Freezone

ec806ccb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 06:54
>>53c02635

教会のトーンスケールは40.0の"Serenity of beingness"を上端としているが、
自由領域のトーンスケールの上端は400.0だ。

400.0 Sovereignty
320.0 Life that is not being
160.0 Volition, Coexistence
120.0 Individuality
110.0 Awareness
100.0 Truth
90.0 Decency
80.0 Ideas
75.0 Ethics
70.0 Aesthetics
60.0 Inspiration
50.0 Agony
45.0 Amusement
40.0 Serenity of beingness

50.0 Agonyに注目してもらいたい。"agony"を日本語に訳すと"苦悶"になる。
40.0を超えるレベルにこれが出てくるのには違和感があると思う。

50.0 Agonyで魂は人生ゲームの参加者になるための最後の分裂を経験したと考え
られている。分裂は苦悶なのだ。

慈悲の瞑想には苦悶より派生している現時点の悩みを和らげる効果があると思う。
ae027d78 anonymous 2010-02-10 10:59
>>ec806ccb

すごい!初耳です。

できれば、教会風に日本語でリストにしてもらえないでしょうか?
日本語にピッタリ当てはめるのは難しいかもしれませんが・・・。

60.0のinspirationはやはり直感でいいんですか?
だとしたら興味深いです。
自分でもかなり上のレベルだと思ってましたから。
教会ではあまり重視されていませんでしたが。

100.0のtruthも非常に興味深い。
awarenessのほうが上というのはどういうことでしょうか?

320.0のlife that is not beingの意味も教えて頂けるとありがたいです。

8b9726f4 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 13:30
>>ae027d78

旧約聖書で、神は塵を人型に加工し、それに魂を吹き込んで人にした。これが
inspirationだ。霊感とか直感とかいうものとは違う。

AwarenessがTruthを創造し、選択し、消滅させるのだから、Awarenessのほうが
上なのは当然だろう。

Life that is not beingというのは個別性を超越した生命のこと。魂がこの状態
に達したら、ゲームに最初からいなかったことになる。仙道の環虚に相当する。
俺たちに名前を知られている人物は、Life that is not beingには達していない。
5c46b476 anonymous 2010-02-10 15:11
では、400.0のSovereigntyは?

英和辞典では「統治」や「独立権」と訳されていますが・・・。

なぜ還虚より上なんでしょうか?
a14bd2a6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 16:03
>>5c46b476

"sovereignty"には"supreme power"(最高の能力)の意味がある。それ以上のもの
がない究極なので、スケールの上端に"sovereignty"という単語を充てている。
レベルとして比較すれば、仙道の合道に相当するものと思われる。
db6f36b5 anonymous 2010-02-10 19:51
>>aed650e0
どこに帰ればいいのか教えてください。
b63c1050 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-10 23:54
万人向けではないかもしれないが、プロセスに慣れていれば、俺はメーターの代
わりに呼吸を使っている。何かを考えた瞬間に呼吸が乱れたら、それがリードと
なる。

肉体に依存しないリード検出の方法を確立したいものだが、今のところこの方面
の個人的研究に成果はない。
be0d3fe9 anonymous 2010-02-11 01:41
>>b63c1050

ava-wizではメーターの代わりに「観察モード」を使います。
「観察モード」とは、ほとんど思考なしの意識状態で、中立の注意を対象(リストなど)に向け、その際現れる微かな意識の乱れを手がかりにして、判断を下していくのです。

ちなみに私自身はあの非科学的と言われるラジオニクス(元祖波動測定器)
のオペレーターをやっていましたので、「スティック」と呼ばれる方法なども
活用しています。(スティック・パットを指で擦り、吸い付くような反応を目安にする)
このやり方は、慣れればかなりの汎用性があるものの、Oリングや筋肉反射を
用いた方法同様、誤判断が多々あるのが残念です。
c79e1384 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-11 07:51
>>be0d3fe9

問題は常に俺たちの認識の外にある。

観察モードの有効範囲は随意な認識の範囲に限定されてしまうので、メーターの
代わりにはならないと思う。

スティックはメーターの代わりになりえるが、メーター同様、肉体に依存してい
るため、現在の肉体が使い物にならなくなった後、プロセシングの継続に新たな
肉体の獲得を必要とすることになるだろう。
9fe2fc47 anonymous 2010-02-11 17:43
>スティックはメーターの代わりになりえるが、メーター同様、肉体に依存してい
>るため、現在の肉体が使い物にならなくなった後、プロセシングの継続に新たな
>肉体の獲得を必要とすることになるだろう。

肉体こそが自由への妨げだと思うんですが、
プロセシングのために肉体をゲットするって、
本末転倒になりませんかね?



 
e76b7543 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 00:02
>>9fe2fc47

そう、そうなってしまう。

肉体に依存しないで、自分が認識できないものを特定する手段があれば、個別チ
ャージの処理を肉体への依存から解き放てる。

そのような手段を用意できなければ、肉体を捨てた後のプロセシングは全てメタ
プロセスの実践になってしまう。
0b038440 anonymous 2010-02-12 03:26
>>e76b7543

肉体の死後、希薄な身体を意図的に創造して創りだせば個別チャージ処理も可能ではないですか?これって単なる希望かな。そげな話しはどだい無理なんでしょうかね。

自分が創る、と言っても、死後に自分が創る身体も、私という精神が認識する以上の
英知的な機能(個別のチャージに反応する何らかの仕組みなど)をもつことでしょう。

また死後には、今生では何かと制限があって、やり辛かったワークが捗るでしょうね。
例えば、思い込みが作り出している思い込みの世界(囚われ領域)に存在する、
自己の断片の救済とか。(そんな領域、無い?)

それから死後には、肉体を持たない飛びぬけてスペシャルな存在との接触邂逅によって、
彼等のチャージ処理に関する現在知られていない手法を学ぶ機会等あるといいのですが。

まあ、メタ・プロセスもいろんな種類が知られていますから、個別チャージは処理しえなくても、やることはいっぱいありますね。
0a3124a8 anonymous 2010-02-12 03:42

宇宙には、個人が蓄積した有害チャージを食って生息している奴等もいますかね?
もしそんな奴がいたら、協定結んで、食ってもらいたいですな。

またチャージを観ることが趣味の、メーター替わりの生命体なんかいてもいいですね。
そしたらそんな奴と親しくなって観てもらえばいいんだから。

で、おそらく、死後にはツインを組んで互いの個別チャージを相互に認識するやり方とか
様々な工夫をしている、プロセシング魂を持った精神がいそうな気がします。
もちろん超希望的観測ですが。

確かに自分以外の何ものにも依存しないで、そういったすべてを行うことができるなら、
それに越したことはないですよね。

c7b8119c anonymous 2010-02-12 03:54

幅度のチャージ処理技術はメーターの開発、存在によって進歩したのでしょう。
それは言い換えると、身体を通してのチャージ認識であり、その処理だったわけです。

精神が身体を離れれば、チャージの表れ方や認識のあり方にも相違があるでしょう。
もし、地上生存中に身体に依存しない、「自分が認識できないものを特定する手段」を
見出そうとするなら、まず意図的な外在化をある程度制御可能にしなくてはいかんでしょう。
70766c5d old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 09:10
>>0a3124a8

個人のチャージはその個人による直視によってしか消去されない。
ea73d3f6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 10:06
プレプチェックでボタンというものを使うので、ボタンについて話しておこう

左手ボタン: suppressed (抑圧した), invalided (事実を否定した), careful
of (気をつけていた), not-ised (なかったことにした), failed to reveal(明
らかにしなかった)

中間ボタン: protested (抗議した)

右手ボタン: evaluated (価値を決めつけた), suggested (提案した), made a
mistake (間違いをした)

これらボタン自体もチャージであるが、左手ボタンは他のチャージ本体に付随し
ている。

メーターを使ったオーディティングを受けた経験があるのならば、suppressedと
invalidatedには聞き覚えがあるだろう。グレードIIのコンフェッショナルの経
験があるのならば、左手ボタンの全てを聞いたことがあるはずだ。

左手ボタンはチャージ本体がメーターに反応することを妨げる。だから、チャー
ジ本体がメーター上で反応を見せなくても、左手ボタンに反応があれば、チャー
ジ本体はほぼ間違いなく存在している。

右手ボタンは、チャージ本体が存在しないにもかかわらず、メーターを反応させ
てしまう。右手ボタンはプレプチェックや修正リスト以外ではほとんど使われな
い。

中間ボタンは左手と右手の両方の性質を持っている。オーバーランされたプロセ
スに関係して反応することが多く、やはり、修正リストで頻繁に用いられるが、
コンフェッショナルにおいては左手ボタンと同じ扱いをする。
37b60a56 anonymous 2010-02-12 13:48
>>70766c5d

>『個人のチャージはその個人による直視によってしか消去されない。』
 
この考えは菜園のアズイズに関する基本的な公理なのですね。
釈迦も、自分自身の浄化を行えるのは自分だけである、といった旨のことを語ったとか。

で、「革新派の自由領域」の人たちもこの考えを絶対的なものとして肯定し、
引き継いでいるのですか?

素人考えなのですが、4次元以上の存在であれば誰であれ、
3次元宇宙の中で生み出された他者の3次元的個別チャージもアズイズし、
消去可能なのでは、と思うのですが、間違っていますか?

上記の事とは観点に違いがありますが、言い伝えに寄れば、聖者や真正のグルは、
弟子のカルマを軽減させたりして、大難を小難にできるとか。
また地球人で、物体を消滅させれる人がいると聞き及んでいます。
物体すら消滅させることができるのであるなら、個人の個別チャージが消去できない
訳はなかろう、と思うのですが。

47a8d278 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 17:36
>>37b60a56

他者が生み出したチャージを消去するには、その他者にチャージを直視させれば
いい。物体を消滅させるには、その物体の継続的創造に参加している全ての魂に
その物体を直視させればいい。

また、ある魂が別の魂と再統合すれば、統合後の魂は統合前のいずれに魂が生み
出したチャージをも消去する能力を持つことになる。
2c389d12 anonymous 2010-02-12 19:55
























































6a943e62 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-12 21:54
6c3bf86a anonymous 2010-02-13 08:17





































































404c4b8d old timer i1b5ibip3kS 2010-02-13 10:16
菜園は生活とセッションを切り分ける。セッションは明確に開始され、明確に終
了される。そのため、セッションは何らかのモデルセッションに基づいて行われ
る。

PCが疲れていないことを確認する。



PCが空腹ではないことを確認する。



セッションを始められない理由がないことを確認する。



"This is the session."(これはセッションです。): 理想的にはトーン40で
断定的に宣言される。



ルードメント: 一般的にはARCブレーク(気分を害したこと)、現在の問題、見透
かされそうになった隠し事の処理で構成されているが、内在化とリスティングエ
ラーの処理を含むこともある。いったん内在化の処理が開始されれば、それが終
わるまでは省略される。



主要ケースアクション: グレードを構成するプロセスや特殊なランダウンなどを
行う。



ハビングネス: PCの注意をケースから周囲の環境に引き戻すために行われること
がある。ただし、他のプロセスがうまくいかなかった場合には決して行われない。



"End of session."(セッションを終わります。): 理想的にはトーン40で断定的
に宣言される。
f137a6ba anonymous 2010-02-13 10:56



















380cfc4f old timer i1b5ibip3kS 2010-02-15 00:48
TRはセッションコントロールがPCに奪われる危険性を減らす。

その危険性は、さらに、モデルセッションによってさらに減らされる。

それでもなお、ケース監督がPCの要望にみだりに応じると、セッションコントロ
ールはやはり失われてしまう。

そこで、グレードチャートが存在し、ケース監督がぶれることを防ぐ。

オーディティング技術の実践は高度の構造化されている。それはgoto文を使わな
い構造化プログラミングを行うことに似ている。
0f0f850f anonymous 2010-02-15 02:00
























a8e04097 anonymous 2010-02-15 20:39
>>380cfc4f

オーデティングの治療構造の概略に関する記述の後には、各論が続いていくのですか?
菜園で学ばずとも、意欲があれば現代菜園で日々行われているプロセシングの基本技術がこの一連の日本語のスレの学習により実践可能になる、というような。

ちょっと甘いかな。。。
0d92d3eb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-15 21:53
>>a8e04097

菜園内の個別のプロセスにいかに優れたものがあったとしても、長期的にケース
を解決していくのは複数のプロセスの組み合わせ方にある。

現在やっているプロセスがあるならば、それをきちんと終了せずに別のプロセス
を始めることはある程度の危険をはらんでいる。最初のプロセスをやめたい気持
ちにさせたものが何らかのケース要因であることは往々にしてあることで、次か
ら次に別のプロセスを始めてしまう人は、ケースに支配されてしまっている。

もちろん、あるグレードのプロセスをやっている途中で内在化が発生したら、グ
レードを一時中断し、内在化の処理に移らなければならない。しかし、内在化の
処理が終了したら、グレードの中断したところに戻ってこなければならない。

自由領域での菜園実践においては、実践者本人の裁量余地が大きく、しかも、オ
ーディティングはソロを中心としたものなので、次々に別のプロセスを始めてし
まう危険性は菜園教会においてよりも大きくなる。

オーディティングを長期的に実りあるものにするには、オーディティングについ
てのアドミンを確立しなければならない。

このスレでは私その他の人々がプロセスを掲載している。それらを日々の実践に
取り込むことは基本的にまずいことではないが、何かを取り込む場合、まだ未完
了の他のプロセスを投げ出してはいけない。
f0d8f77f anonymous 2010-02-15 23:18
>>0d92d3eb

「オーディティングについてのアドミン(管理運営)の確立」
それがこのところのオールドタイマーさんの投稿意図なのですね。分かりました。

あるプロセスを「やめたい気持ち」にさせるものが「ケース要因」である場合が
往々にしてある、との示唆、こころしておきます。ありがとうございます。
0a8f1463 anonymous 2010-02-15 23:36

















e56d3d5e old timer i1b5ibip3kS 2010-02-16 11:54
オーディティングアドミンを考慮すると、自由領域における菜園実践の第1歩は、
橋を選ぶことだといえる。教会の橋は1本だが、自由領域の橋は複数用意されて
いる。

·論's 橋 ··· ヨーロッパ系。旧時代のプロセスを少なからず含み、最高レベル
がOT 40となっている自由領域最大の橋。

·GF橋 ··· アメリカ系。«Excalibur Revised»に沿って、デュアルとソロの両方
を実践するもの。教会の橋とほぼ同じ大きさを持っている。

·操縦士橋 ··· アメリカ系。«Self Clearing»に沿って、基本的にソロで実践す
る橋。とっつきやすい。(今年の8月から俺が翻訳を進めることを予定している。)

·UCP橋 ··· 最小構成の橋。メタプロセスであるUCPだけを実践する。

·コンパクト橋 ··· セッションの後半にUCPと慈悲の瞑想を実践する。ルードメ
ントがインであれば、好みのプロセス + UCP + 慈悲の瞑想になり、ルードメン
トがアウトであれば、UCP + 慈悲の瞑想になる。頭痛があったり、外在化や内在
化が再刺激されている日には、UCPだけになる。
1b9aeceb anonymous 2010-02-16 22:33
































7b6199ad old timer i1b5ibip3kS 2010-02-17 10:31
橋のグレードの並び順やPCのケースの状態を考慮して、通常、ケース監督がPCの
ためにプログラムを書く。ケース監督がいない場合には、オーディターがその
仕事をこなす。もちろん、完全にソロで菜園を実践する人は、自分自身でプロ
グラムを書くことになる。

UCP橋やコンパクト橋のような極小の橋を除けば、橋を上るにはプログラムが必
要になる。

プログラムには橋のグレードやレベルあるいは特殊ランダウンなどから構成され
た前進プログラムと、修正オーディティングのための進歩プログラムがある。
(いろいろな事情を考慮して、"修正プログラム"という名称は避けられている。)

前進プログラムの例:

 <PCの名前> <日付>
 
 1) ARCストレートワイヤー
 2) グレード0
 3) グレード1

 <ケース監督の署名>

//

進歩プログラムの例:

 <PCの名前> <日付>
 
 PCがオブジェクティブにて外在化したことが確認された。

 1) 終わりのない内在化修復の終わりのランダウン

 <ケース監督の署名>

//
64f8c74e anonymous 2010-02-18 00:17
>>7b6199ad

8月からの«Self Clearing»翻訳、そして公開に向け、緻密な準備がなされている、
との感を強く持ちながら投稿を拝見しております。ありがたいことです。

操縦士の橋を、「橋」たらしめるために必要不可欠な構造が、いま構築されようと
しているのですね。

このような枠組みを予め描き出し、順々に提示できる人はオールドタイマーさんを
置いて他にいませんから、われわれはつくづく幸運だと云わねばなりません。

ありがとうございます。けっして無理をなさらずご自身のペースでお進み下さい。
15c32709 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-18 09:19 1266452348.html (1KB)
ケース監督も"CS"または"C/S"と呼ばれるのでややこしいが、セッションの前に
書かれるセッションの計画もまた"CS""C/S"と呼ばれている。"case
supervision"の略だ。

毎回のセッションでやる内容が全く変わらないUCP橋を除けば、セッション前に
必ずCSを準備するべきだ。

オーディターは次の日のセッションのためにCSを書き、組織での実践によりそれ
が可能な場合には、ケース監督にセッション記録とCSをそろえて提出する。

慣例として、CSは赤と青で記述される。CSの例を添付しておいた。
0006c3bb old timer i1b5ibip3kS 2010-02-18 20:04
要約すると、グレードチャートの実践のためにプログラムが書かれ、プログラム
の実行のためにCSが書かれ、セッションが行われる。各セッションにおいて開始
されたプロセスはそのセッション内またはその後のセッション内で1つずつ確実
に何らかの帰結を見る。通常、その帰結は最終現象だが、時には、そのプロセス
で処理すべきチャージがもともと存在しなかったことが明らかになることもある。

菜園の独自性は各プロセスそのものというより、むしろ、可能な限り最小のスコ
ープの中で各プロセスを確実に何らかの帰結に導こうとする几帳面さにある。
27db6b59 anonymous 2010-02-18 21:09
自由領域のトーンスケールの最高レベルが、仙道の還虚合道に値するとのことですが、
だとするなら、そこまで到達した人はまだ誰もいないということですよね。
なぜそういったレベルが存在するとわかったのでしょう?
まだ誰も到達していないが、そういう状態が存在すると仮定した、ということでしょうか?
b8c953a9 anonymous 2010-02-18 21:30
>>27db6b59

>>なぜそういったレベルが存在するとわかったのでしょう?

これを聞いて素朴な疑問が湧き起こった。
そもそも仙道に於いてだって、「還虚合道」という状態のことがどうして分かったのか?

その答えは、ここで話されてるような、「時空から一切の痕跡が消失する」というのとは
別個の存在状態を意味する、と云うことだろうね。これを成就すれば、誰の記憶の中にも残ることなく、初めから居なかったのと同じになる、というのは違うわけだろう。
つまり「還虚合道」を成就してもなお、彼らは個別の身体を持って在り続けることもできた。それとも彼等もまた憶測したのか。
13947f77 anonymous 2010-02-18 21:36
>>0006c3bb

>>菜園の独自性は各プロセスそのものというより、むしろ、可能な限り最小のスコ
ープの中で各プロセスを確実に何らかの帰結に導こうとする几帳面さにある。

この理念はホントに素晴らしいですよね。
このことが未熟なオーディターの不手際やCSの見込み違いなどで、
「進歩プログラム、進歩プログラム、進歩プログラム」のスパイラルを形成しないといいな。
77f63046 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-18 23:29
>>27db6b59

還虚合道に達した人は、時空と個別性を超越する。ゆえに、我々のゲームに最初
から存在しなかったことになる。つまり、我々の視点から見れば、常に、還虚合
道に達した人は誰もいない、これまでも、そしてこれからも。

還虚合道を先達も菜園人も経験的に知ったのではなく、論理的に考えて、チャー
ジの消去は最終的には還虚合道に辿りつくはずだ。物質、エネルギー、空間、時
間はチャージであり、それらがなくなれば、自己と他者、過去と現在などの区別
はなくなってしまう。
70491875 anonymous 2010-02-19 00:27
>還虚合道を先達も菜園人も経験的に知ったのではなく、論理的に考えて、チャー
>ジの消去は最終的には還虚合道に辿りつくはずだ。物質、エネルギー、空間、時
>間はチャージであり、それらがなくなれば、自己と他者、過去と現在などの区別
>はなくなってしまう。

還虚合道まで行ってなくて、我々に存在を知られている覚者でも、
自己と他者などの区別がなくなってしまう経験をしたという人は意外にたくさんいますが・・・。

そういう人の多くは、輪廻は幻想だと言っています。
要は、自己と他者の区別がなくなってしまうのだから、「自分の前世」というような考えも成り立たなくなるということなのでしょう。

そういう人はたいていが、自分=宇宙とか、外の世界そのものが自分だとか言ってますね。
目の前の全てが自分であるわけだから、過去の誰々が自分という考えは成り立たなくなりますね。

でも、そういった人でも、存在自体は消えていません。
どういうことでしょうか。
68d5e5ad old timer i1b5ibip3kS 2010-02-19 01:13
>>70491875

時間が見せかけの幻想であり、輪廻転生もまたそうであることは、菜園アクチュ
アリティー層の入門段階で学ぶことだ。それでも、それを学んだ菜園人が即座に
個別性を超越できるのではない。

菜園外の覚者についても同じことだ。理屈がわかるとか、何かを感覚的に掴むと
いうことはあっても、我々に存在を知られている人と我々の間には区別がある、
つまり、その人と我々はいずれも個別性を超越していないのだ。
883f5b93 anonymous 2010-02-19 02:09
>>77f63046

>>物質、エネルギー、空間、時間はチャージであり、それらがなくなれば、
自己と他者、過去と現在などの区別はなくなってしまう。

この論理はまさにそのとおりです。
しかし、ここで云うところの「物質、エネルギー、空間、時間・・・」とは、
誰にとってのそれなのですか?

物質宇宙が全体として消滅するなら、区別がなくなるのは当然です。
一方、「還虚合道」とは集合的(知覚力のあるすべての生命体にとっての意)ものではないでしょう。
あくまでも個人がそれを達成するのですから、「物質、エネルギー、空間、時間・・・」
が皆消えてなくなるわけではないわけで、チャージとしての宇宙は消えはしませんよ。

238a677a anonymous 2010-02-19 02:49
>>70491875

>>自分=宇宙とか、外の世界そのものが自分。。。

この境地であるなら、一時的ではあるけれども、僕らにも体験可能だね。
身体との同一視をはじめ、思考、記憶など、マインド(念・頭・心)との「脱同一化」を
機軸としたワークを徹底して行うことで、それは得られる。
例えばava-wizでは「究極の究極のランダウン」がある。
ラーマ・マハ利子や似猿がダッタ・マハ利子などが恒常的に留まってるとおぼしき境地の
短時間バージョンを若干味わえる。一時的とは言え、それはなかなかのものだ。


それにしても「身体を気化して」タオと同化融合するという還虚合道が、
ナッシング(虚無)への帰還と同じものとはどうしても思えないな。

433c511d old timer i1b5ibip3kS 2010-02-19 09:23
>>883f5b93

>>77f63046
で俺は、"還虚合道に達した人は誰もいない"といった。

"誰にとって"とか、"あくまでも個人がそれを"という発想を離れないと、菜園ア
クチュアリティー層を真に理解することはできない。

実際、菜園は入門書 ― 特に«思考の原理» ― の段階で、まずはアクチュアリテ
ィー層に触れさせるが、それは入門者の理解を超えている。

菜園アクチュアリティー層を理解するには、実際のところ、かなりのプロセシン
グが必要なのだ。
61f39f42 anonymous 2010-02-19 22:18
>それにしても「身体を気化して」タオと同化融合するという還虚合道が、
>ナッシング(虚無)への帰還と同じものとはどうしても思えないな。

仙道書の類を読んでみても、宇宙から存在の痕跡ごと消えるとまでは書いてませんもんね。

fef625a1 anonymous 2010-02-20 00:15
もうだめだ
745c93ef anonymous 2010-02-20 01:20
>>61f39f42

>>仙道書の類を読んでみても、宇宙から存在の痕跡ごと消えるとまでは書いてませんもんね。
そうなんだよ。別段、菜園クチュアリー層の見解を否定する気はないんだけどね。
僕らリアリティー層に生息している人間からすれば、これは神秘だ。
単純に仙道に云う「還虚合道」をこの世界での一現象として捉えて、
その境地を成就した者は有機的身体であれ、幻影的身体であれ、自由に意のままに
創り出し、維持し、いつでも好きなときに消滅させる能力を得た、と考えた方がいい。

そして、菜園アクチュアリーの見解は菜園アクチュアリーとして考える。

「還虚合道に達した人は誰もいない」、という氏の見解は含蓄深いものがあるけど、
いろんな疑問が湧いて出てくるんだ。(プロセスが足らんな。)
そうなんだ。オレは「個人」という区別的発想から逃れられない。
「菜園的還虚合道」に「誰か」が達すれば、その子孫もいなくなるし、歴史も変わる。
しかし、その「誰か」という発想の枠組みこそが、その真相理解の妨げになるという。。。
ああ、このリアリティー世界の一切が幻想であっても、その幻想は変化するのではと思う。
一方で幻想は本来存在しないから、それが変わっても何も変わらないのかとも思う。
(記憶によるの継続性がなくなってしまえば、いかなる判断もできはしないが。)

あったま悪いよな~、オレ。orz
d5a614c6 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-20 08:10
仙道の本来の形は、老子の教えに忠実な原始仙道であり、800を超える流派が現
存する現在、一般には文始派と呼ばれる派の教えに伝えられている。この派の中
核をなすのが"無人無我、無天無地"という考え方で、"他人も自己も天も地もな
い"ということを意味している。個別性と時空を超越する境地が語られている。

仏教各派が何らかの形で原始仏教の影響を受けているように、仙道各派もまた原
始仙道の影響を受けている。仏教には菜園があるように、仙道には大がかりな技
術体系を持つ青城派があって、その教義と実践は、房中術その他の丹法などのリ
アリティー層と、"無人無我、無天無地"を含むアクチュアリティー層から構成さ
れている。
aac6aef5 old timer i1b5ibip3kS 2010-02-20 08:29
>>745c93ef

アクチュアリティー層の教義を学ぶことで、俺たちは何が虚無ではないのかを理
解することができるが、俺たちが俺たちである限り、何が虚無なのかを理解する
ことは実はできない。老子の言葉を書き下すと、"道の道なるは常の道にあらず"
となる。俺たちが常々"道"だと思っているものは道ではない。

虚無を真に理解してしまうと、時空と個別性を超越する。俺たちは虚無を理解せ
ずにいることで、自らを制限し、自らとその他を切り分け、過去と現在と未来を
切り分け、俺たちでいられるのだ。
986bc1e7 anonymous 2010-02-21 23:06
還虚合道の合道レベルが、自由領域のト-ンスケールで400.0だということですが、
これもまだ誰も到達していない境地だというのなら、
どのようにして400.0という詳細な数字が導き出されたのでしょうか。

やはり、とりあえずそう仮定した、定義したということでしょうか。

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