelderが書き、1964年に出版された
` 『The Timely Rain: Travels in New Tibet』によれば、チベットの僧侶は、羊
` を2頭盗んだ農奴の目をくりぬき、手をつぶしたのだとか。中華人民共和国成
` 立より前の1929年に出版された、Anna Louise Strongの『Tibetan Interviews』
` でも、チベット僧侶の残酷さを伝える証言が多数掲載されている。
欧米人の手によって書かれ、チベット僧侶たちの残酷さを伝えている書物は30冊
くらいある。農奴の存在したことについてはダライ自身が«Freedom in Exile»で
肯定している。また、イタリアのメガチップスのサビーナ·モランディーは、僧
侶たちに対するチベット人民の憎しみが、アメリカCIAによるチベット独立工作
を阻んだことを指摘している。
NOTsと裏NOTsは他人の断片を他人に返し、自分の断片を再回収する。他人の断片
を吸い込むことは、NOTsの効果に逆抗する。
トンレンの効果には疑問の余地が大きく、しかも、他人の断片を吸い込むという
点で、NOTs系の基本原則に反している。
一方、慈悲の瞑想ではフローバランスも考慮されていて、菜園の基本原則に反し
ない。
保守的な菜園人にとって、トンレンの実践に踏み切る理由はない。
-
db4c42ff
anonymous
2010-03-30 22:53
- 隔離タグwww
-
24cd601f
anonymous
2010-03-31 10:14
- 他人の断片を吸い込む・・・というのはよくわかりませんが・・・。
>その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
>の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。
これには疑問を感じます。
私もたまにトンレンを行いますが、トランスパーソナル心理学で有名なケン・ウィルバーも言っているように、
これは人を劇的に変容させる力を持ったプロセスだと思います。
嫌いな人に対して行うと、その人に対する否定的な感情が和らぎます。
>>4fd1377cで挙げられたチベットの僧侶達の現状に関してですが、
これはトンレンなどのチベット仏教の行法が効果がないからではなく、
それらをちゃんと実践していないからだとは言えないでしょうか?
チベット密教の本などを読んでみても、教え自体が間違っているとは思えません。
それにそれを言うなら、昔の日本の僧侶だって、仏の教えを実践しているはずが、
僧兵になったり破戒僧になったり、とても仏教を学んでいるとは思えない行動をしていました。
しかしだからと言って、日本の仏教の行法自体が効果がないものだとは言えないでしょう。
また、キリスト教などもそうで、隣人への愛を説いているのに、キリスト教国であるアメリカは戦争ばかりしています。
しかし、これもまた、キリスト教の教え自体が間違っているからとは言えないと思います。
結局、理由は、ちゃんと実践してないからだ、ということにならないでしょうか?
-
93c03f06
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 12:23
- >>24cd601f
そなたがトンレンを行って得た結果を否定するつもりはない。しかし、プロセス
を実践に取り入れるかどうかを判断する際に、個人が得たコグは、保守的な菜園
人にとって判断材料として重要視されるものではない。その個人がそなたであれ、
ケン·ウィルバーであれ、菜園創始者であれ、保守的な菜園人の態度に変わりは
ない。実際、幅度がXenu挿話を菜園に持ち込んだ時に、多くの保守的な菜園人は
教会を去った。
他の体系のプロセスを取り入れるかどうかにまず考慮すべきことは、それが菜園
の基本原理に沿うものかどうかということだ。次の考慮すべきことは、それが広
範な実践においてはっきりとした効果を上げているかどうかだ。
トンレンは菜園の基本原理に沿っていない。既にこの時点で、保守的な菜園人に
とって、トンレンを実践に取り入れる動機はほとんど生じない。しかし、ここで
菜園の基本原則のほうが不完全である可能性も、もちろん、残っている。
そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
ことになる。仮にトンレンが実践されていなかったとしたら、そもそも、広範な
実践そのものが存在しなかったことになる。
-
51be0156
anonymous
2010-03-31 12:53
- 私はトンレンを菜園の行体系に取り入れろと言ってるわけではありません。
トンレンを実践は、自分が本当に調子が悪くなる危険性があると、オールドタイマーさん自身がおっしゃっていたので、
自分の実践経験や、ケン・ウィルバーなどの見解から、どうやらその危険性はないようだと、
そして、自分が他人からの悪い影響を受けたくないというエゴを超克することこそが
トンレンという行法の真の目的でもあるということを書き込んだまでです。
しかし、私はトンレンの効果がどうこう言うこと自体がナンセンスな気もしています。
そもそも、他人の苦しみを自分が引き受けようと思うこと自体がすでに慈悲だからです。
慈悲の瞑想に限らず、自分に何らかの効果を期待して行うのが目的なのであれば、
それは慈悲とは言えないのではないでしょうか。
自分の片割れを回収するためだとか、パワーの回復、能力の獲得などを目指して行う瞑想なのであれば、
それは慈悲の瞑想であろうと、トンレンであろうと、本来の目的であろうはずがないし、
エゴのレベルを超えるのは永遠に不可能ではないかと私は思います。
-
53684608
anonymous
2010-03-31 14:10
- >そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
>ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
>らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
>ことになる。
では、実践されていたのがトンレンではなく、慈悲の瞑想だったら、チベット仏教史は
平和に満ち満ちていたのでしょうか?
私は大差なかったように思うのですが・・・。
そもそも、慈悲の瞑想とトンレンの違いというのは、
トンレンには他者の苦しみ(のイメージ)を吸い込むという部分がプラスされている
というところですよね?
この違いだけで、慈悲の瞑想はすばらしい行法で、トンレンのほうは効果に疑問があり、
意図と逆の結果が出たと結論付けるのはどうかと・・・。
「他者の苦しみを自分の苦しみとする」というのは、あえて効果というものを挙げるなら、
本来個人というものは存在しない、ということに気づくことだと思います。
「大きな自己」にとっては自分も他者もない。
他人の幸せは自分の幸せで、他人の苦しみは自分の苦しみ。
少なくともこういった感覚を持つようにはなると思います。
ですから、チベット仏教史を見ただけで、効果に疑問を持つというのは少し勿体無い気がしますね。
菜園スタッフを見て、オーディティングの効果は疑問があると言うようなものでは?
本当に効果があったら、あんな組織にはなってないはずだ、教会の歴史を見ればわかる、
と言うようなものかと。
-
c988e92f
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 14:42
- >>51be0156
裏NOTsで自分自身の断片を回収することで能力を回復するという行為は、同時に、
その断片によって阻害されていた他者の能力を解放するという行為でもある。
他人に対する慈悲もあるし、自分自身に対する慈悲もあるだろう。特に、原始仏
教の慈悲の瞑想は、"私は幸せでありますように"から始まっている。
-
f9e6b9f5
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 14:52
- 利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。
人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。
イスラム教を創始したムハンマドは、盗人が反省すればアッラーはお赦しになる、
と説くことで、キリスト教に由来する残酷な刑罰を抑制させなければならなかっ
た。ムハンマドは用心深かったため、"アッラーは何度でもお赦しになる"と付け
加えた。しかし、イスラム教がその社会の公共領域から残酷さを取り除くことは
難しかった。今でも難しい。
ある程度の利他的志向性に加えて、利己と同形個人の概念がなければ、人道や人
権は確立されない。
原始仏教は慈悲の瞑想によって最初からその域に達していた。古の知恵でありな
がら、慈悲の瞑想は近現代を包含している。
-
d988ecb3
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 15:35
- >>53684608
慈悲の瞑想は"私は幸せでありますように"から始まり、実践者に利己的な動機を
自覚させる。だから、慈悲の瞑想は実践者を謙虚にする。
利己的な動機の自覚がない宗教実践者に遭遇したことはないか?
"あなたのために少しの時間お祈りさせてください"みたいなノリの人が、1990年
代の東京にはゴロゴロいた。
-
46004ecf
anonymous
2010-03-31 15:38
議論の方向とは違うのだけど。。。
トンレンに触発されてハリーが開発した技法に<深刻ドリル>がある。
これはひどく落ち込んでる人や怒ってる人などに対し、
コーチがその創造(相手の苦悩)と創造者(苦悩している相手)を
とともに可能な限り価値判断しないで味わい愛でるというものだ。
これらは密かに沈黙の中で行われるのだが、効果は抜群だ。
他者の創造を味わうコツは、息を深く吸い込むゆったりとした腹式呼吸が役に立つ。
トンレンのように苦悩そのものを吸い込むのでなしに、それを一つの芸術作品のように
落ち着いて感じてみるのだ。慈悲の瞑想やフィールイッツに長けてる人なら、
よりいっそうの効果(調和的に働くタオの自然な矯正力のごときもの)が期待できる。
これは人相手でなくとも動物、植物、天候、渋滞などにも適用かのうなので重宝する。
価値判断しない思いやり(慈悲)が他者に対し確実に影響を及ぼすことが
本当に良くわかる。
この方法であれば、精神の断片を吸い込むこともないだろう。
トンレンに少々不安があり、けれどもそれを捨てがたい人にはお勧めの一品である。
試してみてはいかがだろう。
-
3a03f7ac
anonymous
2010-03-31 15:41
- >>d988ecb3
トンレンも「病気が治る!」ってことで庶民にも広がっていったよね。
そういう意味では、利己的動機を自ら認識して、そこからはじめるのはいいことだよね。
-
644fd0ec
anonymous
2010-03-31 18:24
- >>46004ecf
参考になります。ありがとう!
トンレンは私にとっては目から鱗でしたね。
初めはオールドタイマーさんの言うように、自分自身が他者の苦悩の影響を受けてしまったら
どうしようという恐怖心から敬遠していました。
しかしケン・ウィルバーによると、それは誰もが思うことで、彼自身も最初はそれが理由でトンレンを行わずにいたようです。
ですが、「その苦しみを自分が代わりに・・・」と思った途端、
ネガティブな影響は消えてしまうんです。不思議なことに。
アバターで「価値判断せずに味わい愛でる」ことで創造が消えるというのと似たような原理かもしれませんが。
ウィルバー自身もトンレンの不思議さには驚いているようですね。
自分にとって驚きだったのは、これまで嫌いだった人達が、トンレンの実践によって一気に嫌いではなくなったことですね。
正に変容といった経験でした。
まあ、私個人の経験ですし、もしかしたら万人向けの行法ではないのかもしれませんが。
私はもともと対人恐怖の症状があったのですが、トンレンでほぼ完璧に消失しました。
いろんなセラピーや宗教的な実践を試しましたが、大きな効果があったのはトンレンだけでした。
もちろん菜園のオーディティングも試しましたよ。
菜園で解消したければNEDまで行くしかないとまで言われました。
私が至った結論ですが、慈悲と恐怖(あるいは憎しみ)は両立できないってことです。
人に慈悲の心を持てた時は、そこに恐怖や憎しみは存在しません。
その恐怖自体が、敵意の抑圧だったりするわけですが、それがトンレンによって一掃されます。
あくまで個人的なものですが、私はこういった体験をしていますんで、
効果に疑問があるとか、チベット仏教史の話を聞いても、逆に疑問を感じてしまうわけです。
-
361be6c9
anonymous
2010-03-31 18:52
- >>f9e6b9f5
>利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
>ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
>利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。
>人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
>スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
>は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。
利他一辺倒どころか、もともと利他とは言えないのでは?
キリストの隣人を愛しなさいという教えにも反してますし。
利他的すぎたのではなく、本当は利他ではなかったというのが問題だったというような気も・・・。
-
2abdc3bb
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 20:01
- >>361be6c9
俺の説明が足りなかったようだ。
宗教の教義と実践が利他的であるほど、聖職者組織は利己的になり、組織の頂点
に絶対的権威が出現しやすくなる。
-
f6bfbc8e
anonymous
2010-03-31 20:13
- >>db4c42ff
お前うるさいよ。
だまってろ。
「隔離」の意味を理解してないのか?
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28a5c252
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 22:50
- 調べてみたところ、ウィルバーは"Compassionate Exchange"という名称のプロセ
スを編み出している。"Exchange"という単語が示すように、"Compassionate
Exchange"はトンレンにNOTs的な要素を加え、フローバランスを改善したものだ。
おそらく、ウィルバーもトンレンの限界または危険性に気が付いたのだろう。
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4cc8a796
old timer
i1b5ibip3kS
2010-03-31 23:15
- 話は変わるが、大姉公理と人々の人生についての観察から、幸運についての仮説
を立ててみた。
1) 幸運は分析する者よりも、行動する者を好んでいる。
2) 幸運は流れに逆らう者よりも、流れに沿う者を好んでいる。
3) 幸運は気まぐれな者よりも、一途な者を好んでいる。
4) 幸運は気が短い者よりも、気が長いものを好んでいる。
5) 幸運は1回しか口説かない者よりも、2回から3回ほど口説く者を好んでいるが、
短期間に4回も口説かれると、急に怒り出すことがある。
6) 幸運は数少ない大きな試行よりも、数多くの小さな試行を好んでいる。
7) 幸運は理屈よりも、愛着を好んでいる。
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7b1641ac
anonymous
2010-04-01 01:48
- >>28a5c252
ウィルバーの"Compassionate Exchange"という名称のプロセス、興味あるなぁ。
オールドタイマーさん、教えてくれませんか?
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9caa1063
anonymous
2010-04-01 02:06
- 初心者の横槍失礼しますが、菜園はトランスパーソナル心理学とも絡んでくるのですか。
ちなみに自分も色々セラピーなどを試し、アバターのマスターコースまでで、かなりの効果を上げました。
菜園やトンレンなどは未経験です。
精神医療や、プロセス指向心理学ではえらいトラウマになりましたが、アバターでほぼ解消しました。
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